第23話 作戦決行
今日はブルーノがやってくる日。クラウスと二コラは夜明けとともに起き、計画に向けて準備を始めた。
二コラは初めて会った日よりも、胸元が広く開いた薄紫色のドレスを着た。一歩歩みを進めるたびに裾がふわふわ揺れて、誘い込んでいるようだ。生まれ持った滑らかな肌の上に白粉を引き、唇に真紅の口紅をひくと十六歳とは思えないような妖艶な雰囲気が漂っている。
その姿を見たシャルロッテ夫人は、彼女の本気の度合いが強いことを信じ切っている。これ以上何も言うまいと、彼女をそっとしておいてくれた。
クラウスは応接間へ入り戸を閉めた。元々は、窓に沿って平行に置かれていたソファを、九十度回転させた。そうすることで部屋の端にある入り口から入るとソファに座った人が、部屋の奥側と入り口側を向くように配置が変わった。入り口から離れた方のソファに座ったブルーノは、部屋の奥に背中を向ける形になる。クラウスはソファの向こう側に戸棚を持って行きその陰に隠れることにした。そこは、ブルーノからは完全に死角になっていた。またいざとなった時に、隣の部屋へ抜けるドアを開けておけば、すぐに逃げ出すことができる。
配置換えを終えると、すぐに二コラを呼び、二人の座る位置と動きを確認した。視線をニコラに向けたままにするためには、対面で座った方がいい。二コラの方からは、クラウスの動きがちらちらと見えるかもしれないが、絶対に悟られないように色気を振りまいて引き付けておかねばならない。香水も振りかけることにした。どうしても自分に触れようとしたら、仕方がないので、二コラの方からブルーノの隣に座らなければならないが、その場合は二コラは彼の左側へ座ることになっていた。
ブルーノの後ろには飾り戸棚があり、その後ろにクラウスが隠れている。これも、ザシャと二人で移動させたものだ。ザシャには庭木の手入れをしていてもらうことにした。できるだけ二コラの側の木をいじり、もし何かあったら、窓から呼び出し注意を外へ向けさせることになっていた。メイドたちには、最初にお茶を持ってくる以外に部屋には絶対入らないように命じておいた。
部屋の準備は全て整った。後はブルーノを迎えるだけだ。
ここへ来るのに三時間もかかるとあり、彼も朝早くから支度をして出かけてきているはずだ。それでも、十時過ぎには門の中に馬車が入って来て、にこやかに屋敷の前に降り立った。屋敷の中では、急いで執事のヨーゼフを中心に、メイド頭のハンナとその後ろにメイドのエマとリリーが並んだ。彼らが一斉に挨拶をして、後ろからブリーゲル夫妻と二コラが現れた。二人きりになりたいと夫妻に伝えておいたニコラは、ブルーノに言った。
「わがブリーゲル家へようこそいらっしゃいました」
彼女の後ろで、ブリーゲル夫妻はほほ笑みながら言った。
「遠いところを娘に会いに来てくださって、ありがとうございます。今日は我が家でゆっくりとお寛ぎください」
そう言って、二人は離れていき、自室へ戻っていった。
ニコラとブルーノが応接間に入り、入り口側のソファにニコラが、奥のソファにブルーノが座った。予定通りの配置だ。その後すぐにメイドのエマがお茶を持ってきてテーブルに置いた。ポットも置かれているので、お湯を持ってくる必要は無い。一応ご用があれば呼んで下さい、とは言い残していたが、二コラの方からは来る必要は無いと前もって伝えておいた。
ブルーノは、熱烈なラブレターを受け取り興奮を隠せない様子だ。もう結婚が決まったような気持なのだろう。まだ熱いお茶を慌てて飲もうとして、カップにこぼしてしまった。二コラは自分のハンカチーフを差し出しながら言った。
「あら、大変。火傷なさいませんでしたか? 熱いですので、お気を付けくださいね」
ブルーノはハンカチーフを受け取ると、濡れた手を拭いていった。
「つい慌ててしまい……今日は、本当に良い日だ! 僕の人生最高の一日になるでしょう」
ブルーノの眼は、二コラの深紅の唇に、そして首筋から胸元へ向かった。二コラの計算通りだ。テーブルの上には、ブランデーを用意してある。その瓶を持ってブルーノに訊いた。
「紅茶に一滴たらすととっても味わいが深くなるんです。お試しになりませんか?」
前回酒によってフラフラになってしまったブルーノのために用意しておいたのだ。
