第28話 ホフマン子爵邸
川を通り過ぎ、再び林の中の道を馬車はひた走る。城門を過ぎてから、さらに十分ぐらい走っただろうか。林は終わり、畑や牧場などが広がる見晴らしの良い土地に出た。その向こうには、木々に囲まれて茶色の屋根が見えてきた。屋根は次第に大きくなり、それと共に大きな屋敷が見えた。馬車はホフマン家の敷地に入り、やがて門の前に止まった。すでに夕闇が迫っていたが、紅色の光に照らされた屋敷は荘厳な光を放っていた。クラウスはひとり呟いた。
「ここが……ホフマン子爵様の屋敷かあ。何と大きいんだろう」
ブリーゲル家の屋敷よりはるかに大きく、重厚な造りをしている。壁の色は、黄金のように輝いている。二コラも首をあちこちに回して敷地や屋敷を眺めている。そんな二人を尻目に、侍女のリンデルは冷静に呼び鈴を押して、家人に来客があることを知らせた。御者のベンは、馬車を止めておく場所の指示があるまで、乗ったままで待っていた。
ドアが開いて、執事が顔を出した。クラウスが到着したことを告げると、一旦中に引っ込みエリーゼとレオンが顔を出した。エリーゼは顔をほころばせていった。
「よくいらっしゃいました。長い旅で、大変だったでしょう。さあ、中へ入ってお休みください」
レオンが外で待機している御者に行った。
「馬車は、屋敷の向こうへ泊めてください」
御者は、一旦皆の荷物を下ろし、屋敷の向こうまで移動してから戻ってきた。執事や下男が一行の荷物を運び入れた。レオンは御者が戻ってくると、一同に行った。
「皆様、客間の御用意が出来ています。二階の部屋をお使いください。御者の御方とザシャさんは同じお部屋を。ベッドが二台用意してありますので。クラウスさんとニコラさんと侍女の御方は一部屋ずつご用意してあります。さあさあ、私について階段をお上がりください」
玄関ホールを入ると正面に階段が見えた。廻り階段は正面から昇るようになっており、左側に折れていた。玄関ホールは一部が吹き抜けになっていて、広々とした空間を作り出していた。
五人は、温かみのある木目調の床や、美しい飾りの掘られた手すりを見ながら階段を上がっていった。四つの部屋が客人たちのために用意されていた。一番手前からクラウス、二コラ、侍女、御者とザシャの順番になっていた。
部屋に入る前に、レオンが一同にいった。
「しばし、お部屋でおくつろぎください。夕食は一時間後にいたしましょう。後ほど一階の食堂へご案内します」
皆、部屋に入ると荷をほどき、ベッドやソファに座り長旅の疲れをいやしていた。クラウスは持ってきたものをクロゼットにすべてしまい込むと、早々にニコラの部屋をノックした。
「はい、どなたかしら?」
と声がしたが、クラウスが来ていることぐらい察しがついた。
「俺だけど」
「どうぞ、入って」
着替え中ではなかったようだ。すぐに返事があった。クラウスは部屋へ入り、感嘆の声を上げた。
「素晴らしい家だな。客間だけでこんなにあるなんて。子供たちの部屋も当然あるだろうから、個室だけでも十部屋ぐらい、いやそれ以上ありそうだ。しかも一部屋の広さがこれだけある。大きめのベッドに、机、二~三人掛けのテーブル、クロゼット、ゆったりとしたソファ、それらがすべての部屋に備わっていたら、その数も大変なものだ」
クラウスはソファの真ん中に座り、両手を広げてみせた。この家というより、この国へ来たことではしゃいでいるような気がする。
「嬉しそうね、クラウスは。私は、フォルスト公国に来て、寛げることが奇跡みたいだわ。だから私もとっても嬉しい。戻って来られただもの」
「嬉しい理由はそれだ! だから俺も、すごく……心が舞い上がっている」
「今日はその気持ちをたっぷり味わいながらここで過ごしましょう」
「そうだね。フォルスト公国の自然や、人などの良き者すべてと……ニコラの人生を狂わせた元凶……悪の全てがここにある。ここは栄光と暗闇が表裏一体となって存在する場所だ」
きざな言い方をしたが、二コラの気持ちを言い当てていた。
ニコラも夢の中にいるようだった。瞳の中には、きらりと光るものが見えた。クラウスは、彼女の湧き上がるような郷愁と苦悩を包み込むように、優しく抱きしめた。
窓の外は既に日が落ちて暗くなりかけていた。灰色の闇の中で森の木々が不気味に揺れている。あの向こうに、ゲレオンがいる。クラウスの気持ちは高ぶった。
