第8話 ブリーゲル夫妻の話

 シャルロッテ夫人が、話を始めた。


「ニコラの幼い頃のことが気になっているの。あなたが知っている範囲でいいから教えてね」


「どうして急に? 今まで聞かれたことなどなかったので……ピアノは……練習したことがなければ弾けないから……ニコラはどこでピアノを覚えたのかと思って。ここへ来る前にどんな生活をしていたのか、ちょっと気になったの」


「あいつは何と言っていたんですか?」


「はっきりしたことは何も……幼いころに誰かに教わったような気がするって……誰なのかしら。あなたの家にはピアノがあったの?」


「いいえ、家は貧乏だったのでありませんでした。多分教会かどこかで教えてもらったんだと思います。僕にははっきりとはわかりません。四六時中一緒にいたわけではないので」


「そりゃあそうよねえ」


 シャルロッテ夫人は、夫のトニオの顔を見て何か考え込んでいた。今度はトニオが話し始めた。


「幼いころに君の元を去ったという、お母さんの事を調べさせてもらった。お母さんは二人の生活を立て直すために住み込みの仕事をしに出て行ったんだ。そこで病に倒れ……亡くなったそうだ。子供がいることは伏せて働いていたので、君に連絡が来ることはなかったそうだが。気の毒なことだ」


「……そっ、そんなことがあったなんて! 僕は全く知らずに、自分が捨てられたのかと思って、ずっと母の事を恨んでいた……可哀そうな母さん……」


「だとすると……君の妹は……もう君もわかるだろうが、お母さんが違うんじゃないのか。お母さんがつれてきて置いていったという話も……本当の事ではないね」


「……あ」


 もうこれ以上隠すことはできないのか。ニコラがやってきたいきさつは絶対に話してはならないと隠し通してきたのに。しかしなぜ今になって、俺たち二人の事を調べているんだ。


「すいませんでした。嘘をついて。ニコラとは、本当は兄妹ではありません。一緒に暮らしていただけです」


クラウスは観念して、事実を認めた。どうしても働きたくてついた嘘だったが、分かってしまった以上もうここには置いてくれないだろう。出て行けと言われれば、出て行くしかない。


「君たちのことが気になったのは、訳があってな」


「……訳、ですか……」


「君たちのことを調べたのは、家の養子にしようと考えていたからなんだ」


「え? 養子に、僕たちを?」


「ああ、幼いころから家に来て、四年間この家で暮らしてきた。君たち兄妹は闊達で物覚えもいい、それに妻のシャルロッテの支えにもなりそうだ」


 褒められたことは嬉しかった。自分がそれほどまで認められたことは、初めてだった。


「出来れば、ニコラと出会ったいきさつを話してくれたらいいのだが、話したくなければいいが……」


 自分を認め信頼してくれている二人の様子を見て、クラウスは話し始めた。


「僕に関しては、お調べになった通りですが……二コラは、僕の家に迷い込んできたときは、良い身なりをしていました。四歳でした。僕はどこかの令嬢なのではないか思いました。迷子だと思い、家に帰してあげようとしたのですが、父母が迎えに来るはずだと言い張り、それまでは、と家で面倒を見ていました。しかし、いまだに何の音さたもありません」


「やはり、そうだったか。六年間も迎えが来ないのだ、家の養女にしても良かろう。いまさら会ったところでわかるまいから」


「あいつは元のお嬢様に戻れていいと思いますが、僕はこの家の子供にはふさわしくありません。二コラだけにしてはどうでしょうか?」


「クラウスは、家の子供になることを望んでいないのか? 二コラと本当の兄弟になれるんだぞ」


「僕なんかじゃ、勿体なくて……」


「そんな遠慮は無用だ。我々は結婚して十年以上になるが、いまだ子供に恵まれない。君たち二人は天からの贈り物のような気がしてならないんだ」


 こんな申し出はもう二度とないかもしれない。いや、無いに違いない。でも何だろうこの気持ちは。自分で兄妹だと言いながら、心のどこかで二コラと兄妹になることを拒んでいる。


 クラウスは二コラにこの日の話を伝えた。この国へ来て以来ずっと二人きりで何でもやってきて、手放しで喜ぶというよりは戸惑っていた。二人も本当の兄弟ではない。寄せ集めのような家族でこの先うまく行くのだろうか。


「ニコラ、乗り気じゃなかったら断ったっていいんだ」


「そうね、今に本当の両親が迎えに来てくれるかもしれない……」


 ニコラは、空を見上げている。この空はどこかで両親とつながっている。


「あれから六年たった」


「そう六年も……」


 今度は、腕組みをしてほおを膨らませて地面の一転を睨んだ。


「もう……来ないのかも。親の事はもう忘れることにする。ここで二人とも養子になりましょう」


「そうだな。お前がいいなら、そうするのも悪くない」


 いくら考えても断る理由が見つからず、二人は養子になると返事をした。


そんないきさつがあり、二人はブリーゲル男爵夫妻の養子になった。使用人の仲間たちは、その日から二人にどう接していいかわからず、用を言いつけることもできなくなった。

「俺は今まで通り力仕事をするし、ニコラはメイドの手伝いをするさ」

夫妻はやらなくてもいいと言ったのだが、仲間たちの手前今まで通りやることにした。

「クラウス、ブリーゲル夫妻に私が舟で流れ着いて来たって話したの?」

「いや、話していない。お前は迷子だったんだって話した。その通りじゃないか。迎えに来るはずの親が迎えに来ないだけだ」

「じゃあ、夫妻はもう迎えに来なければいいと思っているわね?」

「そうかもしれない」

「迎えに来たら、どうなるのかしら、私は?」

「見つけ出すのは至難の業だろうけど」

「もう、見つけられないかもしれないのね」

「残念だが……」

ああ、心のどこかで彼女はまだ親が迎えに来ることを期待しているんだ。俺は母親が亡くなったことを知らされた。ニコラがここから去ってしまうことなど考えたくない。俺も両親が迎えに来ないことを期待していた。

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