第36話 城から届いた知らせ

 翌日の夕刻になり、約束通りグスタフは二コラの元へやってきた。今日は使者がリベール王国へ出発する日だ。二コラは努めて落ち着いて振る舞った。


「ようこそいらっしゃいました。お待ちしていました」


 ドレスのすそがゆらゆら揺れて、それをグスタフの眼が追っている。二コラはわざと揺れるようにゆったりと歩く。 


 ホフマン夫妻は、挨拶をして応接間へ通した。彼らは案内すると、二人を残して部屋を出て行ってしまった。舞踏会の時に比べると、格段に自信に満ちたグスタフの様子に驚いていた。


 二コラと二人きりになると、何のためらいもなく抱きしめて再会を喜んでいる。二コラはグスタフを騙しているようで、気の毒になってしまった。しかし、同情なんてすることはない。


「待っていたようだな」


「もちろんでございます。夕刻になるのが待ち遠しかったですわ」


 その言葉を待っていましたとばかり、再び抱きしめて耳元で囁く。


「二人きりになれましたね」


「ええ……」


「リベール王国へ向かった使者は、ご両親に会って結婚の申し込みもしてくることになっています。本当に楽しみだ」


 グスタフは手を握り、目を潤ませている。


「早く一緒に暮らしたいですわ」


 二人で手を握り合っていると、侍女のリンデルが入って来て、お茶と焼き菓子をテーブルに置いた。


「このお菓子、昨日お嬢様が時間をかけてあなた様のために焼いていたのですよ。私が言うのもなんですが、とっても良くできているんです。お嬢様が誰かのためにこんなことをされるのは初めてです。もう、いじらしいですわ。一緒にお召し上がりくださいね」


「恥ずかしいわ。形もいびつだし、うまくできたかどうか自信がない……」


 二コラが恥ずかしそうに言うと、お菓子をじっと見つめた。


「よくできていますよ。美味しそうだ」


 そうはいったが、王の息子、毒見をしないものは食べないものだ。自分からは手を出さない。まずは二コラが食べてみせる。


「作ってから、自分で味見してみたのですが、やっぱり美味しいわ。リンデルも食べてみて」


「はい、はい、どうでしょうか……あら、美味しい」


 二人が食べても何ともないことがわかり、ようやくグスタフが一つつまんで口に入れた。ジャムも塗られているので結構甘味があり、お茶が欲しくなる。


「甘いわねえ。お茶とよく合うわ」


 リンデルが、一緒に持ってきたお茶を勧める。二コラが先にお茶を飲むと、グスタフも飲んだ。二コラがパクパクといくつかつまむのを見て、安心して食べている。


「お嬢様がお料理もなさるとは、何と素晴らしい」


 良家の姫君は、料理をしないものだと思っているのだろう。


「お嬢様は、やらなくてもいいと言っても手伝ってくださるんです。本当にお優しい方なんですの」


 リンデルの言葉に、更に目じりを下げて食べている。すっかり信用しきっているようだ。


「では、私は下がります。お二人のところを大変失礼いたしました」


 グスタフは、彼女の態度も気に入ったようだ。


「良い侍女を持っているな。城へ来た時はつけてもいいぞ」


「まあ、お優しいお言葉。リンデルも喜びます」


 リンデルは昨日あんなに張り切って焼き菓子を焼いていた。味見をしても何ともなかったし、今も食べても何も起こらなかった。飛び切り美味しいだけで、他は何の変哲もないお菓子だ。二コラもグスタフも持ってきてくれたお菓子をほとんど二人で食べてしまったが、別段変わったことはなかった。更に信用されるように気合を入れて作ったのね。そう思いながら、お茶をすすった。


 夜も更けてきて、夕食も一緒に召しあがりますか、と訊くともうそろそろお暇すると言って帰って行った。

 ああ、これで又一日が何事もなく終わってしまう。帰りがけにクラウスが何かを仕掛けるのだろうか。二コラは門のところまで送り、馬車が見えなくなるまで見送った。そこでも何も起こらなかった。


「また明日もお会いしましょう」


 グスタフの言った言葉に、二コラはうなずいた。


 帰りがけに焼き菓子を手土産に渡した。是非ともゲレオン様にお渡しください、お茶も一緒にお召し上がりください、という言葉を添えて。



                   ⋆


 その知らせが届いたのは、翌日の昼過ぎの事だった。


「ゲレオン様が倒れた!」


 城から連絡を訊いた財務大臣が屋敷へ知らせを持ってきた。あんなに剛健な体を持つゲレオンが倒れたと聞き、皆耳を疑った。


「ゲレオン様がっ! どういうことですか? ご病気ですか?」


「まだここだけの話だ! 突然倒れて苦しみだし、そのまま息を引き取られたのだ」


「信じられない! 亡くなられたなんてっ! 心臓の発作か何かでしょうか?」


「それ以上の事は申し上げられん。詳しいことは追って連絡するから、自宅で待機するように!」


 クラウスはゲレオンのあっけない最後に、皆唖然としていた。


「俺たちが画策していた間に、自らの病で倒れてしまったようだ」


 レオンも意外そうな顔をした。


「今まで持病があるなんてことは、聞いたことがなかった。頭の血管が切れてしまったのだろうか?」


 エリーゼは葬式の心配をしている。


「ゲレオンが死んでしまったら、盛大な葬式をして、その後は息子のグスタフさまが国王になられるのでしょうねえ」


 ニコラも驚きを隠せなかった。あと二日で逃げ帰らないと危ないと思っていた矢先の事だ。


「お城は今頃てんてこ舞いでしょうねえ。お医者様も呼んだのかしら?」


 リンデルが言った。


「そうでしょうね。大騒ぎになっているでしょうね。あの無敵のゲレオン様が死んでしまったのですから」


 そのころ城内は、騒然となっていた。突然倒れて苦しみだし、医師が来るのも待てずに原因不明で死んでしまったのだから。


 始めは毒殺説が飛び交い、厨房の人々すべてが疑われた。しかし口にしたものはすべて毒見していたし、飲み物も再び毒見してみたが、毒見役が倒れることはなかった。もしやと思いニコラにもらった焼き菓子を毒見役に食べさせたが、何ともなかった。兵士たちに見張られていたメイドや、厨房の人間たちも無罪となった。


 グスタフは城の兵士たちに、父王は突然の病で崩御されたと伝えた。大臣たちにもこれが王の天命だったのだと話した。父なき後は、自分が王位に就くのだからあまり騒ぎ立てしないほうが良いとさえ思い、これ以上詮索するのはやめた。


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