第32話 ニコラ、グスタフと二人きりに

 舞踏会の翌日、外へ出てみると門の前に兵士が数人見張りをしていた。やはりグスタフの言ったとおり、気付かれないように帰ることは不可能だった。馬車に乗らなければ帰ることはできないし、その馬車が見張られていたら、到底移動することなどできない。ましてや、逃げたことがばれたら、何をされるかわかったものではない。数日間は何の音さたもなく、兵士がいることを除けば、平穏な日々が過ぎていった。


 そんな日々を打ち砕くように、城からの使者が手紙を持って屋敷を訪れた。


 手紙のあて名は二コラで差出人はグスタフだった。使者は、返事をすぐに聞きたいと、玄関ホールで待っていた。なんと図々しい人だろう。


『ニコラ様、御機嫌麗しくお過ごしのことと思います。この間の舞踏会では素晴らしい踊りを皆に披露できて満足しております。私グスタフは父上の仕事の片腕として大変忙しい日々を過ごしておりますが、ようやく、一日自由に過ごせる日が出来ました。そこで、我が城へご招待し、城での生活についてもっと知っていただこうと思います。きっと将来役に立つでしょうから。では、明日お待ちしております。グスタフ』


 こんな手紙をもらっても、行くしかないではないか。返事を待っているなどと殊勝なことを言っているが、行きます、と答えると使者は当然だと言わんばかりに、踵を返して帰って行った。本当におめでたい人だ。

 ニコラは、明日城へ招待されたと皆に伝えた。ホフマン夫妻は、来るべき時が来た、というような悲壮感漂う表情をしていた。クラウスとリンデルは覚悟を決めた。まだゲレオンと二コラの事を知らないザシャは、二コラの顔を見てにやにやしている。


「ニコラさん、王子様に気に入られちゃったみたいですね。大変なもんだなあ。このまま故郷へ帰れなくなってしまうかもしれませんね」


 と、ただただ感心している。


 子供たちは、お城の中は広かった、とかゲレオン様は恐ろしかった、などと聞いてくる。子供達にまで恐れられているのかと思うと、身震いがしてくる。


 お城へ上がる日が来て、二コラは朝から侍女の手を借りて髪を結い、持参してきた中で一番美しいドレスを身に着けた。エリーゼ夫人のドレスもとても質の良いものだったが、やはり若い女性らしいふんわりとして、流れるように柔らかい生地のドレスを身にまとうと舞踏会の時より一段と優雅に見えた。


 こちらの馬車で行くものとばかり思っていたら、城の馬車が屋敷の前に止まっていた。


「馬車まで城のだなんて、人質に取られるような気分」


 二コラが窓の外を見て言った。


「私も覚悟してお供します」


 馬車には、二コラ、リンデル、クラウスが乗り込んだ。


 クラウスが乗ると言ったら、従者はしぶしぶと乗せてくれた。警護が必要でしょうと答え、すまして後ろの席に座った。


 城へ着くと、侍女だけでなく兄の姿まで目に入ると、グスタフはつまらなそうな顔をした。


「何かあったら大変ですから……」


「ふん、何かあったら私が責任を持つわ! まあ良い、控えの間で待っていろ」


 侍女のリンデルとクラウスは控えの間で待たされた。


 しかし、居住のための建物へ入れてもらえたのは大きな前進だった。二コラは私室には入れてもらえなかったが、来客のための間に通され、グスタフと二人きりにされた。重く大きな戸が閉まってしまえば、二コラが叫び声をあげても控えの間にいる二人には聞こえそうもない。


