第29話 城主ゲレオンとその息子グスタフ
二人の熱意に負けたレオンが城にお伺いを立て、クラウスと二コラも舞踏会に参加できることになった。ホフマン子爵の力の強さを物語っていた。
クラウスはブリーゲル家に手紙を出し一週間滞在を延ばすことを知らせた。驚くだろうがレオンにも理由を書いてもらい、心配しなくてよい旨を書き添えた。
城に忍び込まずに堂々と正面から入ることができることになり、ニコラと喜び合った。これで、城の内部の様子を知ることができるし、ゲレオンや息子にも直接会うことができる。まずは敵を知ることから始めなければなるまい。
返事を聞いてから舞踏会まで、あと一週間だった。パーティー用のドレスなどは持参してきていないので、二コラはエリーゼ夫人のドレスを借りることにした。若い頃に来ていたというスミレ色のドレスは古風ではあるが、二コラが着ると上品で落ち着いた雰囲気に見えた。二コラはあまり目立たないほうがいいと思っていたので、そのくらい地味な方が丁度良かった。クラウスは外出着として持参した服を着ることにした。
舞踏会の日は、早朝から雨が降っていた。雨脚が時折激しくなり、北風に打ち付けられた森の木々が、大きく揺れているのが窓越しに見えた。
「今日の舞踏会は一波乱ありそうだ。馬車を下りる時は特に気を付けないと、ドレスが泥だらけになる」
クラウスは、ぞわぞわと胸騒ぎがしていた。ドレスも多少心配ではあったが……。
「ええ、気を付けるわ。借り物のドレスを汚してしまったら大変」
ニコラも務めて明るく振る舞う。内心は、恐怖でどうにかなりそうだった。
ホフマン夫妻とクラウスと二コラは馬車に乗り込み、城へ向かった。馬車は水たまりで水を大きく跳ね上げながら走っていく。王都に入り、門の前へ着くとそのまま門番に挨拶をし、馬車のまま中へ入って行った。
「いいか二コラ、今回は偵察してくるだけだ。俺もそのつもりでおとなしくしている」
「ゲレオンには近寄らないようにして、目立たないように控えめに行動する」
馬車の後部座席に座り、小声で約束した。
「離れ離れにならないようにしよう」
「私は大丈夫よ。あなたの方こそ一人で何処かへ偵察に行ってしまわないでね」
話しをしながらも、クラウスは門兵の配置や人数などを確認した。あまり多くはない。外の見張りを合わせてここまでに二十人ぐらいだろうか。
城の入り口まで馬車を付け、傘を差しながら入城を待つ人々の列に並んだ。建物へ入るためには、入城を許された人の名前が書いてあるリストと本人を照らし合わせなければならない。二人は夫妻にぴったりとくっついて一緒に名前を確認してもらい、ようやく門の内側へ中へ入ることを許された。
外側から見た時は、一つの建物がつながっていると思っていたのだが、城の敷地へ入るといくつかの建物があることが分かった。舞踏会はそのうちの一つ、広間のある建物で行われる。窓にカーテンがかかり、小部屋に分かれているような建物は居住のための建物だろう。兵士の詰め所になっている建物は、武器庫と彼らの宿舎に違いない。もう一つ少し離れた場所に、殆ど窓がなく、鉄の扉に錠が掛けられている小さな建物があった。そこは牢獄に違いなかった。薄暗い部屋の中には、囚人たちが閉じ込められているのだろう。
案内された建物に入り、コートを係の人に預け、手荷物だけを持って廊下を歩いた。外の雨の音が遮断され、ひんやりとした空気に包まれた。控えの間には、既に到着した人々が身支度をしていた。鏡の前に座り、髪型や化粧を整えている女性たちや、ネクタイを締め直す男性たちの姿があった。
中へ入った客人たちは、城の係の人の案内で控えの間に通される。
ホフマン夫妻は、部屋に入ると、あちこちの人と挨拶を交わしたり、話しこんだりしている。二人は彼等と少し距離を取り、すまし顔でやり過ごしていた。下手に興味を持たれたくなかった。それでも一緒に話をしている人たちは、ちらちらと二人の方を見てはうなずき合っていた。
始まる時刻の少し前に舞踏室に移動するように呼びに来た。様々な係の人たちが動いていた。
美しく着飾った人々がカップルで手を取り合ったり、数人の仲間たちと移動していく。クラウスと二コラも夫妻の少し後を間隔を取ってついて行った。
