第20話 ニコラ、ブルーノに会う

 三日が過ぎ、ニコラが侯爵家の三男ブルーノと会う日がやってきた。朝食の時から、クラウスは落ち着かない様子だ。食事が終わると、クラウスは二コラの隣で囁いた。


「今日はいよいよ決戦の日だ」


 食事中から、ちらちらと二コラの様子をうかがっていたので何か言われるだろうと待ち構えていた。


「まあ、大袈裟ね」


 ニコラは口をとがらせて、クラウスを睨む。


「お前の運命を決する、大事な日だからな。気を付けて行って来いよ」


「クラウスったら、人質に取られるわけじゃないのよ。気を付けることはないわ」


「分からないぞ。お前を押し倒して、無理やり襲ってしまうかもしれない」


「えっ、怖いこと言わないで! う~ん、人目のないところには行かないようにしないと……」


 二人の様子を見ていたシャルロッテ夫人が言った。


「ニコラ、いつまでもおしゃべりしてると遅れてしまうわ。もうそろそろ支度なさい。初めてお会いするのに、遅れては失礼よ」


 ニコニコと嬉しそうにしている。自分が主役になったような気持なのだろう。期待にそえるかどうか自信はないが、元気に返事をした。


「ハーイ! 今すぐ準備します」


 二人は、食堂を後にし、それぞれの部屋へ引き上げた。


 ブルーノとの待ち合わせは、街のレストランになっていた。グーゼンバーグ侯爵家までは三時間もかかるとあり、多少なりとも近い場所ということで、リベール王国の中心にある街で会うことになったのだ。ブリーゲル家に気を遣っての事だと思われた。まあ一方的に気に入って会ってほしいというのだから、それは当然の事ともいえた。


 ニコラは淡いベージュのドレスを着て髪の毛は肩まで垂らし、上の方を少しだけ結わえ、リボンで止めた。控えめな色の方が上品に見えるだろうというシャルロッテ夫人の意見で、決めたものだった。


 ブリーゲル夫妻と二コラが玄関ホールにそろい、クラウスが見送った。


「ニコラ、じゃあ」


 クラウスはそれだけ言い、軽く手を振った。


「行ってくるね」


 ニコラは気丈に振る舞っているが、本当はすごく緊張しているだろうな。恥ずかしくても、陰に隠れる相手がいないんだから。


 馬車はずんずん遠ざかり、あっという間に門の外へ消えていった。



                       ⋆

 レストランへは早めに着くように時間に余裕を持って行ったが、既にグーゼンバーグ伯爵一行は到着していた。遠くから来ているので早めに出てきたようだ。店のドアを開けて中へ入ると、他の客は誰もいなかった。ニコラはまだ時間が早いからかと思ったら、何とその日は貸切になっていたのだった。中央の大きなテーブルに中年の男性と、若い男性が並んで座っていた。

 彼らが伯爵とその三男なのだろう。


 店のオーナーが、深々とお辞儀をしてニコラ達三人を二人の前に案内した。彼等しか座っていないのだから、もうわかり切っているようなものだったが。


「こちらでございます。上着をお預かりします」


 皆それぞれ外套を脱ぎ、ウェイターたちに手渡した。椅子が引かれて、伯爵の前にブリーゲル夫妻が、ブルーノの前にニコラが座った。

 ブルーノは、明るい茶色の髪をした、一見して陽気そうな青年だった。年齢は確か二十五歳といっていたっけ。年の割に表情が幼いせいか、若く見える。第一印象はそれほど悪くはない。

