第11話 更に一年の歳月が過ぎ

 さらに一年が経過した


 ニコラは十六歳、クラウスは二十歳になった。


 背丈はメイドのエマとリリーよりも少しだけ高くなった。ニコラは養女になってから食べ物にも恵まれ、その年頃の女性たちと比べて背が高いほうだった。外を歩くと、誰しもが振り返るような美少女になり、ブリーゲル夫妻は客人が来ると鼻高々と紹介するようになった。


 クラウスは日ごろの鍛錬の成果で筋骨たくましくなり、背丈はトニオの身長を優に超えるようになった。男の使用人の中で一番の力持ちザシャと変わらないぐらいの身の丈となり、相変わらずメイドの二人は彼に夢中になっていた。気に入られて結婚できれば、この家の若奥様になれるとあって、二人の競争は激化していた。


 ニコラは男爵家の令嬢として扱われるようになってから、水仕事をすることも食事の後片付けも免除された。その代わりにピアノのレッスンが定期的に行われ、家庭教師を付けられて勉強するようになっていた。四歳でリベール王国へ来てから誰にも勉強を教わったことがなかったので、新鮮な体験だった。養子として迎えられた十歳から六年間ずっと家庭教師を付けてくれていた。以前は先輩のメイドだったエマとリリーはメイド頭のハンナの言いつけですっかり令嬢として扱ってくれている。


 クラウスの方は体力を付けたいと言いう本人の希望で力仕事は今まで通り行っていた。薪割や簡単な大工仕事ならザシャと一緒に仕事している。そんな仕事をしていたおかげで体格が良くなり力もついて来たので、ブリーゲル夫妻も禁じたりはしなかった。気さくな性格なので相変わらずライナーには数字の事はよく聞いていたし、人付き合いの上手なドミニクやカミルとも休み時間になると一緒に話をしていた。この家の一人息子として、彼にも遅ればせながら家庭教師が付けられ、基本的な教養は身に着けることができた。


「ドミニク、悔しくて悔しくてたまらない時は、どうしたらいいんだろうか?」


「悔しい思いを行動に移し思いをはらすか、じっと耐えるか、どちらかしかないだろうな。どうしてそんなことを聞くんだ?」


 ドミニクも、クラウスの最近の様子が気になっていた。


「い、いや別に。そんな場合はどうしたらいいのかなと思って……じゃあ、じっと耐えていたらどうなるんだ?」


「いつまでも思いは心の中にわだかまって、消えることはない。忘れてしまうこともあるだろうが、時間がかかる。忍耐力が必要だな」


「それは辛いな。では悔しい思いを取り除きたい時はどうすればいいんだろう?」


「それは、悔しかった原因を取り除くことが一番だ。原因が無くなればすっきりするだろうな。クラウス何でそんな質問をするんだ。何かよほど悔しいことがあるのか? 俺に話してみろよ。昔のよしみだろ、使用人だと思って遠慮してるのか?」


「いや、そんなわけじゃない。別に大したことじゃないんだ。例え話だと思って聞き逃してくれ」


「そうか? なんだか最近思い詰めているように見えるから、何かあったのかと思った」


 思っていることを行動に表さなければ、一生後悔するだろうな。自分の気持ちはもう決まったようなものなのに、答えはもう出ていたのに、後押しする言葉が欲しくて聞いてみた。


 昼食後には裏庭へ行って彼らと話したり、暑い日には木陰で涼んだりしていた。そんな姿を見ると、ニコラは無性に一緒に仕事をしていたころが懐かしくなり、そんな時は下へ降りて行きクラウスに話しかける。


「クラウス、仕事はどうお? 力が強くなったでしょ? 私が持ち上がるかしら?」


 こんなことを言われると、どうしていいかわからなくなる。持ち上げていいものか、ふざけて行っているのか全く分からない。


「よーしっ、軽いもんだ」


 クラウスはニコラの体をひょいと持ち上げた。


「おっ、重くなったなあ」


「そうお? 懐かしいなあ。クラウスに持ち上げてもらうの。転んだときはよくこうして持ち上げてくれた」


 ニコラはきゃあきゃあ言いながら喜んでいる。それが嬉しくて何度も持ち上げた。ニコラも持ち上げてもらいたくて、子供のころはわざと転んだんじゃないかと思う。もうそのころに戻れないと思うと、懐かしくてしょうがない。はしゃいでいるニコラを見ているとこみあげてくるものがあった。そんな気持ちに気がついたニコラは、じっと俺の顔を見ている。


「やっぱり降りるね。もうそんな年じゃなかった。私もう十六歳になったのよ」


「そうだな。俺はもう二十歳だからな」


 こんなことをしていると、いっそ時間が止まってしまったらいいのにと思う。



 心の中でそんなことをつぶやいていると、シャルロッテ夫人の声にかき消された。


「クラウス、そこにいたのね。いいお話があるから私の部屋へいらっしゃい!」


「は、はいっ」


 クラウスは慌ててシャルロッテ夫人の部屋へ向かった。


「ねえ、クラウス。座って頂戴」


 クラウスは、畏まって夫人の前のソファに座った。


「あなたにいいお話があるの。今まであなたの事を気にかけていたクラッセン様がお嬢様に会ってほしいと言ってきたのよ。街で使用人たちと荷物を積み込み、さっそうと行動していたところを見たと、それはそれはお気に入りなの。こんな素晴らしい青年がいるとは、どこのご子息かと調べたら、あなたの事だったと……」


「そんなあ。それほどでもないです。僕程の男なら街にいくらでもいますよ」


「いえいえ、そんなことはないっておっしゃってるわ。それでね、ローザ様といって十七才になるご令嬢がいらっしゃって、お父様のラルス様が是非あなたに会ってほしいとおっしゃっているの。クラッセン家はこの辺では古くから続く名家で、広大な領地をお持ちなの。そんなお嬢様ならきっと素晴らしい方に違いないわ。主人に話したらそれはそれは乗り気なのよ」


 ああ、思ったとおりだ。いずれそんな時が来ると思いながら、こんなに早くその時が来てしまった。


「僕にはもったいないような方ですね……」


「そんなことを言わず、今度一度会ってみましょう。いいわね」


「はい、仰せとあれば……」


「まあ、そんな堅苦しい方をしないで。楽しみにしていてね」


「そ、そうですね」


 シャルロッテ夫人は、自分の事のようにうきうきしている。返事は相手方に伝えられ、場所と時間の手配がいつの間にかされていた。クラウスはその事を真っ先にニコラに伝えた。


 ニコラは平然として言った。


「あら、いいお話じゃないクラウス。奥手のクラウスじゃいつまでたっても結婚なんかできそうもないもの、誰かに紹介して頂いた方がいいわ」


 と、プイと向こうを向いてしまった。俺が予想していた反応と違っていた。


 クラウスダメよ、結婚なんてまだ早いわ、という言葉を期待していたのだ。


 何ともあっけない反応に、心配などしなければよかったとクラウスは後悔した。俺が誰と結婚しようが関係ないのかな、寂しいけど。

 

クラウスは、ニコラのそっけない態度を見て、相手に気に入られたら結婚することになるのだろうかと、漠然とした不安を抱えながら会いに行くことを決めた。そんなことになったら、ニコラは本当は寂しくて一日も耐えられないんじゃないか、と心配しているのだが……


 しかし、ニコラのためにと考え続けている敵討ちはいつになったらできるのだろうか。俺は悶々として毎日を過ごしていた。

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