第33話 ニコラに恋するグスタフ

 そのころ控えの間にいた侍女のリンデルは、内部の様子を探るために部屋の中を歩き回っていた。窓の外を眺めたり、調度品をいじったりしていたが、部屋の中にじっとしていられなくなった。廊下に出ると、丁度メイドが歩いていたので彼女にトイレの場所を聞いた。


「ああ、トイレでしたら、お部屋の中にある扉を開けて頂ければすぐ前にございます。ご案内しないで申し訳ございませんでした」


 ああ、それじゃあ仕方がない。今度は、お茶をトイレにこぼして廊下に誰もいないのを見計らって厨房を探りに行こう。大きなお屋敷の厨房は大抵地下にあった。階段を降りて行くと、いい香りが漂っていた。やはりここが厨房だった。服装もメイドに似ていて地味な黒のドレスだからここの人たちは、わからないかもしれない。


「あのう、お茶のお代わりを持って行きたいのでお願いいたします」


 さりげなくいってみた。忙しそうに立ち働く人たちは、あまりリンデルには目もくれず返事をした。


「そこへ置いといてくれ、今お湯を沸かすから」


 完全に、メイドと勘違いしている。たとえばれてしまっても、お付きの侍女でお茶をもらいに来たと言ってごまかせばいい。


 野菜や魚、肉など様々な食材が、調理台の上に並べられている。さぞかし毎日豪勢に食卓を飾っているのだろう。大きな川魚がバットの中に並べられている、下のバケツには、魚のはらわたや肉の骨、野菜くずなどが放り込まれている。それらの廃棄物に交じって、使われていない小さな川エビが捨てられていた。あら、そのまま捨てられている。まだ食べられるのになんてもったいないことをするの。


「あら、エビを間違えて捨ててしまったんですか? 私が拾って上に置いておきましょう」 


 すると、包丁を持った調理人が慌てて答えた。


「漁師から買った魚の中に混ざっていたんだ。エビは……そのまま捨てておいてくれ!」


「なぜなのですか?」


「余計な詮索をするな。触るなよ!」


 それは、誰かの体に合わないということ。


「こちらの厨房で作ったものを、ゲレオン様やグスタフさまもお召し上がりになるのですね?」


「そうだ。今作っているのはゲレオン様のだ。グスタフさまは今日は夕食は遅くてよいとおっしゃった。何か御用があるのだろう」


 まあ、そんなに遅くまで留め置いておくつもりだったのかしら。二コラ様が帰れなくなっちゃうじゃないの。


「お湯が沸いたようだ。早くお客様にお持ちして」


「はい」


 リンデルは、紅茶のポットを持って階段を上がっていった。


 控えの間にいたクラウスには、異様なほどの力が二コラのいる部屋から漂ってくるのがわかった。二コラが苦しめられている、と彼は魔力で感知した。


 クラウスは、二コラのいる部屋へ走った。ここから嫌な圧力が感じられる!


 ドンドンと扉をノックした。廊下で控えている見張りの兵が何事かと傍へやってきた。しかし、ノックの音はもう聞こえているだろう。

 良いところだと気分が高揚していたグスタフは、イライラして声を荒げて答えた。


「誰だ!」


「クラウスです! 失礼いたします」


 自分でドアの取っ手を回して、中へ入った。兵士はクラウスの体を押さえつけていが、都合の悪いところを見られてしまったグスタフは、二コラの体を離した。


「何だ!」


 折角良いところだったのに、邪魔をするなと言いたいのか。体を解放されても、二コラはまだ震えが止まらなかった。ブルーノを撃退したときのように、電気で打たれたような刺激を与えることもできたが、怪しい奴らだと捉えられてしまうかもしれないし、復讐はもうできなくなる。チャンスは一度しかない。慎重に動かねばなるまい。


「申し訳ございません。もうそろそろ帰りませんと、ホフマンご夫妻が心配されると思います」


「まだまだ、日が高いわ!」


 兄に都合の悪いところを見られ、開き直っている。


「妹が心配で、来てしまいました。両親からしっかり監視していろと言われてきましたので」


「ふん。じゃあ、おまえもここにいればいいだろう。仕方ないっ、入れ!」


 今度は兄の監視付きで、逢引きをするということらしい。何が楽しくて三人一緒の部屋にいるつもりなのだろう。


「クラウスとやら、お前たち兄弟は仲が良いなあ。こんなに兄がぴったりとついて監視していたら、いい男がいても付き合いにくいだろう」


 いい男とは自分の事を言っているのだろうか。全くあきれてものが言えない。色々な質問をされないよう、何か時間稼ぎにこちらから質問してみよう。


「他国から来た者が失礼とは思いますが、質問させていただいてもよろしいですか?」


 クラウスはお伺いを立てた。


「ああ、どうぞ。答えられる範囲で答える」


「グスタフ様は、おいくつでいらっしゃいますか?」


「歳は、二十五才だ」


「ニコラは十六歳ですので、かなり若いです」


「まあ、丁度良い所だろう」


「逞しい体をしていらっしゃいますが、剣術で鍛えていらっしゃるのですか?」


「そうだ。いつどんな敵に遭遇するかもしれん」


 そう言って、クラウスをじろりと睨む。嫌な奴だ。


「もし妃をもらわれたら、この建物で暮らすことになるのですか?」


 今度は、二コラの方を向いてにやにやしている。またしても嫌な奴だ。


「そうだ、俺の部屋の隣を妃の部屋にしよう。いつでも呼べるようにな。良い考えだろう」


 クラウスは、ゲレオンが極悪非道でも、息子が慈悲深い青年だったらニコラが望めば妃になるのも悪くはないのではないかと一瞬考えた。それには、こいつの本性を知りたいものだが。


「ニコラを妃にしたら、大切にするおつもりはありますか?」


 その質問を聞いた二コラは、目をぱっちりと開けてクラウスを見た。なにを訊いているの、そんなことありえないじゃない、というのが二コラの考えのようだが。


「おお、兄としては妹の嫁ぎ先は心配だろうな。でも心配はいらない。私は、この国で最高の権力者ゲレオンの息子なのだ。何不自由ない生活が約束されている」


「失礼なことを聞いてしまいました。当然の事でした」


「しかし、私の邪魔をするものは容赦しない」


 その言葉を聞き、寒気がした。やはりこの男ゲレオンと性格は全く変わらないのだろう。そんなグスタフでも、二コラの隣に座ると嬉しそうに時折微笑んだり手を伸ばしそうになる。その度にクラウスがその手をちらちらと見ていた。


「手ぐらい握ってもいいだろ、ニコラ。おお、細くて柔らかい手だ。それに暖かい」


 ニコラは嫌な顔一つせずに、よく耐えている。時折思わせぶりに、ごつい手を握り返している。


「私たちは当分ホフマン家にいますので、いつでもお呼びください。喜んで、グスタフ様に会いに伺います」


 二コラが思い切ったことを言った。それを聞いた時のグスタフの顔と言ったらなかった。いかつい体からは想像もできないような、恥ずかしそうな表情をして、恋する少年のような瞳で二コラを見つめていたのだ。


「では、大変残り惜しいですが、今日のところは失礼させていただきます。素晴らしい時間でした」


「やはり、もう帰るのか……必ずまた来てください。次回は父ゲレオンに紹介しますから」


 恋する青年グスタフは、二コラの手に口づけをしてようやく解放してくれた。故郷へはお帰りにならないように、という言葉を残して……。監視がついているのだから帰ることなど不可能だったが。


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