「さあ、そろそろ呼びに来る頃かな」
「そうね。お土産を出しておかなきゃね。子供たちきっと喜ぶでしょうね」
ニコラは鞄の中から、木彫りの人形や大急ぎで編んだショールを取り出した。シャルロッテ夫人から持たされた焼き菓子などの手土産もあった。
クラウスはいったん自分の部屋へ戻り、呼びに来るのを待つことにした。
部屋で待っているとメイドが夕食の準備が整ったことを知らせ、一同を食堂へ案内した。食堂では、既に一家がテーブルについていた。
ホフマン夫妻のレオン、エリーゼ、その隣に小さい順に三人の子供たちが並んでいた。
「大きい方から順に、ジョゼフ、ノラ、アナよ。みんないとこが来てくれてよかったわね」
と、夫人が紹介してくれた。三人とも初めて会う従妹を前に照れ笑いをしていた。
五人の客人たちを迎え、座る位置を変えたのだろう。長方形のテーブルの対面に、クラウス、と二コラが座った。侍女のリンデル、ザシャ、御者のベンは、使用人用の食堂で食事することになっていた。
「遠かったでしょう?」
エリーゼが二人に訊いた。
「ええ、早朝家を出て、こんな時間に着きました。まあ途中だいぶ休憩しましたが」
城を見てきたことは伏せておいた。しかし城についての情報は、どんなことでも聞きだしたい。お土産を渡し、ひとしきり近況を伝えあってからクラウスが切り出した。
「街へはよく行かれるのですか?」
「ええ、買い物や知り合いに会いに、頻繁に行っていますよ」
「では、お城へ行ったこともありますか?」
「ええ、ゲレオンは自分の力を見せるために、よく舞踏会をやります。私たちも何度か招かれて行きました」
「へえ、さぞかし豪華なものなのでしょうね」
ニコラも身を乗り出している。何か聞きだしたくて、うずうずしている。
「是非、聞きたいわ。その時の様子を」
「まあ、若いお嬢さんは、舞踏会に興味があるのね。わかるわ、その気持ち」
エリーゼは、城へ入るまでの様子や中の部屋の様子などを事細かく話してくれた。二コラが、歓声を上げたりため息をついたりするものだから、得意げに話していた。
そして最後にとっておきの情報を聞き出すことができた。
「ゲレオンの息子が、妃を探していて、最近頻繁に舞踏会を開いているの。その息子というのが、ゲレオンにそっくりでいかにも強面で、優しさや思いやりなんか、微塵も感じられないような男なのよ」
喋ってから、しまったという顔をしてレオンの顔を見た。レオンも顔をしかめていたが、仕方がないという表情をした。
「まあ、親が親だからな」
「それでね、何度舞踏会をやっても、皆自分の年頃の娘を出したがらないのよ。あんなところへお嫁に行かせるんだったら、他の貴族の家に行った方がましだってね。ああ、そうだったわ、二週間後にも舞踏会があるんだった。また私たち夫婦で参加することになっているの。娘たちは年頃になっても絶対参加させたくない!」
ニコラは、クラウスの方を見て何やら言いたげな顔をして。おい、まさか参加したいなんて言い出すなよな。
そのまさかだった。
「あら、私は参加してみたいわ! 隣国から来た娘じゃダメなのかしら?」
「えっ、とんでもないわ! 絶対に行ってはダメよ。ゲレオンの息子は、若くて美しい娘を手ぐすね引いて待っている。あんな奴の眼に止まったら大変よ! お城に近づくのも危険よ! ああ、そんなことしたら、シャルロッテに怒られちゃうわ」
「お願いよ、おば様。私目立たないようにしてるから。今回の旅の記念に。ね、お願いです!」
クラウスが、助け舟を出した。
「僕からもお願いします。俺が見張ってますから、ぜひ、ご一緒させてください!」
「まあ、困ったもんだわ。若い人たちの好奇心の強さには」
レオンが間に割って入った。
「親戚の者でも参加できるかどうかわからないが、私がお伺いを立ててみるか。それで断られたら諦めなさい。いいね!」
「分かりました」
クラウスの返事でその話はそこまでになった。
食事が終わり部屋へ戻る時、二コラはホールにかかっている絵に気がついた。入る時には気にならなかったのだが、今は亡き絵の中の主人が、じっとこちらを見つめているような気がした
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