第42話 大切な人の温もり
ローゼマリーは、たった一枚奇跡的に残った肖像画の中の両親に語りかけた。幼い少女と共に椅子に座り幸せそうに微笑む王と王妃。二人の事はほとんど覚えていなかった。この城の中には、彼らをしのぶものは何も残されていない。
「信じられる? 私一人が生き残って、ここへ戻ってくることができたのよ」
指先でそっと二人の姿を撫でたが、絵の中で静かに笑っているだけだ。ローゼマリーは無性に寂しくなり、クラウスに会いたくなった。いつでも会える人なのに不思議だ。王妃が持っていた形見の指輪をはめてみる。私もいつかこんな指輪をもらえる日が来るかしら。
「ねえ、クラウス。入ってもいい?」
女王になっても、堂々としているのは難しい。
「ちょっと今着替え中だから、待ってて」
クラウスは兵士の服から普段着に着替えた。
「クラウス、この城は多くの人の怨念が渦巻いて、思い出すと眠れなくなる。今日は子供の頃のように、同じ部屋で寝よう」
何を言い出すのかと思ったら、一緒に寝ようだなんて。まあ、確かにこの城は血なまぐさいことがあり、彼らの怨念が渦巻いているかもしれない。しかし、いまさら子供に戻って、一緒に寝ようなんてどういうことだ。
「ああ、いいよ。好きなようにして。小屋は小さかったから、もっとそばに寄らなきゃな。それに悪いやつが忍び込んでくると来るといけないから、俺のそばにくっついてろ」
「分かったわ」
「ベッドも小さいから俺の背中にくっついてなきゃ眠れないよ」
「うん、くっついてる」
ローゼマリーはあの頃と同じように、ベッドもぐりこみ俺の背中にっくっついて顔と手をこすりつけている。でもあの頃と全然違う。あの頃はただ可愛かっただけだが、ふっくらとした体は、俺の心を狂わせ正気ではいられなくする。四歳の時に戻れるわけがない。
ローゼマリーは指輪をかざしている。王妃がしていた指輪。思わせぶりな態度だな。
「ローゼマリー、あの。俺、八歳の時には戻れないんな……」
「どういうこと……」
背中に顔を擦り付けるのは反則なんだ。今の俺は二十二歳だ。
「もう、二人で一緒に暮らすしかないんじゃないのか。どう思う?」
こ、これはプロポーズ? とうとう言ってしまった。起き上がって、ローゼマリーの反応を見る。どきどきして、心臓が止まりそうだ。断わられたらどうしよう。じっと顔を覗き込み、考えている。長い……長すぎる……。
「そうね、それがいいかもしれない」
彼女の返事も拍子抜けするほど簡単なものだった。
「指輪、私にも作ってくれる?」
「うん、特注品のを作る!」
「クラウス、一つだけ私のわがままを聞いて。恋をしてみたいんだけど……」
「恋?」
「今まで、ドキドキしたり、わくわくしたり、会えなくてつらい思いをしたり、そんな思いをしたことがなかったから」
「来月の舞踏会は中止にしてもらおうと思ったけど、やっぱりやろう。そこでローゼマリーは誰かが誘ってくれるのを待っている。そこへ、飛び切り魅力的な男性が現れて、その人に恋をする」
「素敵ね。今から楽しみだわ」
そんな思いを味わいたかったのか。
話をしながら、王女は家臣の部屋で一晩過ごしてしまった。誰にも知られることなく……
しかし、早朝抜け出して部屋へ戻ると、リンデルに見つかってしまった。
「心配しておりましたよ、ローゼマリー様。どちらにいたかなどという野暮な質問は致しませんが、人の噂にはお気を付けください」
「あのね、リンデル。私は、この国を逃げ出してからずっとクラウスと一緒だった。これからも多分一緒だと思う。クラウスもそう。私と離れたら独りぼっちになってしまうもの」
「よろしかったですね、ローゼマリー様。ようやくそのことに気付かれたのですね」
リンデルが、こんなに笑顔で仕事をするのを始めて見た。いつもは厳しい顔で働いている彼女が。
ザシャに報告すると、彼はやっぱりそうだろうという顔でクラウスに肘鉄をくらわした。
荘厳な城の寒い冬は、人々の活気で何とか乗り切れそうだ。養子として育ててくれたブリーゲル夫妻には、せめてものお礼にフォルスト公国の自然の恵みを季節ごとに届けることにした。いつか男爵家で働く人たちも城へ招待しよう。
舞踏会の日が来て、ローゼマリーは女王の椅子に座って踊りを見ている。姫はいつかその輪の中で、大好きな人と踊るのだ。夢見るように待っていると、クラウスが目の前に来て跪(ひざまず)き挨拶をした。
「僕と踊ってくれますか?」
「お待ちしてました……」
人々の歓声と、ため息があちこちから聞こえる。今まで何度も舞踏会をやってきたが、二年間誰一人として彼女の心を虜にすることが出来なかった。それが、クラウスの腕の中でうっとりした表情で踊っている。今までずっとそばにいた人の腕の中で。不思議な感覚だった。人々の輪の中で、二人は時間も空間も飛び越えてしまうように軽やかに舞った。
ローゼマリーは、大臣に目配せした。
「ローゼマリー王女様は、クラウス様と相思相愛の様でございます。お二人に祝福を!」
彼女を狙っていた男たちは、皆失望し、女性たちは羨望のまなざしで見つめた。
クラウスは手を握って思った。俺たちは兄妹ではなく他人になった。だけど兄妹以上なんだ!
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