第17話 苦悩するローザ

 その後、暫くローザからは連絡がなかった。ブリーゲル夫妻はしびれを切らしクラウスに訊いた。


「もうそろそろ結婚の話を進めましょう。いいわねクラウス?」


「ああ、ローザ様さえよければ……」


「どうしたんだ、自信がなさそうだが」


「僕の事を気に入ってもらえたのかどうか……自信がないんです」


「まあ、そんな気弱なことを言わないで。大丈夫よ、女の私から見ればあなたは十分魅力がありますもの。ねえ、あなた」


「そうだ。お前ほどの男前はこの辺りではいないぞ。早速あちらのお宅へお伺いしよう」


「そうね、私たちでお伺いすることにするわ。良い返事を待っていてね、クラウス」


「は、はい」


 クラウスは困惑気味に、頷いた。


 ああ、これでもう結婚が決まってしまう。本当に彼女と結婚していいのだろうか。しかし養父母の言うことには逆らえない。


 ローザは家へ帰ってからもイラついていた。原因は自分でもわかっている。少女を助ける時にクラウスが叫んだニコラという名前。血のつながらない兄妹だということを知っているからこそ、こんなにも心が乱れている。



 ローザは愛馬にまたがり気晴らしに遠出をした。久しぶりの遠出でいつもなら楽しい気持ちで出かけていたが、その日は鬱々として気持ちが荒れていた。

 いつも以上に馬に鞭を当てた。馬は彼女の荒れた気持ちが伝わり興奮し始めた。


「それ、速く! もっと速く走るのよ! もっと、速く!」


 競走馬のように鞭を当てられて、馬は息が上がっていた。そこへ更に鞭を当てる。


 自分でも何でそんなに、というほど激しく鞭を当てた。

 必死でしがみつくローザ。上下に体をゆすられながら、バランスを取るが、一瞬の気持ちのゆるみで、体が左右に揺れた。


 あっ、と思った瞬間、体は馬の左側に来ていた。


 いけない!このままでは下へ落ちてしまう。


 必死で体を元の位置へ戻そうと、右へ体重を掛けようとしたが、すでに手遅れだった。体はずるずると下がっていき、そのまま左肩を地面にぶつけるように落馬した。地面は目の前に迫ってきて、止まった。


 主が乗っていないことに気がついた馬は、少し走ってから止まった。ヒヒーンという鳴き声と共に、馬が後ろを振り返った。


「あああ……痛いいい。どうなっちゃったのかしら、私」


 体は馬の左側から落ちそのまま地面に左肩と腕を強く打ち付けながら転がった。幸い牧場の土の上だったので切り傷はなかったが、体の左側すべてがジンジンとしびれている。そのせいで感覚がない。無事だった右手で左腕と肩を触ってみる。


「痛いッ!」


 試しに左手が開けるかどうか握ったり開いたりして見る。ぱっと開けると思って力を入れたが、その手は開かなかった。再び痛みが襲う。座って様子を見ていたが、痺れは一向に引かない。血が出ているかと思い腕をまくってみたが、幸い血は出ていなかった。


「あああああ、全く動かない。腕はだらりとして力が入らなかった。片からそうッと触ってみると、骨に触れた時ものすごい痛みが走った。


 しかし、こんな原野の中に一人でいてもいつ人が通るかもわからない。無事だった足で立ち上がり、右手で馬を引きながら歩いた。どこか人がいるところまで歩こうと、結局牧場を管理する住民の小屋までたどり着いた。住民は心配そうに訊いた。


「どうなさったのですか」


「落馬してしまって……もう乗って帰ることができません。クラッセン家まで馬車で送ってはいただけませんか。着いたらお礼は致しますので、お願いします」


 ローザの額には、疲労と痛みで脂汗が滲んでいた。


「クラッセン家のお嬢様でしたか。お礼には及びません。今すぐ支度しますので。ここへ横になっていてください」


 馬車の支度ができるまでソファで横になり、送ってもらってようやく家にたどり着いた。



                    ⋆

 家へ着くと父のラルスと母ヴェらは心配のあまり抱きしめた。


「ああ、痛いっ。怪我をしてしまったの。馬から落ちて……」


「どうしたの。あなたというものが、落馬するなんて。大人になってからは一度もそんなことなかったのに……」


「私……私……」


 ローザは自分の気持ちをどう表していいかわからず、苦痛で顔を引きつらせていた。


「もう何も言わないで、ゆっくり休むのよ。すぐお医者さんを呼ぶから、ソファに横になっていなさい」


 ローザは体を横たえ、目を閉じてクラウスとのことを思い出していた。


 クラウスは元々の家柄は良くないが、今では男爵家の一人息子。容姿も人柄も申し分ない。自分のようなお転婆な娘を、軽んじることなく認めてくれる。結婚したら大切にしてくれそうだ。しかし、とっさに叫んだニコラの名前が重い澱の様に心の中に漂っていた。その名前は亡霊のように、自分の心の中を支配していった。


 やっぱりだめなのかしら。二人はうまくいきそうもない。眼を閉じていると、ローザを呼ぶ声がした。そっと目を開けると、医師と母のヴェラが目の前にいた。


「お嬢様、ご無理をなさいましたね」


「ちょっと考え事をしていて……私ったらしょうがないわね」


「何かお悩みだったんじゃありませんか。こんなこと大人になってから初めての事でございますよ」


「まあ、色々と」


「若いお嬢様ですから、色々お悩みはあるのでしょうが、お気を付けください!」


「優しい言葉をかけてくれてありがとうございます」


 医師は左腕を固定して包帯を巻いた。


「骨が折れています。一か月ぐらいは左腕をお使いにならないように、固定しておきました」


「まあ、骨折してしまったんですか。当分動けないんですね」


「今まで走り回っていたのです。少し自宅でのんびりお過ごしください」


「あ~あ、がっかりです」


「お大事になさってください」


 見ていた母のヴェラも今までにない彼女の様子に心を痛めていた。こんなに大怪我をしてしまって、これでは結婚の話は当分お預けになってしまうだろうから。


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