 口火を切ったのは、グーゼンバーグ伯爵だった。突然息子の願いで呼び出したことが恥ずかしいようで、照れていた。


「今日はわざわざ来ていただいて、ありがとうございます。家内は、長旅は体に応えると、失礼いたしました。こちらは息子のブルーノです」


 ブルーノははちきれんばかりの笑顔をニコラに向けた。


「ブルーノです。ニコラ様に再びお目にかかれるなんて、光栄です」


 次はブリーゲル男爵が紹介した。


「こちらは妻のシャルロッテと、ニコラです。お会いできて光栄です。突然の御招きで驚いていますが……」


 グーゼンバーグ氏が答えた。


「それはそうですね。あまり堅苦しくならず、気軽な会食だと思ってお過ごしください。ニコラさんも、寛いでお話しください」


 言葉は優しげだが、身分が上ということもあり、態度は尊大で強気の姿勢が見られた。


 黙っているのも失礼だと思い、ニコラもブルーノに話しかけた。


「あの、ブルーノ様、苦手な食べ物はございますか?」


「何でも食べられますよ、虫や蛇以外は。あなたはどうですか?」


「私は、特にないですが。やはり、虫やカエルなどは食べられません」


 クラウスと二人で暮らしていた時も、空腹な時でも昆虫は食べたことはなかった。


「同じですね」


「え、ええ」


 ブルーノがにやりと笑った。


 そうこうしているうちにウェイターたちがスープを運んできて、テーブルに置いた。柔らかい湯気が周囲を包んだ。クリーム色のスープはミルクの優しい香りがして、滋養に満ちていておいしかった。

 ブルーノは、至極ご機嫌でスープの感想を意味深に言った。


「街で食べる料理はおいしいですねえ。しかし、家の料理はもっとおいしい」


 そして、ニコラの顔をちらちら見ている。


「家へ来ればもっとおいしいものが出てきますよ」


 二コラは話を合わせた。


「それはそれは素晴らしい。これよりもおいしいお料理なんて想像もつかないわ」


 ブルーノは一匙すくって口の中へスープを流し込んでは、ニコラの反応を見ている。


「今日のお召し物も素晴らしい。よくお似合いです」


「お褒めにあずかりまして、光栄です。色がちょっと地味かと思いましたが……」


 色も控えめだし、胸元もできるだけ開いていないものを選んできた。


「それがかえって、あなたの華やかさを引き立てている」


「ありがとうございます」


 スープの次に運ばれてきた牛肉の料理は、野菜と共にじっくりと時間をかけて煮込まれたものだった。野菜の甘い香りが柔らかく、口の中に入れるとほろりと崩れた。食事とともにワインが運ばれてきた。ブルーノはかなり飲めるくちらしく、注がれたグラスをあっという間に空にしていた。

 ワインが進むにつれてブルーノの機嫌はさらに良くなっていく。そんなに飲んで大丈夫なのだろうかと、ニコラは心配になった。グーゼンバーグ氏が耳元で囁いた。


「そんなに急いで飲まないほうがいい。酔ってしまうぞ……」


 ブルーノは普段よりも速いペースで飲んでいたせいか、酔いが回り始めていた。目頭が赤くなっていて、一点をじっと睨んだりしている。その視線が時折ニコラのところで止まる。その度に、ニコラは笑い顔を作った。


 メインの料理が終わると、最後にデザートが配られた。リンゴやベリーなどを砂糖で甘く煮たもので、果物の酸味と甘みのバランスが絶妙に調和して、口の中でとろけた。

 親同士の話が弾み、お茶とデザートで場の雰囲気もだいぶ和やかになってきた。


 まだこの人の本性が見えない、と二コラは焦っていた。食事も終わってしまい、これでこの会はお開きになってしまう。

 すると、最後までワインを飲んでいたブルーノが、その場にいる人たちに提案した。


「少し、酔ってしまったようです。酔い覚ましに外を散歩してきます。ニコラ様と行ってきますがよろしいですか」


 彼は、赤くなった目をニコラに向けた。有無を言わせぬ口調だった。しかも、完全に酔っているようだ。

すると、すかさずシャルロッテ夫人が言った。


「行ってらっしゃい、ニコラ。私たちに気を遣わなくていいのよ」


 気など遣っていなかったのだが、彼女の言葉でさらに断れなくなり、返事をした。


「では、お供いたします」


 酔っ払いには気を付けなければ、とニコラは守りを固くした。


 ブルーノと二コラは、ウェイターに椅子を引いてもらい立ち上がった。ニコラはバッグと外套を受け取り、酔って足取りの危ないブルーノと共に店を後にした。

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