第30話 恐ろしい舞踏会
ニコラはクラウスの隣に再び座り、楽団の音に合わせて踊り始めた人々を見ていた。
これが華やかな社交界なのかと、始めて見るきらびやかな光景に眩暈(めまい)がした。男爵家の養女になってはいたが、日々の生活はつつましく質素なもので、社交のためのパーティーなどは今までに出席したことがなかった。髪を結い美しく着飾った女性たちが次々と男性たちの誘いを受け、勝利の笑みをたたえながらホールの中央へ出て行く。その自信に満ちた姿に圧倒させられた。目の前を、様々なカップルが通り過ぎてゆく。さながら大通りの往来の中で一人取り残されたようなものだった。
――私は城の内部を観察するためにここにいる。
そうは思っても同年代の若者たちの華やかさは自分のいる世界と完全に隔たっているように思えた。
「ニコラ、何をぼおっとしているんだ。圧倒されているのか?」
「ま、まあ。そんな感じ。別世界にいるようだわ。自分には一生縁のない世界……」
「おい、ゲレオンの息子を見て見ろ。さっきから、こちらをじろじろ見ているぞ」
「気のせいよ。私はずっと下を向いているから」
「そうだな。ここの建物は、社交のための部屋ばかりなのかな。建物の構造からして、これだけの広いホールと、ゲレオンたちが出てきた部屋があるだけなんじゃないのか」
「うん。飲食物は、居住棟から持ってきているようね。大きな荷台に乗せて運ばれてきている」
二人が、建物ごとの役割や、部屋の構造について話していた時、ゲレオンの息子が立ち上がりホールの中央に向かって歩いてきた。皆かたずをのんで彼の動きを見守っている。彼はそのまま、迷うことなくまっすぐにこちらへ向かって歩いている。まさか、まさか、こっちへ向かっているのでは。二コラに目を付けるなんて、そんな馬鹿なことがあるはずがない! こんなに地味で目立たない服装をして、控えめにしているのに。
彼の進行方向には、まだ多くの女性たちが座っている。その人たちのうちのどこかで止まるに違いない。
ニコラはさらに視線を下へ向けて、顔も見えないようにし、彼と視線が重ならないようにした。絶対に大丈夫、私のところでは止まらない。だってこんな地味で田舎じみた少女を、悪者の息子が相手にするはずがない。あいつは派手できらびやかな女が好きに決まっている。また一歩一歩と前進してくる。近くで見ると、ゲレオンと同じように逞しい体つきをしていて、圧迫感がある。彼の方が体を鍛えているのか、肩幅は広く腹部は細く引き締まっていた。
――近い、こんなに近くまで来た。どうかここへ来ませんように。
ニコラはとうとう祈りにも似た気持ちで、ぎゅっと両手を握りしめて肩をこわばらせた。胸だってあまり開いていないんだから、他の女性に比べたらちっとも魅力的に見えないはず。
「おい、そこの女!」
そう言われても、誰一人返事をしない。
「お前だ、顔を上げろ!」
もしや、私の事なのでは。二コラは恐る恐る顔を上げた。視線が彼とぶつかり合った。
――ああ、しまった。何がいけなかったの!
全く予期せぬことが起きている。クラウスの慌てようは、さらに大きかった。
「はっ、はい。私ですか?」
「そうだっ、お前しかいないではないか。名前は何という?」
名簿で調べがついているのに、訊いて反応を見ている。
「二、ニコラでございます」
「ほう、二コラとやら、私と踊ってもらおうか?」
質問してきているが、断るなんてことはできるわけがない。
「あ、あのう。私ダンスはとっても下手なんでございます。足手まといになるだけかと思いますが、それでもよろしいでしょうか?」
「構わん! 俺が踊ると言っているんだ!」
「は、っはい! では……」
「グスタフだ」
「グスタフ様」
ダンスなどは二の次だ。始めて見る顔だが、なかなか器量が良い。上品で謎めいている所も自分好みだ。
グスタフは二コラの目の前に大きな手を差し出した。二コラがそっと手を乗せると、ぎゅっと掴んで引っ張るようにしてホールの中央へ連れて行った。
――そんなに引っ張ったら、痛いわ!
