揺れる川面の向こうには
東雲まいか
第1話 出会い
―――ここはリベール王国。
川にほど近い場所に小さな小屋があった。
八歳のクラウスは、住処にしているその小屋を出ると大きく伸びをした。
ようやく日の光がさし、道がうっすらと見えるようになるころ、外へ這い出す。
今日も日の出とともに起きる。食べ物を得るためなら早起きをした方が良い。街へ行けば、まだ食べられるものが捨てられていることもある。
小屋から川べりにふと視線を向けた時、一艘の舟が葦の間に見えた。舟は数人乗れは満員になってしまうぐらい……小さい。
珍しいな……こんな朝早くから。
……釣り人でもいるのかな。
あれ……舟しか見えない。誰も乗っていないのか。
人の姿が……ない。
何処かから流れついてきたのかなと、じっと見据えていると、もそもそと何かが起き上がり、頭が四方を向いてあたりを眺めまわしている。
小さい女の子……らしいが、一人きりで何をしているんだ?
気になり川岸まで降りていき、身を乗り出して近くへ寄って行った。少女は、クラウスを珍しい物でも見るような目つきで見ている。
身なりは汚れて、顔はすすけているわ。どこの子かしら、と眼があっても気にせずじ―っと見つめている。少女は背筋をピンと伸ばし、きっぱりと通る声で言った。
「お前は……誰でちゅか?」
随分偉そうな物言いをするじゃないか。
「誰って……クラウスだ。お前こそ誰だ?」
「あたしは、あたしは……」
いけない、いけない、本当の名前を言ってはいけないって、国を出る時に言われたんだわ。咄嗟に思い浮かんだ名前を言った。
「二コラよ、いい名前でちょ」
本当の名前はローゼマリー。川上にある隣国フレーベル公国の公司クリストワと、王妃コルネリアの一人娘である。
しかし、ここはごまかさなければならない。
「う~ん。そうか? 二コラ、こんなところで一人で何をしていたんだ?」
「……それは、言えまちぇん!」
どこから来たかも絶対に言ってはならないとも言われた。父親であるクリストワ公の弟と豪族が結託し、父母は殺されてしまった。せめて見つかる前に国外へ逃亡させようと考えた忠実な家臣に、舟に乗せられ幸か不幸かここへ流れついた。
クラウスは、少女の身なりを見て驚いた。今まで見たこともないような美しい布でできた肌触りのよさそうな衣服を身に着けている。ふ~ん、さては良家の令嬢か? 迷子にでもなったのだろうか。家に連れ返してあげれば、お礼にご褒美をたんともらえるに違いない。
「家はどこだ? 親は一緒に舟に乗ったんじゃなかったのか? どこへ行ってしまったんだ? 今頃心配してるだろうな。俺が連れて帰ってあげるぞ」
色々な質問を一気にされて娘は、目を白黒させている。
家の事は言ってはならない、と言われていたっけ。どこのお城から来たかも内緒だったわ。
「お家はどこかわからないの。一人でお舟に乗ったの。おとうちゃまと、おかあちゃまは、どこにいるかわからないの。いい子にして待っていれば、いつかきっと会いに来てくれるって家臣に言われたから、泣かなかったわ」
全く要領を得ないし、そんな言葉ほど当てにならないものはない。子供を置いて去っていく親はみんなそんなことを言うもんだ。親は見つからないってことか。そうするとこの子も俺と同じ身の上だ。可哀そうに。では、助けても何もならないが……どうしよう。
いやいや陸にだけは上げてあげよう。さらに川下に流されたら、海に出てしまう。そうなったら助けることは困難だ。
「そんなところに一人でいると流されてしまうぞ。ひとまず、陸へ上がろう」
クラウスは、冷たい水の中へ入り、胸まで水につかりながら葦の間をぬって、時には顔を水に埋めながら必死で息をし、舟にたどり着いた。そこへ飛び乗ると、オールで漕いで川岸に舟をつけた。
「さあ、降りろ!」
「手を取ってくだちゃい」
なんだ、こんな時までお姫様みたいなんだな。美しいドレスは、舟底に隠れていたせいか、汚れが付きしみがついていた。クラウスは、貴族の王子の真似をして、片足を引き大きく足を曲げて会釈し、片手を差し出した。
「はい、お姫様」
少女は、満足そうに手の平を乗せて、舟から降りた。
「よろちい。ありがとう」
クラウスの体は冷え切り、歯ががちがち鳴っていた。
「手が、ちゅめたい」
「そりゃそうだ。お前のせいで水に入ったんだ。う――冷たい! さあ、走って小屋まで行くぞ。こっちだ、ついて来い」
「手を引っ張って頂戴!」
「一人で歩くこともできないのだか、全く大変な奴だ。ほら」
クラウスは、二コラの手をぎゅっと握り引っ張って小屋まで連れて行った。
