第7話 さらに四年後
それから四年の歳月が過ぎ……
ニコラ十歳、クラウス十四歳になった。
執事のヨーゼフは、二人に言った。
「お前たちもだいぶ、人間らしい生活に慣れてきたな。来た時には野生動物のようだったけど」
「お陰様で、色々なことを覚えて外の世界のことがわかるようになりました」
クラウスはここでの生活が、二人だけで小屋で暮らしていた時に比べると別世界の様だと思っていた。様々な人間模様が見えて魅力的でもあった。
力仕事はザシャから、世の中のお金のことについてはライナーから、人間関係の作り方についてはコミュニケーション力にあるドミニクから、そしてお調子者のカミルからは要領よく世渡りをする術を教わった。いつも野菜のごった煮しか作ったことがなかったが、様々な料理を目にして、作り方を料理長のハーゲンに聞いた。ここで学んだことがどれほど多かったことか計り知れない。
ここで食べたシチューがあまりに美味しかったので、料理長のハーゲンにこっそり頼み込んで、作っているところを見せてもらったこともあった。食糧庫の整理をすることを交換条件に。
クラウスのごった煮に比べると、使う材料も手順も複雑だった。厨房には、様々な形をした乾燥ハーブや、薫り高い香辛料が並んでいた。そういう物を何種類も加え数時間煮込み悪を取り、複雑でまろやかな味に仕上げていく。芸術のような料理に感動してしまった。
ヨーゼフは、二コラの変貌にも目を見張った。
「ニコラもだいぶレディーらしくなってきた。メイド見習いから、メイドになれそうだな」
背丈も二人のメイドたちの肩ぐらいまである。クラウスにおんぶをせがんだ時に比べれば、だいぶ体つきがしっかりしてきた。もう自分の前に現れてから四年が経ったのか。
二人のメイドたちは、どうにかニコラに取り入ってクラウスと親密な関係になろうとしていた。彼女たちは十代後半になり、十四歳になったクラウスを見る目は、もう子供を見るそれではなくなっていた。そんなこともあり、二コラに対しても一目置くようになっていた。
「クラウスのおかげで、助かってるわ」
「今頃やっと、俺のありがたみがわかった?」
「ええ、水仕事や力仕事ばかりやらされなくなった」
「ああ、そういうことか。でもよかった」
ニコラの泣きそうな顔を見るのは俺だって辛い。そんな時は、俺がこいつを守らなければならないのかと思って気を張っていた。まるで、お姫様を守る騎士の様だ。騎士になった覚えはないんだけど。
ニコラは、裏庭の切り株にスカートが汚れないようにハンカチを置き、腰を下ろした。文字の読めないクラウスに、レオン爺さんとグレーテ婆さんからもらった絵本を広げて声を出して読みながら文字を教えてあげたおかげで、読み書きには不自由しなくなった。
ニコラが膝の上に細長い紙を広げていたので覗き込んだ。
「何だ、その白と黒の細長い板の絵は?」
「これはピアノの鍵盤の絵なの。私、昔弾き方を習っていたような気がするの。奥様がピアノを弾いていると無性に懐かしくなる。ああ、私も先生に教わって弾き方を教えてもらっていたような気がする」
「ピアノの音を聞いて、昔のことを思い出していたんだ……」
「そうなの、ピアノの音色を聞いて、弾き方を忘れないように私はこれで練習していたの」
「練習させてはもらえないからな」
「そうね、残念だけど」
ニコラは、紙の上で指を動かして音楽を口ずさんだ。弾いているとそんなふうに聞こえるんだろうな。
何度か、彼女はシャルロッテ夫人がピアノを弾いている時に、ドアの外でその音色を聞いていた。ふと夫人がニコラがドアの外に立っているのに気がついた。
「ここで、何をしているの?」
「ピアノの音が聞こえたので、うっとり聞きほれていたんです」
「音楽がわかるのかしら?」
「いえ、そんなわけでは……でもとても美しい音で、私もそんなふうに弾けたらい
いなと思って……」
「こっちへいらっしゃい」
夫人の部屋へ入るように言われ、おずおずと入って行った。何をさせられるのだろう。何かまずいことを言ってしまったのだろうか。
「何でもいいわ、弾いてみて?」
「そんな、私なんか」
「弾いたことがあるんじゃないの?」
どうしよう、少しなら弾けるが、弾いてもいいのだろうか。クラウスにお嬢様だと思われるような真似はするなと言われた。
「遠慮しないで、弾けるんでしょ? 私は内緒にしておくわ」
その一言で、ついニコラはピアノの前に座り、六年ぶりにピアノの鍵盤に触った。初心者が習う練習曲だったが、最近は紙の上で練習していたせいか何とか指は動いてくれた。ぎこちない動きではあったが、するすると一曲弾き終えた。
「お上手! 習っていたことがあるのね?」
ついシャルロッテ夫人の言葉に乗せられて、弾いてしまった。弾いてしまったんだから正直に言うしかないし、初めて弾いたなんて言えない。
「ああ、覚えてないけどすごく小さいときに教わったような気がします。それで手が覚えていたような……」
「誰に教わったのかしら?」
「それもよく覚えていないんです。でもピアノの前で、誰かが教えてくれたような気がしますが……」
本当は、彼女の記憶の中では自分の部屋にピアノがあり、定期的に先生が教えに来てくれていた。傍らには、母親である王妃の姿がいつもあった。
ああ、どうしよう。どこで覚えたのか追及されたら……
―――ああ、弾くんじゃなかった。
「お上手だったわ。ご褒美に砂糖菓子を上げるわ。もう下がりなさい」
ああ、良かった。ニコラはもらった砂糖菓子を握りしめて部屋を後にした。ドキドキして心臓が止まりそうだった。
その後しばらくは、ピアノの事でシャルロッテ夫人から何か言ってくることはなかったのだが、ある日突然クラウスがブリーゲル夫妻に呼び出された。
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