第9話 かつて世界を駆け抜けた風を追って

 ユーキアさんは俺たちの契約に理解を示し、治療の魔法を受けてくれた。

 200万円の治療の魔法は俺のカードにパッケージとして登録されていた。


 50万円支払えばカードが銃になるように、弾丸を1発10万円で込められるように。

 この額を支払えばこういった効果の魔法が使える、とコストや効果を厳密に設定された魔法のパッケージがカードには登録されてあるのだった。

 王者のカードの扱い方は、昨日の戦闘で銃を握った時に情報が頭に入ってきて覚えたみたいだ。

 俺自身の実感で言えば、まるで過去に夢で見たことを不意に思い出したみたいに、「そういえば知っている」という感じでカードの扱い方がわかるのだった。

 マニュアルを埋め込まれるタイミングがあるとすれば、あの戦闘の時が妥当だと思う。


 ともあれ、カードから教え込まれたおかげでいくつかのことがわかった。


 まず、カードに映し出せる文字は所持金額だけでないこと。

 たとえば魔法のパッケージのリストを呼び出すこともできる。


 そして、カードに登録されているパッケージが魔法の全てではないこと。

 パッケージは、あくまで魔法を即座に使えるようにするための仕組みだ。

 望む効果を自分で設定し、それに見合う金額を支払って魔法を使うのが古典的なやり方としてある。

 その方法であれば、金さえ払えばどんなことだってできる。

 そして繰り返し使うような魔法なら、パッケージ化すれば便利というわけだ。


 幸いにも人体を治療する魔法が既にパッケージとしてあったので、それを使ってユーキアさんの目を治した。


 目の治ったユーキアさんは俺とアカリを交互に見る。

 なにも話さないユーキアさんにアカリが、


「お母様、どうですか?」


 と聞く。

 俺も、久々に見えるようになった感想を聞いてみたいと思って、どうですかと促す。

 ユーキアさんは笑顔になって、


「アカリ、久々に稽古をつけてあげましょう。どれだけ腕を上げたか、見せてもらいます」


 と穏やかに言った。


 二人は木剣を持ち、村の広場で向かい合う。

 俺は、昨日酒をくれた商人さんと見物をする。

 商人さんには護衛の人が一人ついていた。

 その人も興味を示して、アカリたちに視線を注ぐ。


 アカリは両手で剣を握って構える。

 ユーキアさんは片手で剣を握ってはいるが脱力していて、その切っ先は地面についている。


「あの、お母様。目は見えているんですよね?」


 アカリが確認する。

 それに応じて、ユーキアさんは意地悪そうな笑みを浮かべる。


「目が見えていない時の私だったら勝てるとでも思っているの?」


「そういう話をしたんじゃ……ないでしょ!」


 叫び、剣を振り上げながら前に出る。

 剣道で言うところの上段の構えだ。

 そこから素早く振り下ろしてしまおうという狙いだ。

 しかしアカリの腕が動いた瞬間にユーキアさんの足は地を蹴り、アカリの横をすり抜ける。

 ユーキアさんはわざと遅らせて剣を振る動作をしてみせる。

 アカリの体に当てることもできた。

 本当の剣だったら斬れていた。

 そのことを見物人の俺たちに見せつけるための動きだった。


「速い」


 俺は声を漏らしていた。

 アカリが隙を晒したのと同時にユーキアさんは一瞬にして大きく動き、アカリの横を通り抜けた。

 そのスピード、移動距離は人間のものとは思えないものだった。


「あの速さは相当な達人のものだな。反応も素晴らしかった」


 護衛の男が非常に感心した様子で言った。

 俺には言葉どおりの意味にしか取れず、男がどれほどの評価を付けているのか測れなかった。


「凄いのはわかるけど、どれくらい凄いのかが見当つかないな。あんたはわかるのか?」


 と聞いてみる。

 聞いてみれば教えてくれるような、そういう気軽さのありそうな男だった。


「あんた、異世界人なんだってな?」


「ああ。地球から来た。昨日こっちに来たばかりなんだ」


 今日初めて会ったこの男にも知られている。

 もう俺のことが噂になっているのか。


 俺のささやかな社交をよそに、ユーキアさんとアカリの稽古は続いた。

 ユーキアさんは穏やかな口調で、だけど容赦なくアカリの未熟さを指摘する。


「動きが硬いね。私を相手にそんな動きじゃ、いくら命があっても足りないわ」


「くっ」


 ならばとアカリは剣から左手を離してユーキアさんと同じ片手持ちにする。

 そして素早く横に剣を振るう。

 ユーキアさんは難なくそれを自分の剣を使って受け流す。

 間を置かずにアカリの二撃目が迫る。

 だがユーキアさんは、アカリの剣の軌跡を引き裂くように剣を振るった。

 激しくぶつかった木剣同士が大きな音を上げる。

