第12話 クラウス、ローザに会う

 クラウスはクラッセン家のローザに会ってみることにし、母シャルロッテ、父トニオと共に馬車に乗った。家族以外の女性に会うことはめったになかったので、会ってみるのも悪くないのかなと思った。


 クラッセン家の屋敷は広大な領地の中にあった。敷地を表す標識が現れてからも、ブリーゲル男爵夫妻とクラウスを乗せた馬車はかなりの距離を走っていた。あまりの広さに、クラウスが訊いた。


「ここがすべてクラッセン家の土地なのですか?」


 シャルロッテ夫人もあまりに広いので、遠くの方を見つめ感激のあまり興奮している。


「そうらしいわね。私たちも初めてお邪魔する場所なのでよくわからないけど、広いわねえ」


 見渡す限りの草原を通り、林を抜け再び草原に出た。道の端に目印が現れその目印に沿って走ると屋敷を囲うようにして生い茂る木々が視界に入った。


「この中を走っていくと屋敷にたどり着くようだ」


 トニオが物知り顔で言った。


「そのようね。やっと屋敷が見えたわ」


 庭園の遥か彼方に、ようやく小さく屋敷が見えた。馬車はスピードを落とし門の中へ入って行った。門柱に表札がかかっていて、そこから屋敷までも数百メートルはあった。


「なぜこんなに大きいんだ。相当大勢の人が住んでいるんだろうな」


「いいえ、クラッセン夫妻とお子様たちが何人かいらっしゃるだけよ。あなたが会うのはは一番上のお嬢様。その下にお二人男のお子さんがいらっしゃるとのことよ」


「じゃあ、たった五人家族で、こんなに広い家に住んでいるんですか?」


「まあ、そんなに驚かないで、笑われてしまうわ。気を大きく持っていきましょう」


「はい、お母さま!」


「嬉しいわ、お母様と呼んでくれると」


 馬車は大きな扉の前で止まり、御者がドアを開けた。トニオが扉のそばについていた呼び鈴を鳴らした。大きな扉がゆっくり開き、黒い服を着た年配の男性が現れた。

 父トニオが胸を張って紹介した。


「私トニオ・ブリーゲルと申します。こちらは妻のシャルロッテと息子のクラウスです。お招きいただき大変光栄です」


「私は執事でございます。ご家族の皆様が、お待ちかねでございます。どうぞこちらでございます」


 ブリーゲル夫妻とクラウスは執事の後をそろそろとついていった。


 屋敷があまりに広いので廊下をかなり歩いて、いくつめかの扉の前で止まった。


「こちらのお部屋でございます。ささ、どうぞ」


 執事が扉を開けてくれたので、三人はそうッと部屋に入った。部屋はまるでホールのように広く、天井も高かった。上からは豪華なシャンデリアがいくつも下がっていて、部屋中を明るく照らしている。ここは応接室なのだろうか。ソファといくつもの椅子があるが広い部屋にちょこんと置かれていて何とも不思議な空間だ。


「ささ、どうぞこちらへおいで下さい。皆さんようこそいらっしゃいました」


 ローザの父親ラルス・クラッセン氏が挨拶した。クラッセン氏は顎髭を生やした背の高い男で、後ろには夫人が控えていた。夫人は髪を高く結い緑色の髪留めで止めていた。その後ろには母親と同じぐらいの背丈のすらりとした女性が立っていた。薄いベージュのドレスのすそが揺れていた。


「お会いできるのを楽しみにしておりました。お美しいお嬢様でいらっしゃいますね」


 続いてトニオが、ローザを見て笑みを浮かべて言った。


「いえいえ、そんなことはございません。お転婆で、馬などを乗り回しております」


「頼もしいお嬢様ですな。広い農場をお持ちですから、それくらいでなければ」


 挨拶が終わった頃、メイドがお茶を持って入って来た。


「ささ、皆さんこちらへお座りください」


 向こう側の席にクラッセン家の三人が座り、手前のソファにブリーゲル家の三人が向かい合う形で座った。ローザとクラウスが、お互いに向かい合う位置になった。


「ありがとうございます」


 クラウスがお礼を言った。メイドは、俯き加減の顔を少しだけ上へ向けてクラウスの顔を見た。それからニコリとほほ笑んでから下がった。二コラに似ているな、と思い嬉しくなった。いけないいけない、こんな時まで何でニコラの事を思い出すんだ。