廊下の幅は狭く、石造りの壁が直接周囲から迫ってくるような圧迫感があった。少し歩くと突き当りに大きい壁が現れた。壁には大きなドアがあり、そこまで客人たちを案内した白い手袋をした係がドアノブに触れ、ゆっくりと引いて開いた。おしゃべりをしながらそこまで来た客人たちは、ぴたりと会話をやめ姿勢を延ばし部屋へ一人また一人と入って行った。
ホールは二階分が吹き抜けになっているため、天井までの高さがあり幅はさほどなかったが、奥行きがかなりあり、突き当りまでは目を凝らさないとよく見えなかった。入り口から見てホールの右側には窓があり、外に面していた。天気の良い日ならここから日の光が入り、白い床が光輝いて見えるだろうが、今日は窓の外には灰色の雲と雨が地面を濡らすのが見えるだけだった。
手前の方のテーブルには飲み物とグラスが並べられており、ホールの左右の端には椅子が並んでいた。先に入った人々がグラスを手にして、奥の椅子から詰めて座っていった。クラウスたちは真ん中あたりに並んでいたので、ホールの中央部分の椅子に四人並んで腰かけた。後ろの人々が皆入り終わると、ドアが静かに閉められた。
盛装した初老の男性が前に進み、皆に挨拶した。
「私は、この会を取り仕切る財務大臣のゴッホでございます。今日はようこそいらっしゃいました。ゲレオン様のご登場でございます。皆様失礼のないようにお過ごしください」
すると、左手奥にあった扉が開き、王冠をかぶった五十代ぐらいの男性が入って来た。彼は従者を従え、その後ろには、二十代ぐらいの若者がついてきた。クラウスと二コラは、固唾をのんで彼らの動きを見ていた。
「皆様、我が王国の舞踏会へようこそいらっしゃいました。皆様方は選ばれた由緒あるお方ばかり、ぜひともこのゲレオンとともに、国を盛り立てて行きましょう。こちらには、我が息子グスタフも参加しております。私とも共々もよろしくお願いしたいっ!」
言葉遣いは丁寧だが、尊大な態度と言い方だな。腹の出具合もすごいもんだ。ベルトの上に太鼓が乗っているようだ。権力の座について、怠惰な生活をしているのではないか。後で、ダンスができるかどうかじっくり拝見しよう。
挨拶が終わると、シャンパンのボトルを持った給仕たちが一斉に客人たちのグラスに注ぎ始めた。年配の給仕が恭しく真正面の高いところに座っているゲレオンと息子にシャンパンをついだ。
一同は財務大臣の掛け声で、起立して国王陛下の方を向いて乾杯した。
一気にシャンパンを飲み干して、早々とテーブルにグラスを戻すもの、座って歓談しながらゆっくりと味わっている者、それぞれが思い思いの動きをしていた。玉座に座っている男は、その動きをじろりと睨みながら、一口飲み、また人々を眺めまわした。
息子の方は、物色するように端から来客の様子を眺めている。来客と言っても彼の場合は、自分の気に入った女性がいたら、声を掛けようと獲物を狙う鷹のようだった。
ニコラはシャンパンを飲み終わるとグラスを置きにテーブルの方へ歩いて行った。その姿をグスタフのいやらしい視線が追っていた。伏し目がちにできるだけ顔が見えないように、壁の方を向いて歩いていたつもりだったが、そんなことでは彼の目を欺くことはできなかった。
「ふ――っ、この国にもあんなに美しい女がいたとは……」
グスタフは独り言を言った。こんな時のために受付の男をそばに侍らせておいた。
「おい、あの娘どこの誰だ」
「どの娘でございますか?」
「ほら、たった今テーブルにグラスを置いて、席に戻っていったすみれ色のドレスを着た地味な娘だ」
「ああ、下を向いている女性ですね。少々お待ちを……」
彼の暗記力は並外れて素晴らしい。特に顔と名前を覚えることにかけては右に出る者はいない。それで、この男は受付で名前を確認する仕事を任せられているのだ。
「この名前です。ホフマン夫妻の親戚だという、二コラ・ブリーゲル嬢です」
「フーム、聞かない名前だな。この辺りのものではないな。まあいい。しかし、お前の記憶力は本当にあっぱれだな」
「恐れ入ります」
「よーし、二コラか。地味だが取り澄ましていて、プライドの高そうな女。面白くなってきた」
グスタフは、再び独り呟き立ち上がった。先ほどまでの退屈な気分は吹き飛んでいた。
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