第13話 クラウスのデート
クラウスは家へ戻り自室へ入った。すると、二コラが興味津々の顔で入ってきて訊いた。片手を自分の顎の下に置き、俺が座っている椅子の周りをくるくると歩き回っている。立ち止まっては俺の顔をちらちらと見ている。
「ローザ様はどんな方? いい方だったの? クラウスの好きなタイプ? う~ん、どんな人が好きなタイプなの? 知りたいわ」
俺が嬉しそうに見えるのか、それほど気になっているのか、随分追求してくる。しかも後ろに回り込むと髪の毛を触ったりしていて、時々ぞくりとしてしまう。くすぐったくてしょうがないが、我慢して触られている。
「おいおい、質問攻めだな」
今度は、肩に手を置いて揉みしだくような手つきで肩を触っている。なんだかうっとりして気持ちがよくなってくる。これは兄妹の特権だ。スキンシップは兄妹の絆には必要なものだ。
「答えて! まんざらでもないみたいじゃない?」
「ローザ様は、お嬢様だった。ちょっとプライドが高そうだ」
「お嬢様っていうのは、プライドが高いものなのよ」
「そうなのか……」
ニコラは手の動きを止め、腕組みをしている。それから……後ろに回りやにわに俺の体をぎゅっと抱きしめて訊いた。俺の背中には、ニコラの胸が……触れている。その圧力にめまいがした。
「……で、クラウスは気に入ったの?」
「会ったばかりだから、まだ何とも言えない」
「そうなの。話は合いそうなの?」
「ちょっと疲れるな」
ニコラは、ようやく俺の体から手を離した。ほっとしているのもつかの間、今度は頭に手を置いて撫でるように髪の毛をいじる。くしゃくしゃな髪の毛を撫でつけるようにしている。そんなにいじり回さないでくれ。しかし俺は大きな体で何も気に留めていないようなふりをする。
「この方がいいんじゃない、髪型。ふ~ん、気を使うタイプってことね。それとも、緊張しすぎた? メイドと私以外の女性と話すの初めてだもんね。私より魅力的だった?」
「そんなわけない!」
「お世辞行ってない?」
「お前にお世辞なんか言うわけないだろ」
「ありがと。やっぱりクラウスは私の騎士だわ」
そう言うと、俺の前に回り込み満足そうにうなずく。しかし次の一言を言っていいものかどうか、逡巡してから思い切って告げた。こいつに隠し事は良くないからな。悲しむかな。
「まあね。おっほん! 今度デートすることになった。乗馬をする」
この一言を言うのに、かなり考えた。しかし、黙って行くのも気が引けた。
「へえ~、どちらから誘ったの? もしかしてクラウスから?」
「なんとなくそういうことになった。乗馬が得意らしいから、成り行きで……」
「じゃあ、練習しておかなきゃね。得意だって言ってるくらいじゃあ、相当上手なのよ」
ニコラには、クラウスがデートする場面がどうも思い浮かばない。クラウスはいつも自分に合わせてくれて、ご機嫌を取るばかりだからだ。自分の事を語って口説いている姿とはどうも無縁な気がする。
「そうかあ。そうなのか……」
「なんだか手ごわそうなお嬢様みたい。これから大変そうよ」
他人事のように、俺を上から眺めている。俺の何を分かっているつもりなんだ。
「脅かすなよ。大変なのかな。俺が結婚相手を見つけるのは?」
「クラウスの場合はね。頑張って!」
「うん」
俺はニコラの反応を見る。彼女は俺の前に座って足をぶらぶらさせている。考え事をしている時の癖だ。今までニコラが俺のお姫様だったのに、これからは別の姫に仕えることになるのかと思うと想像もつかない。ローザお嬢様はニコラ以上に手ごわそうだ。でも、俺が結婚するとなると、ニコラは相当寂しがるだろうと心配していたが、そんな心配には及ばないようだ。この様子だと……
デートの日がやって来た。その日は朝から落ち着かなかった。前日からニコラは俺を冷やかしたり、しなだれかかってくる。
「気分はどうお、お兄様?」
「なんだか気持ちが悪いな」
「乗馬の練習は十分できた?」
「まあまあだな。俺たちのデートを見に来るなよ」
「見になんか行かないわ。落馬したらカッコ悪いじゃない」
「落馬なんかしないさ」
「腕力だけじゃ乗りこなせないのよ」
「生意気だな」
「うまく行ったらすごいわね」
「何がだ?」
「お嬢様と結婚できる」
「俺がお嬢様好きだと思ってるの?」
「そうでしょ。違うの?」
「全くもう、そろそろ行くぞ!」
「照れちゃってるのね……」
「じゃあな」
クラウスは、ニコラに手を振り颯爽と馬にまたがり駆け出していった。四歳の時から一緒に暮らしていたが、いつまでも自分とだけ暮らしていくわけにはいかない。結婚相手がこの家にやって来て、そのうち自分もどこかへ行かなければならないのだろう。もうそんな現実がすぐそこまで来ているのだ。