 それだけの衝撃を受けてアカリは思わず剣を手放してしまい、アカリの持っていた木剣は地に落ちる。

 対してユーキアさんはしっかりと木剣を両手で握っていた。


「私の真似をして片手で持てばいいというものでもありません」


 ユーキアさんはまるでアカリの行動を全て事前に知っているかのように、辛口の応手でアカリを負かす。

 鍔迫り合いをしたり、まともに打ち合ってみせたりはしない。

 反応と動きの速さで、二人が互角に思える瞬間を一秒たりとも作らずにひたすら叩き潰す。


 実力の差は明白だった。

 アカリが高校生くらいなことも考慮に入れると、ユーキアさんは四十歳前後に見える。

 だけど四十代の動きには思えないくらい、キレがあった。


「厳しいなあ」


 それほどまでに実力の差があるのなら、相手に合わせてもう少し遊んであげたっていいものではないかと思う。


「厳しくしてでも己の技を子に伝えようという、親の愛なんだろうさ」


 と護衛の男は微笑ましげに言う。

 そういう教育の仕方もあるにはあるか。


「それで、ユーキアさんはどのくらい強いんだろう?」


「人の強さをどのくらいと言うのも難しいものだがな。そうだな……。そこらへんから剣の使い手を100人集めてきたとしてだ。彼女に勝てる者はいないだろうな」


「めちゃ強いじゃん」


「彼女と互角、それ以上に戦えるのは、名のある剣士だけだろう。なんでこんな田舎に彼女のような達人がいるのか、理解ができないな」


「相当な達人ってことだけは素人目にもわかったけど、そこまでとは」


 どのように母親の反撃を突破すればいいか、作戦を立てるべくじっと隙なく構えていても、ユーキアさんは不意を打って力押しでアカリの防御を突破する。

 アカリにできることと言えば、母親のスピードと力を前提に間合いを取り、自身も可能な限り速く動くことくらいだ。

 だけどその点においてはアカリはよくやっていた。

 結局ユーキアさんにやられることは変わらないが、段々とユーキアさんの速度に対応できるようになってきていた。


 不用意な攻撃は母親にカウンターの機会を与えるだけ。

 それを学んで、アカリの動きにはスピードだけでなく、含みも加わる。

 自分より先にユーキアさんが剣を振ってきても対応できる余地を持って攻撃に出る。

 仮にユーキアさんが剣を盾代わりにして守備を固めてくるのであれば、素直に叩いて防御の構えに剣を縛り付けてもよし、守りの薄いところを狙い剣の振り方を変えて対応を迫るもよし。

 そういった含み――複数の狙いを持った動きをするようになっていた。


 複数の狙いがあることを示されれば、ユーキアさんも対応の仕方を選ぶこととなる。

 アカリより先に動こうとするか、受けてから反撃に出るか、どう剣を振ってきても受けられるように防御に集中するか。

 ユーキアさんの得意としては、先に動いて相手の肉体もろとも作戦を斬り落としてしまうことだろう。

 そういう返し方を何度も見せられていた。

 しかしユーキアさんはそれまでとは態度を変えて、まともにアカリに剣を振らせてやる。

 アカリはこれを好機と捉え、連続の攻撃にてユーキアさんの剣をその場に縫い付ける。

 そして自身の木剣をユーキアさんの木剣に叩き付けて、圧力をかける。


 ユーキアさんの防御を突破するのは遠い道程に見えた。

 しかしながら一方的に攻撃をできているのだから、この瞬間はアカリが優勢を握っていた。

 このまま主導権を持ち続ければ、あるいは母親の体に剣が届くかもしれない。


 だが、ユーキアさんがすっと身を前に出して拮抗を崩した。

 鍔迫り合いになる距離でアカリの剣を受け、力でアカリを後ろに退かせる。

 そして、後退したアカリを追うようにユーキアさんはさらに大きく一歩踏み出した。


「ハアアッ!!」


 横薙ぎに振られた剣は、アカリの肉体を切断する一撃だった。

 いや、ユーキアさんが持っている剣も木製で、刃のあるものじゃない。

 だけどユーキアさんの剣がアカリの体に入り込み、アカリは斬られたように見えた。

 もちろんアカリの体に傷はない。

 ただ、アカリの握っていた木剣は半分から上が無くなっていた。

 切断されていたのだ。

 衝撃で割れたのとは違う、真っ直ぐで綺麗な断面をしていた。


「今、なにが起こったよ?」


 と護衛の男が俺に聞いてくる。


「たぶん、あんたにわからないのなら、俺がわかるわけないでしょ」


 そして半分だけになった木剣を持ったアカリも同じように、母親に問いかけていた。


「今、なにをされました?」


「なにって、究極の剣技よ」


 見ればわかるでしょう、というさっぱりした態度でユーキアさんは答えた。

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