第10話 クラウスの決意

 泣いている二コラを見せたくない一心でクラウスは、ニコラを彼らから遠ざけたのだ。


「クラウス――! ああ、なんて残酷なの! 私は、私は、クラウスに助けられた時からずっと独りぼっちだったなんて!」


 クラウスは慰めの言葉も見つからず、ニコラを抱きしめるしかなかった。



 私は……生きているのも奇跡なら、舟に乗せられた私をクラウスが見つけたのも奇跡だ。


 記憶の中の父母の姿はいつも自分の方を向き笑っていた。かすかな記憶でしかないのに、彼らの姿がゆがんだ。自分の泣き叫ぶ声を押し殺すようにクラウスの胸に顔を押しつけた。それでも嗚咽を押さえることができず、声を出して泣いていた。


「ニコラ、両親の事が分かった。こんな形で……知らないほうが良かったか?」


「いいえ、分かってよかった。私がこの国へ来た時には、もうこの世にはいなかった……ずっと迎えに来ると信じ込ませるなんて、侍従の嘘つき」


「小さかったニコラが、大騒ぎせずに逃げ出す方法だったんだよ。わかってあげよう」


 クラウスは、ニコラを崩れ落ちそうになる体を支えた。


「迎えに来てくれなかったんじゃなかった。来られなかったんだ」


 ニコラがクラウスの胸の中でうなずいた。


「可哀そうなお父様、お母さま。わたしだけが何も知らないで、異国で生き延びていた」


「ご両親が逃げ延びたことを知って、天国できっと喜んでいるだろう」


「そうかしら……」


「きっとそうだ……」


「私は、今までずっと独りぼっちだったのね……クラウスと同じように」


 クラウスはニコラを離すと、言い聞かせるように言った。


「俺は一人ぼっちだと思ったことはない」


「どういうこと?」


「ずっと、ニコラと一緒だったじゃないか。俺はニコラがいたから、今まで必死で働いて生きてきた」


「そうね、私にはクラウスがいた。ずっとこの世界で、二人で生きてきた……クラウスがいてくれて……良かった」


 再び、二コラはクラウスにしがみついて泣いていた。長い時間そうしていて、泣き疲れた二コラがクラウスから離れた。本当は血のつながりなどない兄妹だ。クラウスはこんなにしっかり二コラに抱き着かれて、ドキドキしてしまった。ニコラも、正気に戻るとなぜか焦っていた。それから、お互い顔を見合わせた。


「クラウス、逞しくなったわね」


「二、二コラも……大分、大人になった……みたい」


 二コラは、胸の奥がずきりとした。なぜなの? こんな気持ちになっちゃいけないわ。


「やっぱり二コラは、お姫様だなあ」


「何を言っているの、私、もうお姫様でも何でもないことが分かったじゃない。国へ帰ったって何も残ってやしない」


「いや、二コラは俺にとってはお姫様なんだ」


「変な人ね」


 そうだった、俺はいつも二コラの事をお姫様のように扱っていたような気がする。


「あ~あ、何だかすっきりしちゃった。だってもう、来るか来ないかわからない人を待っている必要もないもの」


 クラウスは暖炉を見た。まきの燃えかすがわずかに残り、火はもう見えなかった。クラウスの中で、二コラの両親の命を奪った見えない敵に対する怒りがふつふつと沸き上がり、その気持ちが頂点に達したときポッと燃え尽きた薪の中に火がついた。


「あら、消えていたはずの火が……いつの間に着いたのかしら?」


「俺が念じたからだ」


「クラウス、魔力が強くなっているの」


「ああ、年齢とともに次第に強くなってきた。いつかこの魔力を使う日が来るんじゃないかと思う」


「必要な時が来たら、きっと役に立つわ」


「そうだろうな。体を鍛えるとどんどん強くなるようだ」



 なかなか戻ってこないので、心配になったシャルロッテ夫人が、メイド頭のハンナを呼びによこした。


「応接間にいらしてくださいって、奥様がおっしゃっています」


「今すぐ戻ります」


 二コラは鏡に自分の顔を写し髪の毛をブラシですいてから部屋を出た。クラウスはホフマン夫妻の前できっぱりと言った。


「いつか僕たちをフォルスト公国へ招いてください。若いうちに異国の地を見て見たいんです。いいでしょうお父様、お母さま」


 眼を細めて二人は返事をした。いまだにクラウスは、トニオ様、シャルロッテ様と呼ぶことが多かったからだ。父であるトニオは微笑みながら言った。


「おお、行っておいで。異国を見るのも良い経験だろう。どうにかして行けるように手配してください、ホフマン様」


「喜んでお招きしますよ」


 二コラにとっては敵の手の中に入るようなものだったが、クラウスは自分が守り通す自信があった。自分には魔力が与えられていて、今こそその力を使うべき時なのではないかと思った。それをニコラのために使おう。


 それからは、クラウスは大男のザシャを相手に取っ組み合いの試合をしたり、力比べをする毎日が続いた。


「何をむきになって取っ組み合いばかりしているんだ」


 お調子者のカミルが二人を見るたびにからかっていたが、あまりにも真剣なのでいつからかからかうことをやめた。何かにとりつかれたようにクラウスは自分の体を痛めつけ強くなろうとしている。何度もザシャに投げ飛ばされたり、捻られたりするたびに地面にたたきつけられ擦り傷を作った。


「もうやめた方がいいんじゃないのか?」


 ザシャが訊くと、答えはいつも決まっていた。


「手加減しないでくれ。俺はもっともっと強くなりたいんだ」


「一体いつまで続けるんだ?」


「ザシャよりも強くなるまで」


「そんなのは無理だ。俺より強い奴はいない」


 そう言われると、ザシャも加減をせずにクラウスにかかっていった。このぐらいの事なんでもない。俺はいつか必ず二コラを国から追い出した奴らをやっつけてやる。


 二コラはそんなクラウスを見たことがなかった。自分が国を追われたいきさつを知ってから、目の色を変えて鍛錬をしている。


「クラウス、もういいのよ。私は今の生活に十分満足しているし、仕返しなんて考えていない。クラウスに助けてもらい、ここで新しい家族もできた」


「それじゃあ、二コラたち一家を痛めつけたやつらは大きな顔をしてのさばるばかりだ。何とか懲らしめてやらなければ俺の気持ちが収まらない。俺の魔力を使えば何とかあいつらを打ちのめすことができるんじゃないのか。そのために鍛えてるんだ!」


 ニコラは、フォルスト公国へ行くことを恐れている。ただ一人の生き残りである自分が現れたら、命を狙われてしまうからか。それならば俺一人でゲレオンを倒しに行こう。いつか機会を狙って。機会は自分で作ればいいだけのこと……


 クラウスの体は、地面に打ち付けられあざだらけになった。練習を見ている二コラは、練習後傷を見てはため息を吐く。


「クラウス、ここにも薬草を塗っておくわね。あら、こんなところにも傷がある。いくら塗ってもきりがない」


「もうそのぐらいでいい。自然に治るさ」


「いいえ、ちょっと待って。ここは、血が出てるわ! 大変!」


 腕を包帯で縛り上げられてしまった。


「大袈裟だなあ、二コラは」


「後で、膿んだりしたら大変なことになる」


「大丈夫だ。俺は魔力があるんだから」


 魔力と怪我は関係ないと思うのだが、そんな鍛錬を毎日続けるうちに、時にはザシャを投げ飛ばすことができるようになってきた。


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