第9話 更に五年後

 それから更に5年の歳月が経った。


 ニコラは十五歳、クラウスは十九歳になった。


 ニコラは以前のようなメイド服ではなく、簡素ではあるがドレスを身に着けていた。クラウスもそこで働く男たちよりも少し仕立ての良い服をあてがわれていた。体がなまってしまうので、薪割などの力仕事は率先してやってはいたが。


 二人が養子になったのちも、ブリーゲル男爵家に子供が生まれることはなく、二コラの親が迎えに来ることもなかった。

 ブリーゲル夫妻は、自分の交際範囲の中から二コラに婿の候補を上げ、相手に打診し始めていた。クラウスにはこの家にふさわしい嫁を見つけようと、どこに年頃の娘がいるかを躍起になって調べていた。


 そんなある日、隣国フォルスト公国の子爵家に嫁いだシャルロッテ夫人の妹がやってきた。養子を迎えたという知らせを聞き、以前から一目会いたいと手紙をよこしていたのである。今回はリベール王国へ来る用向きがあり、ようやく念願かなって姉シャルロッテのところへ立ち寄ることができた。元々両国間の行き来は頻繁には行われていない。商人や一部の役人が定期的に行き来はしているが、貴族でも何か用向きがなければ行き来することはできない。田舎で静かに暮らしている両親の見舞いと言ってきたらしい。先行きが心配だと何か理由を付けたようだ。

 

 応接間ではシャルロッテ夫人と夫のトニオが並んで座り、向かい合う形で妹のエリーゼと夫のレオン・ホフマン子爵が座っていた。


「フォルスト公国に嫁ぐという話を聞いた時から不安だったわ。誰も知り合いのない異国で一人でやって行けるのかと……生活はうまく行っているの?」


 シャルロッテ夫人はホフマン子爵の手前、できるだけやんわりと妹に訊いた。


「レオン様のおかげで、私は何不自由ない生活をしているわ。川の上流にあるフォルスト公国は水も緑も美しいところで、私たちはその恵みで生活が出来ているの。お姉さまの方はどうお? 是非子供たちに会いたいわ。ねえ、あなた」


 エリーゼはレオンの方を見て、にっこり微笑んだ。


「それじゃあ二人を呼ぶわ」


 シャルロッテ夫人は、控えていたメイド長のハンナにクラウスとニコラを呼びに行かせた。

 部屋で待っているように言われた二人は、すぐにハンナの後ろについて応接間に入り、シャルロッテ夫人の隣の椅子に二人並んで座った。


「こちらクラウスとニコラよ。兄妹そろって養子にしたのよ」


「あら、よろしくね。これから行き来をするのが楽しみだわ。家にも三人の子供がいるのよ。八歳の息子と三歳と五歳の娘がいるの。まだ小さいけど、家へ来たら遊んであげて頂戴ね」


「凄いなあ、三人もいとこが出来るなんて、信じられないよ」


 クラウスが言うと、シャルロッテ夫人がうなずいた。


「そうよ。フォルスト公国に住んでるの。今度何か口実を付けて会いに行きたいわね」


 ニコラは、フォルスト公国と聞いてはっとした。自分が幼いころ住んでいたところ、それがフォルスト公国ではなかっただろうか。両親はそこの公司と王妃だったはずだ。幼いながらもそれは記憶にあった。ニコラは思い切って訊いてみた。


「フォルスト公国は、どんな様子でしょうか?」


「あら……何か気になることがあるの?」


「私もとても美しい国だと聞いていましたので……どんなところなのかと思いまして……」


「ええ、森も川も美しいことに変わりはありませんが、国は以前より落ち着かなくなっているの。以前国を治めていたクリストワ公と妃のコルネリア様が弟のルーカス様と豪族のゲレオンという男に殺されてしまい、その後王座に就いた弟のルーカス様までゲレオンという男に殺されてしまったのです。今ではゲレオンが国王に座についております」


 ニコラはその話を聞き、体を震わせ顔を伏せた。幼い頃にはいつか迎えに来てくれると信じて、毎日河原へ行き舟が来ることを待ち望んでいた日々。年月を経た今でも、いつの日か必ず連れ戻しに来ると信じていた。それなのに、あの日家臣は嘘をついて私を屋敷から連れ出し舟に乗せて、必ず生き伸びてほしいと送り出した。自分の命を犠牲にして……


 全ての事実が一気にニコラの胸の中に溢れ、濁流の様に胸を押しつぶした。


「そんなことがあったなんて……」


 それ以上言葉を継ぐことが出来なかった。代わりにクラウスが訊いた。


「弟が兄夫婦を殺すなんて、そんな残酷なことがあったなんて……それはいつの事ですか?」


「もう、十一年ぐらい前でしょうか。私がレオン様に嫁いだのが十二年前でしたから、それから一年ぐらい後の事でしたから」


「十一年前……」


 ニコラが川岸に流れ着いてきたのが十一年前……ひょっとして、二コラはそのお城に住んでいたんじゃないか……それで誰かが必死の思いを込めて人目につかないよう川に流した。


「もう一つ、気の毒な話があるの」


 ああ、この話の中心にいた人物こそがニコラなんじゃないか!


「王妃様には、一人娘のローゼマリーという名のお姫様がいたんだけど……」


 やはりそうだ! あの時口にして隠していた本当の名前!


「お城の中どこを探しても姿が見つからなかったんですって。長い間森の中や街道、近辺の家々の中まで兵士がくまなく探したけど、結局見つからなかったんです。結局、どこかで命尽きたんでしょうということになり、後になって教会の裏手の墓地にクリストワ公と王妃様と、お姫様のお墓が並んで建てられました。王宮の中にいて抵抗した人々や乳母や、側近の方々も殺されてしまったんです」


 じっと、エリーゼの話に耳を傾けていたレオンが気の毒そうな顔をした。


「可哀そうなことをしたものだ。家の子供たちぐらいの幼い子供まで巻き添えにして」


 クラウスは、確信した。ほんの一度だけ二コラが口を滑らせて言った名前、ローゼマリー。ああ、可愛そうなニコラ。こんな話を聞いて正気ではいられまい。


「いろいろなお話を聞かせてくださってありがとうございます、エリーゼおばさま。僕たちは仕事の途中だったので中座させていただきます。終わったら、また後で来ます。さあ、行こう。もうお邪魔だから……」


 涙が見られないようにじっとうつむいているニコラの顔が隠れるように、クラウスは長身の体を前に出した。ニコラの表情は見えなくなり、そのまま部屋を退出した。苦しそうにぶるぶる震えるニコラ。もうこれ以上たっているのも辛そうだった。クラウスはその体を抱えるようにして彼女を部屋につれて行き、ベッドに座らせた。

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