第2話 異世界の侍

 真っ白な夢が終わってから、随分と時間が経って俺は目覚めた。

 夢のない眠りの間にどれほどの時間がかかるのか、その体感時間をはっきり説明することはできない。

 しかし目覚めた時に、白い夢のことはすぐには思い出されなかった。

 だから、少なくとも夢を見ている途中で起きたっていうことではないし、それじゃあ起きた時にどんなことを考えたかと言えば、よく寝たような気がするなあ、なんて思ったのである。


 体を起こすと、頭が痛んだ。

 背中とか体中の様々な場所にも少し痛みがあった。


「いてえ……。それに、どこだここ」


 天井も壁もその表面は木材で作られていて、地方の古民家に泊まったみたいな見た目だった。

 窓から日が射している。

 その日差しの強さからすると、どうやら昼間らしい。

 相当な古さの家なんじゃないかと思ったが、よく見てみると俺が寝ていたのはベッドだった。

 そういえばガラス窓っていうのも、なんだか和風な感じがしない。


 先に見当がついたのは、痛みの方だった。

 俺は交通事故に遭った。

 その痛みだ。

 生きているってことは助かった……というわけではなかったな。

 真っ白な夢のことを俺は思い出すことができて、それでここが日本ではないことをわかった。


 それで俺は天井を再び見て、照明の類が無いことを確認した。

 家の天井に照明が無いのなら、俺が生きてきた世界よりも科学的には遅れているってことが推測される。

 全身の痛みは気になりはしたが、立ったり歩いたりを恐る恐るしてみたら、普通にできた。

 現状は軽めの痛みだけで済んでいるみたいだ。

 動けるのは良かった。


「ファンタジー、中世……、RPGとかそういう世界ってことなのかねぇ」


 窓の外を見てみると、二階からの風景だった。

 そして一目で田舎とわかる、のどかさがあった。

 道路は土を踏み固めた程度のもので、やっぱりアスファルトなんかは使われていなくて、せいぜいが石だ。

 少し遠くには畑があり、さらに遠くには森や山が見える。

 そのどこにも電柱や電線は見当たらない。

 こんな風景では、電気を使わない生活の覚悟はしなくてはならない。


「そういや、ギターはあるんだろうか」


 エレキギターは流石に無いだろうけれども。

 だけど、電気の必要なアンプを使わずとも演奏に使える、アコースティックギターなら発明されていたっていいんじゃないか。


「せめてクラシックギターくらいは欲しいよなあ……」


 俺はエレキギターを弾く手の動きをした。

 バンドで演奏していたオリジナルの楽曲が想像の中で流れる。

 そして明莉あかりが歌い出す。

 美しい、明莉の歌声。

 地球とは違う世界に来てしまったのだから、あの歌声を聞くことはもうできない。


 ああ、それなら俺にギターを弾く理由も無くなったのか。

 俺には音楽の才能は無い。

 あの真っ白な夢で声の女性に言われたように、上手じょうずそうに弾くことしかできないのだから。


 俺は手を止めた。

 想像の中の音楽も止まった。

 俺がこの世界でやるべきことは、ギターを探すことじゃない。

 じゃあ、なにをしたらいいんだ?


「目が覚めたんですね」


 細身の女性が階段を上がってきた。

 小さなしわの見える顔は彼女を中年くらいに思わせたけれども、綺麗な女性だった。


「あ、はい。お世話になってしまったようで……」


「体ももう動くみたいですね」


「ええ。このとおりです」


 俺は腕をぶんぶんと回してみせる。

 激しく動けばやっぱり痛みはあるけれども、平気なように振る舞うくらいはできた。

 中年の女性は曖昧な表情のままうなずく。


「アカリ、来てちょうだい。お客様が目を覚まされたわ」


 と階下にそう呼びかける。


 アカリだって?

 明莉がここにいるのか?

