第5話 新居へ

「よしついた」


「うわ――っ! 大きいお家! どんどん大きくなるね、クラウス!」


 結局、途中からほとんどおぶって男爵家の屋敷まで来てしまった。立派な門構えの向こうに豪奢な二階建ての屋敷が見えた。いくつもの窓があり、日の光が窓に当たり輝いていた。エントランスまで整えられた小道が続き、両側には色とりどりの花が咲き乱れる庭園がある。


「わあ、綺麗なお花!」


「ここに住みたいだろう?」


「うん、住みたい!」


「だったら、いい子にして話を合わせるんだぞ」


「分かってるって」


 呼び鈴を押すと、トニオ・ブリーゲル男爵と、妻のシャルロッテが玄関に現れた。彼らは二人の身なりを見て、玄関先で話をした。あまりにも身なりがみすぼらしく、何といっても相当汚れていたからだ。


 ここでもう面接が始まるのか。気が早いな。


「家で働きたいって? 二人一緒にかい」


「はい。兄妹なので離れるわけにはいかないんです」


「歳は?」


「僕が十歳で妹が六歳です。今まで牛乳売りや、農家や大工の手伝い、何でもやってきました。こう見えても力はあります。結構重たいものでも運べます」


「ふ~ん。家では、そんなにいろいろなことはやらないけど。力仕事はできそうだな」


「はい、いつも牛乳の樽を運んで街まで売りに行っていました」


「では。クラウスは下男として雑用一般をやってくれ。妹の二コラは、当分メイドたちの手伝いをして、いずれは家のメイドとして働いておくれ」


「ありがとうございます、良かったな」


「はい、おにいさま」


 いいお返事でしょ。と二コラはご機嫌だった。


 ブリーゲル夫妻は身寄りのない二人が、あまりにも哀れだったので家で面倒を見るつもりで引き取ってくれたのだった。


 二人は、ブリーゲル男爵家で働くようになったのだが、二人一緒に泊まれる部屋がなく、馬小屋に簡素なベッドを置いて眠ることになった。それでも、川岸の小屋に比べると立派なもので、不思議と馬の匂いは気にならなかった。



 翌朝シャルロッテ夫人が、大声で二人を呼んだ。


「朝だよ、いつまでも寝ていないで、早く起きてこっちへおいで!」


 はっとして、慌てて起き出した。クラウスは寝ていた時の服装のまま飛び出し、ニコラは一番きれいに見える服を着ていった。と言っても、四歳の時に着ていたドレスはもう着られなくなってしまったので、クラウスが古着屋で値切って買ってきてくれた一張羅に着替え駆け出した


 二人は風呂場へ連れていかれて、お湯を張ったたらいの前に立たされた。


「二人とも服を全部お脱ぎ!そんな汚い格好をしていたら、家の中が汚れてしまうよ」


 二人は顔を見合わせ、しばし動きを止めた。兄妹ということにしてあるが、本当は赤の他人だ。子供とはいえお互いに裸の姿をさらすなんて、恥ずかしくてできない。


「何をぼさーっと突っ立ってるんだい。早く脱いで体を洗ってもらいなさい! ついでに来ている服もあらってあげるから」


 シャルロッテ夫人の隣には、メイド頭のハンナが腕まくりをして待ち構えていた。


「お前が先に入れ。俺は向こうを向いてるから」


 それを聞いたニコラは、着ていた服をやはり反対を向いて脱ぎ、たらいの中に足をそっと入れた。


「わあ、あったかーい!」


 座って体もお湯に沈め、ハンナに体を掴まれてごしごしと洗われた。


「一丁上がり! はい、次!」


 ハンナは、クラウスに服を脱ぐよう促し、今度は二コラが反対を向いて待っていた。同じように体を掴もうとすると、


「体は自分で洗う」


 とクラウスはハンナに言った。もう十歳だ。女の人に体を洗ってもらうなんて恥ずかしい。ハンナは頭と背中だけをごしごし、たわしで擦り最後に頭からお湯をかけて流した。


「二人とも、とっても綺麗になりました、奥様!」


 その姿を見て満足したシャルロッテ夫人は、どこからか調達してきた古着を二人に着せた。


「さて、これから何をしてもらおうかな。クラウスは荷物運びや掃除などの手伝いをして。二コラは、そうねえメイドの手伝いをしてちょうだい。教えてもらって裁縫も覚えるのよ。しっかりお兄さん、お姉さんたちの言うことを聞いて仕事を覚えて!」


 二人は大家族の中の末っ子のようだった。


 男爵家には何人かの使用人がいた。大男のザシャは力仕事が専門で、薪割はお手の物だった。生まれ持った賢さで計算に強いライナーは、この家の経済状況は大抵把握していた。コミュニケーション力のあるドミニクは、使用人同士のいざこざがあるといつも仲裁役に買って出た。楽観的でお調子者のカミルは、何とかなるさが口癖で、慎重さに欠けることがありそれがあだになることもあった。クラウスが教えを受けることになったのはこの四人で、彼らは自分たちの弟分が出来たと、得意げに仕事の説明をしてくれたりからかったりしていた。


 料理長のハーゲンとコックのマルコが調理場を取り仕切っていた。ハーゲンは街の食堂で修業をし、その腕を見込まれて男爵家の専属料理人になった。コックのマルコはまだ十代の若さでハーゲンの助手として働いていた。男性の使用人はあと一人、全員のまとめ役でもあり、この家の事務全般を取り仕切る執事のヨーゼフがいた。


 女性陣はメイド頭のハンナを長として、メイドのエマとリリーが従っていた。二人とも十代の少女たちだった。エマとリリーは、ニコラにシーツやバケツなどを持たせ自分たちの手伝いをさせた。



 数週間が過ぎ二人が仕事に慣れた頃、シャルロッテ夫人が言った。


「お前たちもだいぶこの屋敷にも慣れてきたようだ。クラウスは男の使用人たちと一緒の部屋で寝なさい。ニコラはメイドのエマとリリーの部屋に住むように」


 今までは、試用期間だったんだな。俺たちが使えるかどうか見ていたようだ。これでようやく暖かいベッドで眠れる。


 ベッドは古いソファを改良したものだったが、二人にとっては仕事が終わりそのベッドで寝る時間は天国にいるような気分だった。


 クラウスはニコラの大切な巾着袋の入ったカバンを、ソファの下に押し込んだ。これは誰の目にも触れさせてはならない。命の次に大切なものだから。

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