クラウスには、ローザに見てほしい場所があった。それは幼いころ育った川べりの小屋のあった辺りと、牛乳を売って歩いていたころ世話になったレオン爺さんとグレーテ婆さんが住む山の家だった。ローザがそんな貧乏な暮らしを理解することなど到底不可能だとわかっていても、自分の生い立ちは知っていて欲しかった。今暮らしているブリーゲル男爵家も見てほしかった。乗馬が得意なローザなら難なく回ることができる。
待ち合わせ場所は、牧場の中の道しるべのある食堂だった。先に着た方が中へ入って待っていることになっていた。クラウスは約束の三十分ほど前には到着し中で待つことになった。
クラウスはそこで、お茶を注文して一息ついていた。
「お待たせしてすいません。今着いたところです」
扉が開いてローザが姿を現した。
「僕もついたばかりです。お茶を飲んでいました。あなたも飲んでから行きましょう」
ローザもお茶を一杯飲み、ひと息ついてから出かけた。
「今日は楽しみにしていました」
ローザがためらいがちに言った。
「僕もですよ。ご案内したいところがあるのでついてきてください」
「是非、お願いします」
優しそうな笑顔が印象的だ。これから親しくなれそうな予感がしてくる。
ローザは、牧場主のお嬢様らしく、体にフィットしたパンツをはき、上はジャケット姿だった。初めて会った時のドレス姿もエレガントでよく似合っていたが、スポーティーな姿もよく似合っていて、快活な印象を与えている。
草原を走っていると、風が頬に当たり心地よい。
「乗馬が本当にお上手ですね」
クラウスは、馬と一体になって走っているローザの姿を見て後ろから言った。
「馬と仲良しなんですの。馬は人間の気持ちがわかるようなんです」
「愛情を持って接すると、馬も心を許してくれるのかな」
「そのようです」
感じのいい女性だなと思った。
そのままどんどん進んでいき、クラウスが川べりの小屋で暮らしていたころ、牛乳を取りによく通ったレオン爺さんとグレーテ婆さんの家の近くへ出た。
見てもらいたかったが、いざ近くまで来ると本当にここへ案内してよかったのかと、迷いが生じた。
「あのう、見てもらいたいものがあるんです……」
「ああ、そうおっしゃっていましたね。どのあたりですか?」
「もうすぐです、この丘を過ぎたあたりだと思います」
なだらかな丘陵地を走っていると、次第に下り坂になった。そこかしこに牛が草を食む姿が見える。
「ああ、あそこです」
「あら、可愛らしい山小屋?」
「そうです。行きましょう」
小屋を追い出されて、どこへも行く当てのなかった自分とニコラを親切に泊めてくれた人たちが、そこにはいるはずだ。今でも元気に暮らしていれば。
小屋の前まで着て馬を止めた。
「さあ着きました。ちょっとご挨拶してきます」
「ええ……」
呼び鈴を押すと、中から二人がやっと歩いて出てきた。年を取ってはいるが確かにあの時の二人がそこにいた。泊めてもらった日から十年程の歳月が過ぎていた。
「クラウスです」
「おお、おお、クラウスか。一目見てわかったよ。しかし、随分立派になって……えらいもんだ。さあ、中へお入り」
レオン爺さんが言った。
「こちらはローザ様、入りましょう」
ローザは、中を見て一瞬顔をしかめた。
「ここへ、入るのですか?」
こじんまりとした質素な建物だったが、決して不潔にはしていないはずだ。
「遠慮しないで、入りましょう」
再びクラウスが入るように促した。しかし、入ることをためらいドアから中には入ってこなかった。
クラウスは気まずくなってしまった。折角の夫妻の好意を踏みにじってしまう。
クラウスは二人の手をしっかりと握り、再会できたことを喜んだ。しかし、どうしてもローザは中に入ろうとはしなかった。
レオン爺さんが言った。
「お嬢様とわしらは住む世界が違うんだ。クラウスも、もうわしらの事は気に掛けないで、自分の人生を生きるがいい。その方が幸せになれる」
グレーテ婆さんもうなずいた。
「そうよ。こんなに元気で立派になったクラウスの姿が見られただけでもう私は嬉しいわ。今の生活を大切になさい」
こう言って抱きしめた。
「お爺さん、お婆さん。ありがとう。お礼が言えてよかった」
クラウスはお礼の言葉を言って外へ出た。するとそこには、平然とした顔のローザが待っていた。
「御免なさい。なんだか、入る気がしなくて」
「いいんだ。僕の用に付き合わせちゃって御免。昔お世話になった人たちなので、お礼を言いに来た」
「そう、それじゃあ家からたくさんお礼の品を届けさせるわ。生活に必要なものが、あまりなかったようだから」
「気を使わせちゃってごめん……」
「そんな、謝らないで」
二人は、再び馬に乗り、今度はクラウスの住むブリーゲル家へ向かった。クラウスはここへ連れてきたことを少し後悔していた。
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