第18話 クラウス、ローザを見舞う

 ローザの家から使者が、書簡を持ってブリーゲル家を訪れた。ブリーゲル夫妻は手紙を見て悲しそうにクラウスに知らせた。

 ローザが怪我をしたという知らせは、クラウスの気持ちを重苦しくした。


「お見舞いに行ってまいります」


 夫妻にそう言い残して、クラウスは花束を持って、急いでクラッセン家へ見舞いに訪れた。


 子供のころから馬に乗り慣れているあのローザが落馬するなんて考えられない。自分が動揺させてしまったからに違いない。


 呼び鈴を鳴らすと、玄関ホールには執事が現れその後から母親のヴェラが姿を見せた。


「あのう……ローザ様のお加減はいかがですか。大怪我をされたと聞き、慌てて会いに来ました」


「まあ、まあ、ありがとうございます。娘も喜ぶでしょう」


 母親は、なぜローザが落馬したのか全く見当がつかない様子だった。


「あの子に限って、どうしてあんなに飛ばしていたのかわからないのですが、何かお心当たりはありませんか?」


 やはり訊かれた。自分と別れてから、あんなことがあったのだ。訊かれるのが当たり前だ。


「いえ……別に」


 俺が少女を見て、ニコラと叫んで助けに飛び込んだことなど言えるはずがなかった。


「お嬢さんの怪我の具合はどうですか……」


「ああ、そうそう。こんなところで立ち話もなんですね。クラウス様がいらっしゃったと早速娘に伝えてきます」


「お願いします」


 クラウスは、母親の後姿を玄関ホールで見送った。


 だいぶ経ってから母親がローザを連れてつクラウスのところへ戻ってきた。


「どうぞ、こちらのお部屋へお入りください」


 以前招かれた時に入った応接間へ通された。彼女は俯いていた。

 ローザが先に座り、クラウスは彼女の前に腰かけた。母親は、すぐに退席した。


「ローザ様、お加減はいかがですか。痛みますか?」


 クラウスは決まりきった質問をした。骨折していたら痛いに決まっているが。


「ええ、落馬してこんな大怪我したのは初めてです」


「そうでしょう。乗馬がお上手なローザ様ですから」


 ローザは目頭を押さえていった。


「私って……滑稽でしょう?」


 その言葉に込められた意味が分かり、クラウスはいたたまれない思いで唇をかんだ。


「そ、そんなことは……僕がしっかりしていないから。僕の責任です」


「いいえ、私のせい……クラウス様を信じていればよかったのに」


 自分の優柔不断な態度が彼女を傷つけてしまった。クラウスは立ち上がってローザのそばへ寄った。


「これからは毎日、僕がお見舞いに来ます。いいですね」


「ああ、本当に私ったら、情けない。こんなご迷惑をお掛けして……」


「迷惑なんかじゃない。僕が来たいから来るだけです。あなたのお許しがいただければですが」


 クラウスは、怪我をしていないほうの右手にそっと手を触れた。すると、ローザもその手をしっかりと握り返した。


「迷惑だなんて」


「心配しないでください。これからは僕がお守りします」


「ありがとう。お優しい方」


 ローザは再び涙ぐみクラウスの手を右手でしっかりと握りしめた。


 帰り際に、再び母親のヴェラに会った。


「ローザはあなたの心配ばかりしていたんですよ」


「どうしてですか。ローザ様の方が大変だったのに」


「怪我をして、あなたが自分から離れてしまうのではないかと……」


「僕はどこへも行きません。ましてや、怪我をされたからといって離れていくことなどはありません」


「まあ、お優しいお言葉が聞けて良かったわ、ねえローザ」


 ローザは、はにかんだように微笑んだ。これもローザの一面なのか。


「クラウス様、早く良くなるように養生して頑張ります」


 ローザはクラウスにいった。


「また、すぐ会えますよ。頻繁にお邪魔してもよろしいでしょう。お母様?」


「もちろんですわ。ねえ、ローザ」


「はい。クラウス様、お待ちしています」


 クラウスは二人の笑顔に見送られながら、屋敷を後にした。



                       ⋆

 家へ帰るとニコラが不安そうな表情で待っていた。


「クラウス、ローザ様のお怪我はどうだったの?」


「腕を骨折していたが、顔色は良かった」


「そう、クラウスに会って元気が出たのね、きっと」


「そうだろうか?」


「そうよ、多分ね」


 屈託のないクラウスの顔を見ていると、誰でも元気になってきそうだ。そんな彼にお見舞いに来てもらって嬉しくないはずがない。


「これから頻繁にお見舞いに行ってくる」


「ふ~ん。クラウス、ローザ様に気に入られたのね?」


「そうなのかな?」


「そうでしょう。でも、乗馬がお得意のローザ様が落馬して大怪我をするなんて、どうしたのかしら?」


「……そ、それは……」


「何かあったの?」


「……べ、別に……」


「やっぱり何かあったのね。クラウスは私には嘘がつけないのよね。ずっとそうだった」


「俺は、ローザ様と結婚してしまってもいいのか?」


 クラウスは、独り言のようにつぶやいた。ニコラに訊いたのか、自分自身に問いかけたのか、自分でもわからなかった。言ってしまってから、はっと息をのんだ。


「クラウスは私のお兄さん、誰と結婚しても私には文句は言えないわ……そうでしょ?」


「じゃあ、お前はどうなんだ。お前はいつか誰かと結婚してここを出て行くつもりなのか?」


「そうなるでしょうね。まあ、お相手がいてくれればの話だけど。ずっとここにはいられないと思うわ」


 クラウスは、ふーっとため息をついた。こんな話いくらしていても仕方がないのかな。ニコラの顔から視線を逸らした時に、彼女がぽつりとつぶやいた。


「でもね、どこへ行っても二人の絆は決して切れることはない。血の繋がりなんかなくても、私たちは運命でつながってるような気がする。……運命なんて、古臭いかしらね……」


 そして、意気消沈しているクラウスの体をそっと抱きしめた。クラウスも嬉しさのあまり、ニコラを抱きしめた。二人は、生きていくための同士のようなものだったのだ。兄妹では結婚できなくても、そんなことは関係ないのかもしれない。


「ニコラ、どこへ行っても困ったことがあった時は俺がいつでも駆けつける」


 二人は体を離した。ニコラがクラウスの髪を撫でていた。これも子供のころからの癖だ。ニコラに髪の毛を触られるとうっとりした気持ちになってくる。それを本能的に察知したニコラが、元気のない時にそうしてくれた。


「ありがとう。お嫁に行っても駆けつけてね」


「分かった」


「私もクラウスが苦しんでいる時は助けに行くわ」


 クラウスは体中に力がみなぎってきた。


 二人にとって、お互いの存在は大きかった。他の誰に捨てられても、最後にいてくれる人だという確信があったからだ。



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