第2話 国を後にして
―――そのころ、二コラの故郷フォルスト公国の宮廷では死の静寂が支配していた。
宮廷の主であるクリストワ公とコルネリア王妃が殺され、抵抗した人々や傍仕えの者たちも殺された。床や壁には血の跡が生々しく残り、大人しくしていた使用人たちは、奴隷のように扱われた。彼等は新しい主人の元、どのような扱いを受けるかもしれず、泥沼にはまってしまっい身動きが取れなくなった小動物のように、濁った視点の定まらない眼で将軍の身に着けている大きな甲冑を見上げた。
首謀者である、クリストワ公の弟の一味の豪族であるゲレオンが無抵抗な使用人たちに言った。
「公司も王妃も殺された! もうお前たちの主人は、この世にはいない。俺たちに従え。さもなくば、お前たちの命はない!」
指揮を取っていた将軍が、兜の下から眼光を向け、挑みかかるような勢いで彼らに命令した。男も女も怯えながら、着の身着のまま彼に付き従った。生き残った者たちにもどんな運命が待ち受けているのか知る由もなかった。
「今日からこの王宮の主は、弟君のルーカス様だ!」
使用人たちからざわめきが起きた。よりによって弟君が謀反を企むなんて。
「黙れ! 私に従えば命だけは助けよう」
彼らは、静かに跪いた。
ただ一つルーカスの気がかりがあった。それは、どこを探しても兄の一人娘、ローゼマリー姫が見つからなかったことだ。王宮内の隠れられそうなところはすべて探し尽くし、身を潜めていそうな近くの森もくまなく探したが、手掛かり一つ無かった。馬で逃がした者がいるかもしれず、街道も全て兵士たちに探させた。
たとえ逃げおおせたとしても、じきすぐに命尽きるだろう。たった四歳の幼子だ。心配には及ぶまいと捜索は打ち切られた。
ローゼマリーが一艘の舟で、川下にあるリベール王国の川岸にたどり着いたのはそんな時だった。
「いいか、今日からお前は俺の妹だ!」
兄弟のいなかったローゼマリー(二コラ)は、薄汚れたクラウスの顔をじっと見た。
「こんなきったないお兄ちゃんかあ。まあ良いでちょ、あたしのお世話をしてくれるんだから」
「生意気な奴だ。それからな、その話し方は俺といる時だけにしろ」
二コラは、不思議そうな顔をしてクラウスの顔を見た。
「どうちて? いけないの?」
「どうでもいいだろ、ここで生きていきたかったら、そうすることだ」
説明のしようがなかったが、どこの貴族の娘かもしれない。身元がわかるとまずいのではないかと直感した。
「ふ~ん。よくわからないし……難しそうでちゅ」
「分からなかったら、俺と同じように話せばいい。ただし自分の事は俺ではなくわたしと言えよ」
「俺って言っちゃいけないの?」
「俺っていうのは、男が自分のことをさす言い方なんだ」
「ふ~ん」
いちいち説明しないとわからないのか。面倒な奴だが、まあ退屈しのぎにはいいか。どうせ一人暮らしだし、話す相手もいないから。
二コラが川上の方を見ていた。可哀そうに、また今日も迎えにも来ない親を待ってる。
「迎えに来ると思って、見てるのか?」
「おとうちゃまと、おかあちゃま、必ず迎えに来るって家来の人が言ってた……」
「そんなに見ていても、いつ来るかわからないぞ。小屋に入れ」
「うん。お日様沈んじゃった。明日は来るよね」
「そうだな。いつか来るかな」
クラウスはどうせ来ないと思っていつも上の空で聞いていた。
そんな日が何日も続いた。
「まだ来ない。ローゼマリー……あっ、間違えた。二コラの事忘れちゃったのかなあ?」
「あれ、今なんて言った?」
「何でもないでちゅ、忘れてくだちゃい」
ふーん、こいつの名前はローゼマリーっていうのか。覚えとこう。
「もう来ないんじゃないのか?」
「絶対きまちゅ!」
「どうせ来っこない。期待するだけ無駄だ!」
「ひどいでちゅ、クラウスなんか! バカ、バカ、バカ、バカ―――! 嫌いでちゅ」
二コラは、手をバタバタさせ涙を流し始めた。
あ~あ、来ないよ、来るわけないだろ。お前を捨てた親が。
二人は、王宮で起こった出来事を全く知らずにいた。
「さあ、夕食だ」
「またこれでちゅか? 他のものもちゅくって――」
「全くうるせえなあ。材料がないんだ」
「ど――して――っ。畑に行けばありまちゅ。取ってきてくだちゃ――いっ」
「勝手にとるわけにいかないんだ」
「あ―――ん、お腹空いたよ―――っ」
「俺だってお腹空いてるんだ。嫌だったら出て行けよ!」
二コラは泣き止んだが、じーっとクラウスを睨みつけている。結局一歩小屋の外へ出て見たものの、寒さと空腹ですぐに中へ入り、野菜の切れ端を切り刻みごちゃまぜに煮込んだスープを飲んだ。
「この暮らしになれないと、ここでは生きていけない」
「生きなきゃいけない」
二コラは、真面目な顔できっぱりと答えた。家臣に必ず生きてくださいと言われたことを思い出した。どんなものでできているのかわからないようなスープをごくごく飲みほした。
夜は一つの寝床で体を寄せ合って眠りについた。
「二コラのベッドは?」
「ベッドは一つしかないんだ。嫌なら床で寝ろ」
やせ我慢して床で体を丸めていたが、とうとう観念して藁のむしろを敷いた簡素なベッドにもぐりこんだ。
「クラウスあったかーい」
クラウスの背中に小さな両手をすり寄せて、小さな寝息を立てた。
「くすぐったいなあ」
背中にくっついた小さな体は暖かかった。
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