 控えの間の二人は、立ち上がってはは部屋の中をうろうろしたり、座っては二人で話をしながら時間が過ぎてゆくのを待った。


「二人きりにさせてしまったら、我々がついてきた意味がない」


「クラウス様、ここはじっと耐えて観察することにいたしましょう」


 リンデルはこんな時でも落ち着いていた。


 客間に通されたニコラは、ソファに座るように命じられた。メイドがお茶とお菓子を持って入って来て言った。


「どうぞごゆっくりお寛(くつろ)ぎください」


「あのう、グスタフさまのところには、よく女の人がいらっしゃるんですか?」


「聞かれても困ります。あまり話をするなと言われているので……」


「ああ、御免なさい。気になったものだから……黙っているから教えてください」


「何度か、ございましたが」


「その女性たちは、どうなさっているの?」


「さあ、もういらっしゃったことはないようです」


「どうなさったのかしら?」


「本当にもうこれ以上は……失礼いたします」


 メイドは、怪しげなことを言い去ってしまった。


 お茶を一口飲んで様子を見た。どうやら睡眠薬などは入っていないようだ。


 部屋にはソファのセットとテーブル、執務用の机などがある。この部屋には玉座はなかった。窓からは明るい日の光が薄いカーテン越しに入っていた。


 ドアが突然開いて、男性が一人入って来た。舞踏会の時よりも幾分ラフな服装をしているようだが、長身で体格の良いその姿格好は紛れもなくグスタフだった。先ほどの表情とは打って変わり、籠の中の鳥を見るような眼で二コラを見ている。


 ニコラは、素早く立ち上がり会釈した。


「ああ、よく来たな」


 呼ばれたから来たんじゃない、と心の中で毒づいた。


「お伴は控えの間で待ってるから、安心しろ」


 次は何を言われるのか、黙って待っていた。グスタフは黙ってニコラの隣に座った。


「お前、リベール王国から来たんだったな。男爵家の令嬢か。まあ悪くないな。この国へ来るのは初めてか?」


「はい、初めてでございます」


「どうだ、良い国だろう」


「ええ、とても美しい国で感激しています」


「じゃあ、ずっといてもいいんじゃないのか?」


「まあ、それは。どうでしょうか? 私の故郷はリベール王国ですので……何とも言えません」


「結婚を決めた相手でもいるのか?」


「いいえ、おりません。まだ私には早いのではないかと思います」


「そうか。年はいくつだ」


「十六歳でございます」


「早くはないではないか。俺は二十五歳だからな、丁度いい」


 一方的にどんどん話を進んでしまっている。何とか止めなくては。


「私、何もできないのですよ。あのう、私をここへお呼びになったのはなぜでございますか?」


「なぜだと思う?」


 こちらが訊いているのに、質問で返されてしまった。ではまた質問で返そうか。


「リベール王国の事がお知りになりたいのでしょうか?」


「おお、それもいいな! お前に興味があるんだ」


「まあ、私のような娘のどこが、素晴らしい王子様の興味をそそるのでしょうか」


「謎めいているところ……かな。あとは……顔……かな。まあ、傍に置いておくのにちょうどよさそうだ」


 傍に置いておくなど、まるでペットのような扱いだ。


「そうそう、俺ばかり質問しているが、何か質問はあるか?」


「私など、王様や王子様達に比べるとちっぽけなものですが。お噂では、王様は大変なお力のある方とお伺いしております。前の王と兄弟を力で倒して今の座を手に入れたとか……もう、怖い物などないのでしょうねえ」


「父上に逆らうものなどいない。反逆すれば、死が待っておりますからな」


「まあ、素晴らしいお方。あなた様もそうですわ」


 その一言で、さらにニコラのそばへ接近してきた。隣にぴったりとくっついて座っている。グスタフの体温までが伝わってくる。二コラは眩しそうにグスタフの顔を見上げてうっとりした顔を見せた。


「素晴らしいですわ。グスタフさま」


 グスタフはさらに、目を潤ませてニコラの手を握った。何を勘違いしたのか、手に口づけまでしてくる。二コラはうっとりとグスタフに寄り添った。グスタフが二コラの肩に手を置き、ぐっと引き寄せようとした。


「ああ、それはおやめください」


 ニコラは手を胸の前で組み、これ以上グスタフに引き寄せられないようにした。しかし、体を鍛えたグスタフの前にはなすすべがなかった。手加減のないグスタフに抱きしめられて、二コラはパニックになりそうだった。力ずくで自分の方へ引き寄せ、どうあがいても離れることができない。ああ、誰か助けて! 心の中で祈りながら、ぐスタスの胸に顔を埋めていた。


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