第3話 二年後

 クラウス十歳、二コラは六歳になった。

 

 クラウスは、船乗りの父親譲りの逞しい体つきになってきた。さらに力仕事ができるようになり、仕事の範囲も広がっていた。牛乳だけではなく、野菜も荷台に乗せ街へ運び野菜売りなどの手伝いをしたり、建設現場では木材運びなどもするようになった。手に入れた釣竿を使って隠しておいた舟に乗り魚釣りに出かけることもあった。


「二コラ、行って来るぞ。人さらいにつれて行かれないように気を付けろよ」


「何を言ってるの、クラウス。私のために美味しいものを手に入れてくるのよ」


 クラウスと同じようなぼろぼろの服を身に着けているが、ついついそんな言葉が出てしまう。

 お姫様は何か手伝おうという気は無いのだろうか、いつまでも面倒を見てもらおうとしている。たった一つしかない鍋で食事を作るのもクラウスの仕事だ。自分の方が大変だと思いながらも、ついつい甘やかしてしまう。

 

 ニコラはあまりにやることがないので、そのあたりをうろうろしては、植物のツルや枯草を拾ってきて、何か編んでいる。


「あたしだってお仕事してたわ。ほら見て頂戴」


 差し出したのは、ツルで編まれた籠だった。


「ふーん、お前が考えて作ったのか?」


「そうよ。あたしだって役に立つでしょ?」


「これは何かに使えそうだな。そうだ、魚を取る籠になる」


「わあ、良かった!」


「もっと上手に出来たら、街へもっていって売ることにしよう」


「売れるかなあ?」


「分からないが。売れればお金がもらえる」


「お金がもらえれば、美味しいものが買えるの?」


「買える」


「じゃあ頑張る!」


 少しは世の中の事がわかってきたらしい。




 ニコラは大抵のところには着いてこられるようになった。


「犬を見たことがあるか?」


「犬?」


「四つ足で立って、わんわん吠えるやつだ。大きいのもいれば小さいのもいる」


 ニコラは宮殿の男たちが狩猟のお供に連れていた大型犬を思い出した。恐ろしいうなり声を出し、小さい子供などはとても近寄らせてくれなかった。


「今日は一緒に犬を見に行くか?」


「犬、牙をむいて、怖くない?」


「怖い奴もいるけど、これから会いに行く犬は怖くはない。一緒にいこう」


 いつまでも一人小屋にいても良くないだろう。外の空気に触れた方がいい。


「怖くない犬もいるの?」


「自分の味方だと思えば、噛みついたりはしない。それに大きな家もある」


 二人は、連れだってレオン爺さんとグレーテばあさんの牧場へ向かった。小屋の周囲しか知らなかったので、今まで見たことのない景色に心を奪われた。故郷のフォルスト公国にいた頃も、王宮とその周りの庭しか見たことはなかったし、いつも侍女がそばについていた。


 川岸を出てぐんぐん山へ登って行く。クラウスが拾ってきて、やっと覚えた裁縫で穴を塞いだぼろぼろの靴を履いて歩いた。


「足が、痛くなってきた」


「もう直つく」


「……」


 広い草原が見え、見上げた先にお爺さんとお婆さんの……家があった。


「あの、お家?」


「そうだ」


「……」


「大きな家だろう?」


「……」


「……どうだ?」


「……ちっちゃい……」


「……」


 クラウスがいつものペースで歩いているせいか、二コラは必死に足を運んで息をゼイゼイさせている。



 家にようやくたどり着くと、お婆さんはニコラを見て当然のことながら驚いている。


「この娘は?」


「俺の妹です。母さんがつれてきて、また出て行っちゃったんだ」


「まったく、お前のお母さんは悪い人だなあ。かわいい子だねえ。名前は何というんだ?」


「ニコラです」


 クラウスの陰に隠れてうなずいた。


―――私の話し方は変わってるってクラウスが言うから、大人しくしてなきゃ。


 レオン爺さんは牛乳の入った桶を荷台に積みながら言った。


「クラウス、妹までいるなんて大変だな。しっかり売ってきておくれよ」


「まかしといてください。今日はニコラも手伝ってくれるから」


―――そうか。私に手伝わせるために連れてきたのね。とうとう父さまも母さまも、迎えに来てはくれない。あきらめて働けっていうこと。


「パピー、行ってくるよ」


 クラウスが一匹のセントバーナード犬の頭をくしゃくしゃになるまで撫でた。


「あっ、ワンちゃん。怖くないのね」


 ここへ来てから初めて言葉を発した。


 それを見たレオン爺さんは、目を細めてパピーを抱き寄せた。パピーは羊の番をするための番犬だ。やたら人に噛みついたり吠えたりはしない。迷いそうになる羊を家の方向へ誘導する賢い犬だった。


「ほら、お嬢ちゃんも触ってごらん」


 レオン爺さんはパピーの首輪を掴みながら言った。


 ニコラは小さな手をそっとパピーの頭の上に乗せて優しくなでてあげた。パピーは眼を細めてじっとしている。クラウスが得意げに言った。


「もうパピーと友達になれた。大丈夫だって言っただろ」


「可愛い……パピーよろしくね」


 ニコラはクラウスがしたように、頭から首筋まで撫でた。


「帰ってきたら、また遊んであげてくれ」


 レオン爺さんに手を振りながら二人は、元来た道を下り街へ行き牛乳を売り歩いた。このころには、いつも決まって買ってくれるお得意さんもでき無駄に歩き回ることがなくなっていた。


「搾りたての牛乳はいりませんか―!」


 クラウスの掛け声をまねして、ニコラも言ってみる。


「搾りたての牛乳美味しいですよ―!」


「おお、その調子だ。二人で商売をした方がきっと沢山売れる。そうすれば早く山へ戻れる」


「牛乳はいりませんか―!」


 ニコラは声がかれるまで声を出した。街の人々はクラウスの後ろにいる娘を物珍しそうに見ていた。


「おや、どこの娘だ、クラウス」


「俺の妹だ」


「そんな妹がいたのか?」


「ああ」


 人々の彼女を見る目は、クラウスに向ける目とは全く違っていた。ニコラの美しく整った顔立ちは、すすけて汚れていてもはっきりと分かった。そんな驚きと羨望のまなざしで見られることが、血のつながった妹ではなかったが、連れて歩けることが誇らしかった。


「今度は顔を洗ってこよう」


「あら、街の人に汚いと思われちゃった?」


「いや、そうじゃない」


「ふ~ん」


 昼になり、売り物の牛乳を飲みながら、パンを一切れずつ食べた。お婆さんが家のかまどで焼いてくれたものだ。このパンを食べるのも楽しみの一つだ。


「売れてよかったね、クラウス」


「まあな」


「クラウスが頑張ったからね。それから私も」


「そうだな」


「お金がもらえるね」


「うん」


「クラウス嬉しくないの?」


「嬉しい」


「ふ~ん」


「さあ帰ろうか」


「うん」


 二人はすべて売り切って軽くなった樽を乗せて、心も軽く牧場へ戻った。お爺さんとお婆さんはクラウスに駄賃にバゲット一つと、自家製のチーズまでお土産に持たせてくれた。


「ニコラがついてきてよかった。バゲットとチーズのお土産がついた」


「二人で頑張ってお仕事したからでしょ?」


「そうかもな」


「クラウスには私がいた方がいいんだね」


「そうだな」


 グレーテばあさんは、彼女の事を妹だと言ったときに驚いたような顔をした。まるで、冗談を言っているんだろうという目つきで俺のことを見ていた。お婆さんの勘は鋭い。


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