第27話 ニコラ、故郷へ帰る 

いよいよフォルスト公国へ旅立つ日が来た。


 四人乗りの馬車で、前の座席にクラウスとザシャが座り、後ろの座席にはニコラと侍女のリンデルが座った。前の二人は、いざという時のために剣を用意し、侍女も護身用の短剣を持っていた。彼女は身のこなしが軽やかで、ベテランのメイドとは思えないほど速く走り、運動能力にはかなり長けているようだった。納屋の二階へ上がるための縄梯子も躊躇することなくするすると昇ることができるほどだ。


 そわそわして落ち着かない二コラの事をしきりに気にかけている。


「ニコラ様、異国へ行くのですよ。気を引き締めてくださいませ」


「そうね。落ち着いて見えるように気を付ける! そうしないと怪しまれますものね」


 頼もしい旅のお供が二人着いたことが、クラウスと二コラには心強かった。御者のベンが掛け声をかけ鞭を当てると、馬車が動き出した。ブリーゲル夫妻と並んで見送りをしているメイドや雑役係の男たちの姿が後方に小さくなっていく。ニコラは彼らの姿を目に焼き付け、思い切り手を振っていた。


「皆、行ってくるわ!」


 そう、十二年ぶりの故郷を見に行ってくる! そして、必ず無事に帰ってくる……


 心の中で誓った。 


 早朝の朝もやの中を馬車は、ブリーゲル家の敷地を出て草原や林などを過ぎところどころに点在する街を抜け、ひた走る。このまままっすぐ行けば隣国への入口へたどり着く。緩やかな丘陵地帯を過ぎ、川沿いの道を通りながら自然豊かな土地へ入って行く。


「さあ、この辺りで休憩にしよう。馬も喉が渇いているだろうから」


 御者のベンが馬の世話をしている間、クラウスと二コラは川岸へ近寄った。クラウスは、感慨深げに川の流れを見て言いる。


「この川上から来たんだなあ……この川は流れが緩やだから、舟が転覆せずに流れ着いた」


 ニコラも、上流の方を見ながら深呼吸した。川底に生えている植物のせいで、底が見えないところがあり、川の深さがわからず深い闇の中に引き込まれそうだ。夜になったら、さぞかし怖い所だろう。


「真っ暗闇の中にこの川の上にいたなんて……今考えると恐ろしい」


 クラウスも、その言葉を黙って聞いた。敵に見つかったり、舟から落ち離れてしまったらそこで命は尽きていた。

 ザシャと侍女のリンデルは、後方で歩き回りながら二人の動きを見守っている。馬車に長時間揺られていたので、外への空気を吸い体を動かすのは気持ちがいい。まだ自国内にいるので、一行はゆったりした気持ちでいた。馬は十分水分を採り、休憩時間は終了となった。


 再びゆったりと流れる川の上流を目指す。川沿いにはあまり人家は見られず、寂寥感が漂っていた。なだらかな丘陵地帯はどこまでも続き、川は蛇行したり時折水しぶきを上げながら幅が狭くなっていく。この辺りからがフォルスト公国だ。


 確かにクラッセン子爵が言ったように、水と緑の美しい国だ。馬車の速度が少し遅くなった。勾配が先ほどよりきつくなっているせいだ。馬はゆっくりと大地を踏みしめながら、街へ向かって走る。ベンが大声で皆に向かっていった。


「もうすぐ街へ着きますよ。クラッセン子爵のお屋敷は王都を過ぎた少し先にあります。もうすぐ、王都とお城が見えてきますぞ!」


 道は相変わらず、勾配があり進み方はゆっくりだったが、家がまばらに見えるようになってきた。さらに走ると、石畳の美しい道になり、家並みが続くようになった。十字路には道路標識が掛けられていて、町や村への道標(みちしるべ)になっていた。


「おお、もう王都に入っているようです」


 誰が見てもそのようであったが、御者のベンが言ったので信憑性があった。ザシャはリベール王国とは形や色の違う家並みを物珍しそうに眺めたり、道行く人々の姿かたちを観察している。人々の服装は色華やかで、特に女性たちの赤や緑などの原色の模様の描かれたスカートは、あまり見たことがなかった。服装だけではなく、着ている女性たちの顔立ちもじっくり観察している。


「クラウス、建物の色や、女性たちの服装が違うようだ。異国へ来た実感がわいてきた」


 興奮気味のザシャとは対照的に、クラウスは城はどちらの方向なのか、と十字路に来るたびに標識を目を皿のようにして見ている。今通っているのは街一番の目抜き通り、まっすぐ行けば城にたどり着くはずだ。 リベール王国の城も大通りの突き当りに位置していた。