「そうですか。一滴と言わずたっぷり入れてください」
「では、お言葉通りちょっと多めに入れましょう」
ニコラは紅茶の入ったカップに、たらりとブランデーを注いだ。
「あら、いけない。ちょっと多かったかしら。紅茶を淹れ直しますわ」
「いや、そのくらいでいい」
ブルーノは、ティーカップを持ち、今度はゆっくりと味わうように飲んだ。
「本当だ、うまいです」
そう言うと、何口か続けて飲んだ。様子をうかがっていると、次第に目頭が赤くなっていく。二コラは、先ほどから胸元ばかり見ているブルーノにいった。
「あのう……」
そう言ってから、恥じらいを見せると、案の定彼の方から言ってきた。
「隣へ座ってもいいですか? これじゃあ離れすぎていて……お話ししずらい」
「ああ、私ったら、気が利きませんでした」
ニコラは立ち上がって、一歩一歩テーブルを回りブルーノの方へ歩いて行った。今度はゆらゆら揺れるドレスに見とれている。ぐるりと半回転し彼の左側にゆっくりと腰を下ろした。その間はたったの五センチぐらいしかない。沈み込んだソファの傾きで、彼の体が更に接近した。二コラはいよいよかと、緊張したが悟られないように体の力を抜いた。
後ろで様子をうかがっていたクラウスは、かたずをのんで見守っている。もっとも、ソファの陰で二人の姿はほとんど見えなかったが、会話は全て聞こえる。そろそろチャンスが来るだろう。
ブルーノは、ブランデーがたっぷり入ったお茶を一杯飲みほした。ほろ酔い気分になった彼は、左手を延ばし、二コラの手を握ろうとした。触るか触らないかというところで、あっ、という声を上げ慌てて手を引っ込めた。彼は顔をゆがめて二コラに訊いた。
「今、あなたの手を握ろうとした瞬間に、手がびりびりとしびれたんです。あなたの手は、痺れていませんか?」
「あら、私は何も感じませんでした。誰かの手が触れた感触もないし、痺れもありません。どうなさったんですか?」
「いえ……僕だけが……どうかしちゃったのかなあ」
首をかしげて、不思議がっている。二コラはポットからお茶を注ぎ、仕上げにブランデーを垂らした。
「お茶をもう一杯どうぞ。飲めば落ち着くかもしれません」
「そうですね。頂きます」
既にお茶は冷めかけていたので、ごくりと飲みカップを置いた。
ニコラは、腕を胸の前で組み、彼の方を向いてうっとりした表情をみせた。すると今度は、左腕をニコラの肩の方へまわして、自分の方へ引き寄せようとした。しかし、またその瞬間、腕全体にびりびりとした衝撃が走り、今度は強く弾き飛ばされるように右側へ倒れた。
ギャッ、という悲鳴が上がりソファに倒れかかった。ブルーノは怖くなり、すぐにはソファから起き上がれなかった。痺れた左腕をかばいながら、ようやく体だけを立て直した。
「何だってこんなことが起こるんだ。君は……君は……魔女なのか!?」
「そんな……滅相もございません」
「君だけは! 何ともないじゃないか!!」
ニコラは彼を助け起こそうと手を伸ばした。すると手が触れる瞬間に、バリッという音がした。その時は二コラもはじけ飛ばされそうな衝撃を感じた。ブルーノは、わっ、と悲鳴を上げて再びソファに倒れた。
「ほら、君から手を触れようとしても、衝撃があるんだ! もう僕に手を触れるな。魔女じゃなければ、魔法使いか?」
「ああ、そんなことはございません。正直に申しますから、起きてください」
「何だ、どういうことなんだ」
「これは……これは……ブリーゲル家の女だけに伝わる秘めたる力なのでございます」
「何と、そんな力があったのか?」
「この力は、代々女性だけに受け継がれるもの。しかし、いつその力が出るかわからないのです。ある時は、身の危険を感じた時、またある時は、感極まるほどうれしい時。極端に感情が高ぶった時に出るのです」
ブルーノは、化け物でも見るような目つきで二コラを見た。
「ニコラ! この結婚はなかったことにしよう。今日は、もう失礼する!」
「そんな、あんまりでございます。私は、私は、あなたと結婚できるものと楽しみにしておりましたのに!」
「ええい、うるさいっ! 化け物め!」
ブルーノは、部屋を飛び出した。
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