 あり得る話だ。

 真っ白な夢の声の女性は、素質があれば後は問わないと言っていた。

 ならばこっちに来ているのが俺だけではないとも考えられる。


「ごめんなさいね。私は目が見えませんで、手当てをして差し上げられないのです。今、娘が来ますから、なにかあれば申し付けてください」


 そう言って、中年の女性はベッドの傍にある椅子に腰かけた。


「娘さん?」


 目の見えないと言う女性に呼ばれて階段を上がってきたのは、確かに一目で血のつながりがわかる若い女性だった。

 二人の目はどちらも大きくて丸みを帯びていて、優しそうな目をしていた。

 体は細いものの、筋肉のついた芯の強い体つき。

 それに遺伝子とは関係がないけれども、髪の毛を長く伸ばしているところも同じで、とてもよく似ている親子だ。


 そして、そういった特徴は俺の知る明莉とは全く違っていた。

 明莉はどんな眼鏡をかけても意地悪そうな尖った目のままだったし、極度のインドア派だったから骨のような薄い体をしていた。

 なによりも明莉の場合、美人とかいう素直な褒め言葉よりも、蠱惑的とかいった印象の方が先に立つタイプだった。

 俺の目の前にいる二人には、そういう不用意に人を惑わすような色香は無い。

 名前は同じでも、アカリと明莉は全くの別人だった。


「お加減はどうですか」


「ああ。まだ少しだけ痛むけど……、問題はないかな。お二人のおかげで良くなったみたいです」


 見えていないと言っていたけれど、俺はアカリの母親にも頭を下げて礼を言う。

 アカリは上から下へ視線を移動させて俺の全身をさっと見る。

 俺もアカリを観察する。

 高校生くらいの年齢だろう、少なくとも俺より年下に見える。


「見た目には、おおよそ回復しているようですね。ちゃんと立てていますし」


 大丈夫だ、と俺は答える。

 俺がいい具合に復調していることをわかったアカリは、


「それであなたは、一体どちら様なんですか?」


 と尋ねてきた。


「あなた、空から落ちてきたんですよ」


 アカリの母親は、面白がって笑う。


「空からですって?」


「なにか良からぬ人ではないかと思って、アカリがカタナで斬ってしまおうとしたんですよ」


「それはお母様がそうしろと仰ったのでしょう! 私は、そんなことをするもんじゃない、とお母様に申し上げたのです」


 アカリは母親に怒る。

 母親はますます笑った。

 笑い事ではありません、とアカリはまた怒る。

 俺からしても笑い事ではない。


「俺、死んでたかもしれないんですね」


「空から落ちてきたのに生きているのだって不思議なことですよ」


 とアカリの母親は言った。


「なにがあったのか、覚えていないんですか?」


「うーん……」


 俺は答えられなかった。

 バイクに轢かれたけどこっちの世界に転移してきたんですよと言って話がまともに通じるかどうか。

 それを心配すれば、むやみに答えない方が良いと思った。


「お名前は? わかりますか?」


「それなら。俺の名前は、鴎鉄おうてつこうです」


「オーテツさんと仰るんですね。私は、ユーキア・ナクミアと申します。こちらは娘のアカリ・ナクミア」


 よろしくお願いしますね、とアカリは微笑んだ。


「ああ、そういうことでしたら、俺はコウ・オーテツです」


 と俺は名乗りなおした。


「はい?」


「俺の生まれ故郷では、ファミリーネームが先に来る風習なんですよ」


「へえ。そのようなお国があるのですね。でしたらコウさんの古里流に名乗りますと、私たちはナクミア・ユーキアとナクミア・アカリということになりますか」


「そういうことです」


 俺は笑顔になってうなずく。

 母親のユーキアさんは俺と打ち解けようとしてくれていて、俺としても親しみやすかった。

 娘のアカリの方も好意的ではいてくれるんだけれども、どこか緊張している様子で硬さがある。

 それで俺はアカリに話を振ってみた。


「それにしてもカタナって、片方にだけ刃のある剣のことだろ。そんな物騒な物を扱えるのか、あんたは」


「母が剣士でしたから。幼い頃から手ほどきは受けていますし、部外者から村を守る番人の仕事だってしています」


 アカリは自慢げに言った。

 剣が使えるというのは素直に感心した。


「へえ、凄いんだな。俺は剣術なんて習ったことないし、刀の実物を見たさえことないよ」


 いや、見たことはあったかな。

 小学生だか中学生だかの時に、校外学習みたいな感じで出かけた美術館で。

 握るところのない、刃の部分だけの状態で飾られているのを見たことがそういえばあった。

 ってかそれは日本での話だ。


「カタナを見たことがないのは、それはそうでしょう。そうたくさんある物ではありませんから」


 とユーキアさんが言った。


「ああ、そういうもんなんですか」


という場所から来た異世界人が伝えた武器です。異世界の技術で作られた物の再現なんて、腕に覚えがあって物好きな人間でないとできません」


「母も物好きなので、金に糸目をつけずに買ってしまったというわけです。昔は用心棒として、さる豪商に仕えていましたから、そのくらいのお金はあったそうですよ。今となってはそんなお金、見る影もありませんけど」


 アカリは呆れたようにそう言った。

 だけどアカリの言っていることは俺の耳にはあまり入ってきていなかった。

 その前にユーキアさんが、とんでもないことを言っていた。


「ニホン……日本人がいるのですか、この世界に?」


「やはりあなたも異世界からお越しになったんですね。異世界から人が来ることは、あることですよ、私たちにとっては」


 ユーキアさんは俺を落ち着かせようとするみたいに穏やかな声で言った。


「俺も異世界……地球の日本という所から来たんです。信じてくれますか?」


「もちろん信じます。異世界人でない人間が空から落ちてきますか? こないでしょう? だったらあなたは異世界人なんですよ」

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