 街並みが途切れ、大きな広場に出た。


 すると、その向こう側に大きな門が見えた。門の両側には見張りが控えていて、右手には長い剣を持ち鋭い眼光を向けていた。門の向こう側には、石造りの城の二階部分から上が見え、後方には高い尖塔がそびえていた。多分その中にも見張りの兵が張り付いているのだろう。城門は城の前方と側面を取り囲んでいたが、その周りには堀はなかった。城の両側には木々が生い茂る林があり、その向こう側に川が流れていた。ニコラは、林を通って川に出てそこから舟で下ってきたのだろう。クラウスは御者に行った。


「ゆっくり走って! できるだけゆっくり」


 御者は後ろを振り向き、小さくうなずいた。こんなところで、じろじろ門の方を見ていると怪しまれて、尋問されるかもしれないから。面倒なことにならないほうがいいと、御者も心得ている。

 後ろの席のニコラも目を凝らして城の方を見ている。侍女が小声で囁く。


「あまりじろじろ見ると、門兵に呼び止められます。お気を付けください、お嬢様!」


「は、はいっ! さりげなく見るわ」


 この侍女、言うべきことははっきりという。素直に答えたが、一番の関心事だ。どんなことでも思い出すよすがになるかもしれない。クラウスも観察できるだけ観察している。外周についてはわかった。後は内部の様子が知りたい。

 広場の前の道は左右二手に分かれている。標識があり、左手の道はクラッセン子爵の住む村通じている。出は右手の道はどこへ通じているのだろうか。クラウスは御者に再び声を掛けた。


「ちょっと寄り道して右手の道を進んでくれ。できるだけゆっくりな」


「はい、畏まりました」


 御者は、何のためらいもなく右へ曲がりまっすぐ道を進んだ。城門の前の広場を平行に移動していることになる。クラウスは左側の窓から、目を凝らして城門を見ていた。どのくらいの長さがあるのだろう。数百メートル横に移動すると、城門が内側へ曲がっていた。しかし、後方へ回り込む道はない。右手は林になっていて、馬車で通り抜けることは難しい。かと言って馬車から降りて歩いていたら、たちまち城の上にいる見張りに見つかってしまう。そのまま道を進んで城が見えなくなった辺りで馬車を止めた。ザシャが、不思議そうにクラウスに聞いた。


「何をしているんだ。城はもう見たから、クラッセン子爵殿のお屋敷へ向かうんじゃないのか? まだ城の見学をするのか?」


 何も知らないザシャは、クラウスの行動を不思議がっている。リンデルはこの場での主人はクラウスなので、彼のすることに口をはさむことはしなかった。


「大きい城だから、どのくらい大きいのかと、よ~く眺めてみようと思って端まで来たんだ。気にしないでくれ」


「そうか、挙動不審なことをすると、捕まってしまうぞ。怪しまれないようにな!」


 ザシャは、昔のよしみでクラウスには敬語を使わない。それも、別に気にならなかったが。


「さて、元来た道を引き返して、クラッセン家へ向かおう。今から行けば、日が落ちるまでには到着するだろう」


 一行は、来た道を引き返し再び門の前を通った。すると、門兵が一行の方へ向き怒鳴り声を上げた。


「おい、そこの者! 止まれ!」


 馬車の窓越しにザシャが答えた。


「何でしょうか?」


「お前たち何をうろうろしておる。先ほどもここを通ったであろう」


「私たちはフランケ村の方へ向かっております。先ほどは方向違いだったようで引き返しました」


「そうか、今向かっている方向が正しい。行け!」


 それだけで終わり、安心して進んだ。呼び止められて何を聞かれるかと冷や冷やした。クラウスと二コラはほっと胸をなでおろした。ザシャが答えてくれたので、自分たちの顔を見られることもなかったようだ。


 門を過ぎると林が続いていた。林の中の道をまっすぐ進んで行く。走っていった先に川が流れていた。川幅はほんの数メートルで、ゆったりと流れていた。川岸には何艘かボートが停泊していた。ボートの乗り場があり、川岸の丸太にそれぞれ太い縄で括り付けられていた。


「アッ、クラウス!」


 驚きの声を上げた二コラに、侍女は一瞬怪訝そうな顔をしたが、敢えて訊いては来なかった。クラウスは前の席から振り返ってニコラに優しげな視線を送った。


「そうだね。ここだったんだ」


 ここが二コラの旅の始まりだ。よく自分の元へたどり着いたものだと、感慨がわいてくる。彼女にとっては命を繋いだかけがえのない場所だ。


 ザシャは、何のことか全くわからず、キツネにつままれたような表情をしていた。




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