第4話 エン
日本の歌となると、なにを歌ったらよいだろうかと俺は考える。
様々な時代の流行歌が思い浮かんでくる。
けれど俺たちのバンドの曲は気恥ずかしくて歌えない。
だけどユーキアさんが話題を変えてくれた。
「私も歌は興味がありますけれども、でもアカリ、聞かせていただくのは後にしなさい」
「ええー」
「コウさんには、先にこちらをお渡ししておかないといけないでしょう」
ユーキアさんは、サイドテーブルに置かれていた薄い板状の物体を俺に差し出した。
手のひらサイズで、スマートフォンを思わせる形状と大きさだった。
スマートフォンでも小さめのサイズの物。
そういうのを明莉が使っていた。
小さい方がポケットに入れやすくて便利なのだと言っていた。
それよりももう少し薄くて、白金色をしている。
俺はその板状の物体を親指と人差し指でつまんで、両面を観察する。
液晶もボタンの類も見当たらない。
だとするとスマートフォンではなくて、ICカード的な物なのか?
それにしたって、文字もデザインも無いのだけれども。
「これは?」
「王者のカード。または、
「いかにも異世界から送られてきた人間が持たされそうな物ですね」
大仰な名前だ。
だけどその名に見合う物体であろうと察せられる。
「平たく言えば、分厚いお財布ですね」
「えっ、財布?」
「私たちもそういうカードは持っています。けれど、ほら、私たちのは薄いでしょう」
ユーキアさんは懐から白いカードを取り出して、俺に見せた。
同じ物をアカリも持っていて、見せてくる。
それらと比べると俺の渡された物は分厚くて、あとは豪華そうな色をしているだけだった。
「なんだ、財布か……」
「『なんだ』ではありませんよ。そこにお金が入っているはずです」
「なにも入っていませんけど」
分厚いカードを振ってみても、硬貨や紙幣の音はしない。
そもそも、分厚いとは言え、カード状の厚みしかないのだから、あんまりお金は入らないだろう。
いや、やはりICカード的な物だということか。
「念じれば、カードの表面に数字が現れます。それがあなたの所持金です」
「なるほどね」
金額を確認したいなあ、などと思ってカードの表面を見つめてみれば、黒い文字が浮かび上がってくる。
カード全体が液晶のように文字を表示できるようだ。
これは相当発達した科学技術があるか、魔法の力かってことだけど、地球と比べてここの文明は未発達だそうだから、これは魔法だとわかる。
異世界に来て初めて目にする魔法が「Y10,000,000」という文字列とは、なんとも味気ない。
「この、『Y』っていうのは、お金の単位ですか?」
「ええ。イェンと言います」
「へえ、こちらの世界でも、通貨の単位は円なんですか!」
なんて奇遇だ。
でもエンっていうのは、彼女の信じる女神の名前とも通じるな。
確か女神の名前は、エンジェリカとか言っていた。
「もしかして、こちらでは女神の名を通貨の単位にしたんですか?」
「それは少しだけ違います。元々全く別の意味をもっていたものが、通貨にもなったのです」
「ん? それはどういう?」
「イェンは、魔法を使うためのパワーの量を示す単位です。そのパワーを女神イェン・ジェリカ様に捧げることで、私たちは魔法を使えるのです」
円が、パワー……。
同じ名前でも日本とは背景が随分と異なるわけか。
「魔法っていうのはつまり、なにもないところから火を出すとか、そういうものと思っていいのですかね? それと、このカードに文字が現れるのとか」
そういうものです、とユーキアはうなずいた。
さらにアカリが補足をする。
「火だけじゃなくて、風を生んだり、雨を降らせたり……。戦争にだって使われます。まあ、普通の人のパワーでは到底できませんけど」
「願いに見合う量のパワーを女神様に捧げることが必要なのですよ。そのパワーの量を数値として表すために、女神様の名を取ってイェンという単位が定められたのです」
「そのパワーが、今では魔法のためだけでなくて、通貨としても用いられているわけですね」
イメージはできる。
魔法を使うために女神に捧げるパワーっていうのは、ゲームみたいに考えればMPなどと言われるものだろう。
魔法が使える世界でMPを他人とやり取りできるのなら、それは通貨としても機能させられる。
実際にそれを制度として規定し、世の中を回してみせているということだ、この世界は。