「ここの方がまだましだろ。今日はここで休んでろ。俺はこれから仕事に行かなきゃならない。早く行かないと爺さんに叱られちゃうんだ」
二コラは舟に乗せてくれた家臣の言葉を思い出した。朝が来て助けてくれた人の後に着いていくようにと。そしてこれを渡して面倒を見てもらうように、と言われたことを。
「あら、わちゅれもの。これで私の面倒を見てね。よろちく」
二コラは背中に括り付けられた巾着袋の紐を、小さな手で一生懸命ほどいていた。中から何が出てくるんだ。小さな手に握られていた丸いものは……ちょっと厚みがあり、まばゆいばかりの光を放っていた。
「これでちゅ。これを上げるから、これからクラウスのお屋敷に住みまちゅから。よろちくね」
「金貨……本物の、金貨か。これをくれるのか。だけどここはお屋敷じゃないし、お前の面倒を見てくれる侍女もいない」
「そんなことを言わないで、これで面倒を見てくだちゃい。クラウスにあげまちゅから。おとうちゃまと、おかあちゃまがお迎えに来るまで」
小さな手は、クラウスの方に差し出された。クラウスが手の平を上に向けると、小さな手がぱっと開いた。彼の手のひらにはずっしりと重みのある金貨が乗っていた。
「こんなの人にあげちゃっていいのかよ……凄い金貨だぞ」
「ちゅごいの? 魔法みたいに?」
「ああ、いろんなものが買える」
ここへ来るまでさぞかし心細い思いをしていたのだろう。ようやく二コラの顔に笑みが見えた。
しかしとんでもない奴が流れて来たもんだ。自分とはひどく話し方が違うし、見つかったら大変なことになりそうだ。こいつつかまってどこかに送り返されてしまうんじゃないだろうか?
クラウスは八歳の頭で必死に考えた。こんなに考えたことはないぐらい考えた末、自分の妹ということにして一緒に住むしかないのだと思った。この子もどうせ親に捨てられたのだから。
クラウスの最近の日課というと、山へ行きミルクを荷台に乗せ、足腰が弱って売りに行けないレオン爺さんとグレーテ婆さんの代わりに、街へ売りに行く。八歳にしては体格のいいクラウスにとっては丁度いい仕事だ。行ってくれば喜んでくれるし、ミルクを分け与えてくれる。
自分一人が食べていくことは何とかできた。
でもやっぱり早起きするのは辛い。
出来立ての湯気の立っているスープの匂いや、焼き立てのパンの香りで目を覚ます朝は、遠い昔の事のようだ。
俺は親に捨てられたも同然なんだ。自分の運命を受け入れるしかない。
父親は船乗りだったというが、幼いころに家を出たきり戻ってくることはなかったし、母親も、暫くはクラウスと二人で暮らしていたが、いつの間にかにどこへともなく姿を消して、戻ってくることはなかった。
独りぼっちになり、川のそばに打ち捨てられた小屋を見つけそこに住み着いた。食べるためには何でもした。農場へ行き手伝いをし、売り物にならない野菜を分けてもらったし、高いところへ登って大工の手伝いもした。パン屋の店先で、売れ残ったパンの切れ端をもらったこともある。
この小屋で暮らすのも悪くない。一人気ままに生活し、たとえ死んでしまっても誰も気に留める者はいない。
四歳の姫がここへたどり着くまでに、姫の住む王宮では大変なことが起きていた。父母が殺されたことを彼女は知らなかった。大泣きして、逃げる前に見つかってしまうと考えた家臣はそのことを隠して舟に乗せた。父母は二人とも寝ているところを襲われ、心臓を一突きされ命を奪われた。誰に襲われたのかもわからぬうちに……。
姫は運が良ければ川下の隣国へ流れつき、生き延びることができるかもしれない。家臣はそれに一縷の望みをかけた。このまま城にいたら、必ず見つけ出され殺されてしまう。乳母の元から姫を引き離し、誰かに救助されるまで今後一切言葉を発しないよう言い含めた。その後、姫を連れ出し舟に乗せた家臣も、森で見つかり命耐えた。その事も当然彼女は知らなかった。乳母も、姫をどこに隠したのだと攻めよられ有無を言わせず刃に倒れた。
その時から姫は、天涯孤独の身となっていた。本人は何も知らぬまま……
こうして、クラウス八歳と二コラ四歳は出会い、偽装兄妹の暮らしが始まった。
クラウスは、彼女が陸に上がるとすぐに船を引き上げ、藁や枯れ木を乗せ見えないように隠すことを忘れなかった。こうしておけば、いざというときに川沿いを移動する手段になるだろうし、釣竿を手に入れれば、魚釣りをすることができ食料が増える。舟に関しては、便利なものが手に入ったとクラウスは内心喜んでいた。
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