第8話 別の人生を歩む

 俺は別の人生を歩み出していた。

 地球で死んでしまって、そうなった。

 だけど地球で生きている次郎や奈々子もまた別の人生に旅立っている。

 明莉あかりも、バンドが解散してしまっては、これまでとは違う形で音楽活動をしていかなくてはならない。


 みんな、別の人生が始まっていた。

 高校生や大学生の時に俺たちが思い描いていた未来とは別の人生。

 あの時に共有していた幻想から俺たちは旅立たなくてはならない。

 望む望まないにかかわらず。

 人生は変化していく。


 そしてここにも一人、別の人生を歩める者がいた。


「アカリ、俺と一緒に旅に出てみないか」


「えっ?」


 アカリは目を丸くして俺を見る。


「俺は女神に言われた、世界を救うってのをやってみたい。そのためにこの村から出て、旅をする。だけど俺はこの世界のことを全然知らないからな。案内役がいる」


 それに、俺が戦うと出費が大きい。

 だから大したことのない問題なら、アカリの剣で追い払ってしまいたい。

 そういう理屈もあった。


「私がコウさんの案内役を?」


 俺はうなずく。

 そして彼女を誘うなによりの理由は、彼女が明莉と同じ名を持っているからだった。

 見た目が違っても、俺はどこかでアカリと明莉を同一視している部分があった。

 明莉をメジャーデビューまで連れていけなかった代わりに、アカリの人生の手助けをしてやりたいと思ってしまうのだった。


「もしかしたらお前は、お母さんみたいに地球人と各地を歩いてみたいんじゃないか? 俺はそう博識なタイプじゃないが、もしお前が一緒に来てくれるなら、地球の話だっていくらでもできるだろ?」


 地球への関心の強さ。

 その根元にある母親の人生への憧れ。

 俺の誤解じゃなければ、アカリは俺と旅に出たいと思っているはずだ。

 そして俺の想像どおり、アカリは行きたいと言ってくれる。


「行きたいです。でも、無理なんです」


「無理?」


「母の目の病を治さないうちは、家を空けられません」


 そういやユーキアさんは失明しているのだった。

 ユーキアさんの夫の姿もない。

 亡くなってしまったのか、出稼ぎに行ってしまっているのか。

 いずれにせよ、目の見えない母親を一人置いて旅に出るというのは気が引けるというのもよくわかる。


「ああ、お母さんは心配だものな。いや待て、失明が治せるのか?」


「なにを今更。この世界にはイェン・ジェリカ様のお恵み、魔法があるのですよ?」


「そうか、魔法だものな。それくらいできるってことか」


 魔法を医療の代わりに使えるのなら、病や怪我を治す点ではこちらの世界の方が勝っているのかもしれない。


「どのくらいかかるんだ?」


「200万イェンです。それを貯めてお母様の目を治したら、その時は私もこの村を出てみたいと思っています」


 そうしたらまたどこかでお会いするかもしれませんね。

 とアカリは笑む。


 だけどアカリの気持ちははっきりわかった。

 アカリは、母親のことが心配だけども、旅には出たい。

 それならやはり俺はアカリを連れていくべきなのだと思った。


「俺がその200万円を出すよ」


 と俺は言った。

 するとアカリは青ざめて、拒絶してくる。


「そんな大金、受け取るわけにはいきません!」


 真っ当な反応だ。

 そういう真っ当な子だから、一緒にいて安心できる。

 そうでなければ、明莉と同じ名前だからって200万円を出そうとは思うまい。


「あげるとは言っていない」


 俺はこの200万円という金の意味を慎重に規定する。

 アカリを旅に出させるために。

 彼女の人生を変えてしまうために。


「返してもらうわけでもない。これは投資だ」


「投資、ですか?」


「ああ。俺は、ここでお前を獲得できればゆくゆくは200万円以上の金を生んでくれる――つまり、俺に利益が出ると踏んでこの話を持ちかけているんだ」


「私が利益を生む……」


「そうだ。200万円は、あげるわけでも、貸すわけでもない。だから、自分自身に200万円の利益を生む価値もないと思うのなら、この話は蹴ってくれて構わない」


 この話に乗ってくれれば、俺がきっと生み出してみせる。

 アカリ、お前を使って200万円どころじゃない莫大な利益を手に入れてやる。

 密かに俺は覚悟を決める。


「だけど俺は、短い時間だけどお前と接していて、アカリならそれができると思った。俺はアカリに大きな価値があると思った。あとはお前自身だ。お前自身が、アカリ・ナクミアの価値を信じられるかどうかだ」


 そして俺はアカリの返事を待つ。

 思わず説得に熱が入ってしまって、強く押しすぎてしまったかと不安になりながら。

 説得される時というのは、ぐいぐいと押されると、押された側は冷めてしまうものだ。

 俺の押し方は適切だったろうか?

 決断に迷って考え込んでいるアカリを見つめる俺の心中は落ち着かなかった。


 アカリは一分も悩んだ。

 悩んだ末に、


「私もコウさんと一緒に行きたいです」


 と答えてくれた。

 だけどそれだけじゃなかった。

 アカリは不敵な笑みを浮かべてみせた。


「本当なら1億イェンと言いたいところなんですけど、コウさんはそんなにお金を持っていませんから、特別に母の目の治療代だけにまけてあげます」


「言ってくれるじゃないか」


「言いますとも。私は、異世界人の商人と旅をした剣士ユーキア・ナクミアの娘なんですからね」


「じゃあ、アカリには早速仕事を頼みたい」


「なんです?」


 俺は、踊っている人たちを指して言った。


「俺も祭りの歌を歌いたい。どういう歌詞なのか、ゆっくり歌って教えてくれ」


「えっ、私が歌うんですか?」


 アカリは頬をひきつらせた。


「そりゃあお前の仕事だから、お前が歌わないでどうする」


「いじめですよ」


「いいから歌ってくれ。アカリだって異世界の歌は覚えてみたくなるだろ?」


 観念して、アカリは水を飲んだ。

 そして恨めしそうな目で俺を睨んで、


「地球の歌、たくさん教えてもらいますからね」


 と言う。


「もちろん」


 いくらだって教えてやるよ、と俺は思った。

 これから一緒に旅をするのだから、時間はいくらだってある。

 俺が知っている歌を全部聞かせてやってもいいくらいだ。


 アカリはゆっくりと祭りの歌を歌い、はっきりとした発音で俺に聞かせる。

 やっぱり歌は上手くない。

 下手じゃないけれど、上手じょうずそうに歌ってみせることもできないのだから。

 俺は笑う。

 そして、アカリに教わったように歌って、祭りに混ざる。

 異世界にも月や星はあり、夜空は黒く、とても楽しい夜だった。

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