「そういうことです。理解が早いですね」
「ユーキアさんの説明が凄くわかりやすいからですよ。流石、地球人の傍にいただけのことはありますね。慣れていらっしゃる」
「まさかこんな経験が今になっても活きるとは思いもしませんでした」
ユーキアさんは嬉しそうに笑う。
さっき顔を合わせたばかりだけれども、俺と話していてユーキアさんの生気が戻ってきているように感じられた。
若い頃、まだ目が見えていた頃に心が戻っているというか。
そういうふうに役立てるのは光栄なことだと思った。
世界を救うなんて規模ではないけれども、人の笑顔は良い。
笑顔を見れば、こちらも嬉しくなってくるのだから。
「しかしまあ、1000万円か……。1000万円じゃあ世界を救うどころか、遊んで暮らすにも全然足りないな」
「一生豪遊して暮らすのは、それは難しいかもしれませんけど。でも、1000万イェンあれば一人の人間が生きていくのには困りませんよ」
とアカリは羨ましそうに言った。
「そういうもんなのか。物価が違うのかねぇ」
今の日本だと、1000万円だけでは一生暮らすのだって無理な話だ。
でもそれは今の日本での話。
昔の日本ならまた事情は違うし、日本ですらなく異世界ともなれば、俺の尺度が通用しないのも道理か。
普通に暮らす分には支障ないと言うのであれば、のんびりと生きていきながら自分の役目を見つければいいか。
できればこの家に住まわせてもらえたらありがたいのだけど、それは厚かましいお願いだろうか。
でも頼むだけ頼んでおいた方がいい。
そう考えていたところに、外から、
「金を出せー!」
という、いかにも厄介事らしいセリフが聞こえてきてしまった。
それも面倒なことに、金を出せという要求は多くの人に向けられたもののようだ。
複数の男が歩きながら大きな声で、演説をするかのように家々に呼びかけていた。
「我々には人質がいる。この村の幼子たちだ。解放してほしくば、1000万イェンをよこせ。これは他人事ではない! この村に住むお前たち一人ひとりが金を出さなければ、1000万イェンという大金は出てきようがないからだ。出てこなければ人質は死ぬ!」
「お母様はここでじっとしていてください」
とアカリは階段を下りていく。
俺もそれを追う。
下の階でアカリは髪留めの布で長い髪の毛を一つに括る。
そして壁にかかっている武器から、刀の下にかけてある剣を手に取った。
強盗と戦うつもりらしい。
「刀じゃないのか?」
「カタナはお母様の物ですし、高価な物ですから使うべき時というのがあります」
とっておきの品物ってわけか。
今こそとっておきを使うべき非常事態と思えるけれども、強盗をする低俗な輩の血で高級品を汚したくないってのもわかる気はする。
「と言うか、戦う気なんだな。人質がいるって言っていたぞ、小さい子」
「だからと言って、言いなりにはなれません」
「そうだろうけども」
「静かに」
アカリは家のドアの前で息を潜めた。
家から出ろ、畑から戻れ、村の広場に集まって金の寄付をしろ。
そのように呼びかける男たちの一人が、この家のすぐ傍まで来るのを待ち、ドアを勢いよく開けるとともにアカリは飛び出す。
最初にドアの開く音、悪漢の驚く声、そしてくぐもった悲鳴。
わき腹を斬られた男は倒れる。
アカリの奇襲によっていくつかの音がアカリの周りで表現され、悪漢の体からは血が流れた。
極めて素早いアカリの動作自体はそれらの音に隠されてしまい、一瞬のうちに起こったことの仔細は形跡に残らない。
素人の評価ではあるが、綺麗な動作だった。
あまりに速くて彼女がなにをしたのか、細かくはわかっていないけれども、洗練された綺麗な動きだったということだけは言える。
そういう攻撃だった。
「しかし、いいのか? いきなり飛び出して」
人質もいるのに、どうするのだろう。
仲間をやられて、五人の強盗が怒号を上げながら走ってきた。
そして男たちはアカリを取り囲む。
アカリは強盗たちを睨みながらも、表情以外は澄ました態度で静かに剣を構える。
「やばいんじゃないのか?」
「助けないとまずいでしょうね」
まだ家の中にいる俺に、ユーキアさんではない誰かが後ろから話しかけてきた。
振り返ると、俺に声をかけてきたのは、明莉だった。
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