「ではクラウス、自己紹介しなさい」


 トニオが、クラウスに促した。


「クラウスです、毎日体ばっかり鍛えているもので、腕力だけは誰にも負けません」


 シャルロッテ夫人が、満足そうにうなずいている。確かに腕力だけはかなり強い。ローザが、クラウスの顔を見据えて質問した。


「あのう、養子でいらっしゃるんでしょう。本当のご両親は何をなさっていらっしゃっていたの?」


 母親のベェラが、ローザの質問を遮る形で言った。


「あらあら、ローザ、失礼ですよ。初対面でそんな質問をするなんて」


「いいんですよ。本当の事ですから。父親は船乗りでした。母は、病気で亡くなりました」


「ご苦労なさったのね?」


「これは、私の運命なのだと、あまり悲観せずに生きていました」


「そうでしたか。わたしには想像もつかないことね」


 ローザは憐れむような顔で、クラウスを見ている。そんな目で見られると悲しくなる。


「知らないほうが幸せです」


 言ってから一層惨めな気持ちになった。


「さて、私たちはブリーゲルご夫妻に屋敷をご案内しますから、二人はここでお話をしていてね?」


 気を利かせたつもりなのか、ローザの母親のヴェラが言った。


「はい、お母さま」


 ローザははにかんだように答えた。


 大人たち四人は気を利かせたつもりで一斉に退席した。ローザとクラウスは、広い部屋に二人きりになった。いくつもの窓があり、カーテンが掛けられ、その隙間から日の光が差し込んでいる。二人きりになり、何か言わなければと言葉を探した。


「乗馬をなさるのですね」


 先ほど聞いたことを、クラウスは口にした。


「ええ、小さい頃から馬には親しんでおりましたので、それにここは敷地が広いので乗れないと不便なんです」


「それはそうですね。わかります」


 これほど広大な牧場を持っていたら、馬がないと移動するのは大変だ。


「では、今度二人で馬で出かけましょうか?」


 ローザは、微笑みながら頷いた。


「ええ、楽しみですわ」


 クラウスは、あまり乗馬には自信がなかったが、成り行き上二人で馬で出かけることになった。これから少し練習しなければならない。


「是非とも、ブリーゲル家にもおいでください」


「ええ、爵位のあるお方のお屋敷、家などよりずっと広いのでしょうねえ」


 クラウスは、何と答えていいのかしばし返答に詰まった。この屋敷に比べるとずっと小さかったからだ。でも、正直に言っておいた方がいいのではと思い正直に答えた。


「残念ながら、こちらのお屋敷ほど広くはありません」


 その時、ローザの眼には失意が現れた。


「えっ、そうなのですか」


 その反応を聞き、クラウスは暗い気持ちになった。なんだか自分と話をしているのではなく、品定めされているようだった。その表情をローザは見逃さなかった。


 ローザは話題を変えた。


「あのう、妹さんがいらっしゃるんですって?」


「はい、二コラといいます。十六歳ですので、ローザ様とは大体同じくらいのお年ですね」


「まあ、素敵な方なんでしょうねえ?」


「それほどでもないですが……可愛い妹です」


「まあ、クラウス様がおっしゃるんだから、可愛い方なのでしょうねえ。お話が合うといいわ」


 結婚することになれば、一緒に暮らすわけだから気になるのだろう。


「普段はどんなことをしていらっしゃるの?」


「家では、そうですね、ピアノの稽古や読書、それから裁縫や調理の手伝いなどをしています。結構器用なんですよ」


 ローザは、一瞬困ったような表情をした。


「あら、裁縫や料理なんて使用人にやらせればいいのに。男爵家では、そんなこともお嬢様にやらせているの?」


「昔からやっていたことなので、慣れているんですよ。まあ、好きでやっているだけです。あなたはやる必要はございませんので、ご心配なさらないでください」


「そうですか。それならいいのですが……あたくし、身の回りの事はすべて侍女やメイドにやらせていましたので、まあ、それが当たり前のように育ったので仕方ありませんわ」


 今度は拗ねてしまった。


「そうですよね。長年身についた生活習慣はなかなか変えられませんから」


「でしょう? あなたもそうお思いになるでしょう?」


「はい、その通りだと思います」


 まあ、言っていることはもっともだと思う。このお姫様と暮らしていけるのかは、あまり自信はなかったが話だけは合わせることができほっとしていた。ニコラとはだいぶ性格が違うようだ。


 一回り見学を終えたブリーゲル夫妻が戻ってきた。


「あまり長居するのも失礼ですから、今日のところはこれでお暇致します」


 クラウスは、ローザに挨拶をして帰ろうとした。


「では、また乗馬に出かけましょう」


 ローザがクラウスに言った。


 それを聞いたクラッセン夫妻は目を丸くした。


「まあ、あなたの方からお誘いするなんて、失礼ですよ、ローザ」


「いえ、先ほど一緒に行きましょうと、僕がお誘いしたんです。それでは楽しみにしています、ローザ様」


 クラウスが答えた。ブリーゲル家の屋敷を見た時のローザの反応が気がかりだった。きっとがっかりするだろうなあ。


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