しかし、ここは我慢して敵の動きを探ろう。ああ、こんな時のためにダンスを習っておくべきだった。ダンスは惨憺たるものだった。相手は、プロのような素早い動きで、どんどんリードしていく。結局ぐるぐる引き回され、目が回って終わってしまった。
――はあ、やっと終わって解放される。良かった。
「おい、二コラとやら。見慣れない顔だが、どこの娘だ?」
またしても調べがついているのに、探りを入れてみる。
「ホフマン子爵の親戚で二コラ・ブリーゲルでございます。ブリーゲル家は、リベール王国の男爵家でございます」
「ほう。リベール王国から……よく来たな。ホフマン子爵を訪ねてきたのか?」
「はい、子供たちとおじさまおば様に会いに参りました。この度はこのような華やかな社交の場に参加させていただき、感謝しております」
「なるほど、お前の希望で参加したわけか。なら、もう一曲踊ろう。こういう出会いの場だということを知っていて参加したのなら話が早いわ」
「私などと踊っても、ちっとも上手ではありませんし、楽しくありませんわ」
「そんなことは、私が決めることだ。ただ踊っていればよい」
ニコラは、クラウスにすがるような眼差しを向けた。まずい二コラのピンチだ。奴は本気で二コラと踊りたいようだ。少し様子を見るしかない。
二曲目は、さらに気分が乗ってきたようで、グスタフは切れの良い動きで視線をニコラ顔、髪の毛、胸元、ゆらゆらと揺れるドレスへと、舐めるように這わせる。
ダンスが終わったのに、一向にニコラを開放する気配がない。手を握ったままだ。その手はいつの間にか汗ばみ、じっとりと絡みつくように繋がれている。
「こちらへ来い」
「あっ!」
ぎゅっと腕を掴んだまま、玉座に最も近い席へ連れて行き座らせた。そしてなんということか、彼は隣の席に納まった。
「緊張するな。ちょっと、君に興味が湧いてきた」
ああ、まずいことになった。私があなたに興味があって近づいたのに、逆になってしまっている。
「リベール王国へは、当分戻らないでよい」
「はあ、自分の家に……戻らなくていいなど……ありえないではありませんか。故郷へ帰らねば……」
「なぜだ?」
自分の故郷へ帰ることは当たり前の事なのに、何を非常識なことを訊いているのだろう。質問の意図が測りかねる。
「だって、自分の故郷ですから」
「私がお前をそばに置きたいと言ったら?」
「へえ、何ですって?」
随分素っ頓狂な声を出す娘だ。
「お前が気に入ったから、当分帰るなということだ。呑み込みの悪い奴だ」
そんなことが許されるのだろうか。ああ、クラウスを呼ばなければ。
「ちょ、ちょ、ちょっと兄を呼んできますっ!」
「兄がいるのか。では、兄だけ帰ればよいではないか。故郷へは知らせを遣わす。国王の息子に気に入られたので、当分帰れませんと書いてやる。それならいいだろう」
何という一方的で、独断に満ちた考え。こちらの意思など全く無視だ。
「ほっ、ほっ、ほっっ、本当にお許しくださいっ、ませっ!」
二人の様子がおかしいのと、慌てふためく二コラの様子で、ただ事ではないと思ったクラウスが急いで傍へ寄ってきた。
「なかなか面白い娘だ。当分故郷へ帰らないで、ここにいるがよい、と言ってやった。心配するな、兄は帰ってもよいし、こちらはいつでも会えるように、ホフマン子爵の家に滞在させてもらうがよい。私からもよく頼んでおくから、心配するな」
心配しないわけがないではないか。あっけにとられたクラウスは、二コラを立たせ、自分の方へ引き寄せ耳元で囁いた。
「俺も帰らずにここに残るから、二コラもはいと返事をしてホフマン子爵の家に当分滞在することにしたらどうだろう。その間に、作戦を考える」
断るという選択肢がない以上、先へ進むしかないだろう。
「はい、グスタフ様」
「よし、話が早いな」
グスタフはにんまりと笑って、今度はニコラのウェスト辺りに視線を落とした。
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