コウモリは眠れない

「……ふう」


 小守福子は自室の机で力を抜くようにため息をつく。意識して長く。肺の中の空気を全部出しきるように。

 目の前にはパソコンのモニター。そのタブに並んでいるのはいくつものレポート類。そして編集中の資料。

 手を伸ばしてコーヒーが入ったカップを手にして、口に含んだ。苦い。でもその味が微睡んだ意識を覚醒させる。十秒目をつぶり、そして目を開けた。疲れで停滞していた思考が解れていく。


「まあ、問題は全く解決していないわけですが」


 行き詰った結論。行き詰った現状。それを再認識したに過ぎない。


「なんなんですか、このバス停さんは」


 福子がまとめているのは、昨今発生しているバス停を持つ通り魔の件だ。ハンター委員会から依頼されて対策を考えているのだが、どうにもこうにもならない。


 現れ始めたんは一か月ほど前で、それからほぼ毎日といっていいレベルでハンター達の邪魔をしている。被害数を考えれば単独なのは間違いないのだが、それ以外の情報がデタラメだ。


「こちらの動きを完全に察知されているうえに、誰もその姿を覚えられない相手……そんなのを相手にどうしろっていうんですか」


 愚痴を言う福子だが、さじを投げださないだけマシといえよう。

 バス停通り魔の動きは基本的に不意打ちからの一撃必殺。チームで動くハンターを各個撃破し、そして生かして返している。

 ハンターランクが低かったり腕が未熟なハンターは真正面から仕掛けている。不意を衝くよりは真正面から戦ったほうが早いと判断したのだろう。相手の練度や状況を把握するだけの頭脳もあるということか。

 交戦した相手に話を聞いても、何をされたのか全く分からない。バス停を確認したと思ったら、数十秒後にはやられていたというのがほとんどの意見だ。先日交戦した【バレットウルフ】が例外だが、彼らもバス停通り魔の姿かたちは記憶に残らなかったようだ。


「リーダーの後藤氏は確かに交戦した、といったのですが……むぅ」


 バス停通り魔と十秒以上交戦し傷を負わせたと言う【バレットウルフ】のリーダーに話を聞いても、その顔どころか背格好や性別までは覚えていないという。変装をしていた、というわけでもないのに。


「こちらの認識を阻害する新手の彷徨える死体ワンダリング……異次元を行き来してこちらの不意を突き、モザイクのように姿をぼやかすことができる能力を持っている?」


 ラノベの知識があってかなり中二病入っている福子は、そんな結論に思い至る。思い至っただけで、ないないと思うだけの常識はあった。


「行き詰ってるようね。福子」


 肩に手を置かれ、優しく語りかけられる。

 カミラ=オイレンシュピーゲル。福子の同棲相手にして恋人。――そう思うように『命令』された相手。実際はカミラのクローンに太極図で生み出した疑似人格を挿入された小鳥遊のスパイ。福子を監視している存在。


「はい。相手の情報が少なすぎます。もう少し何かが分かればいいのですが……」

「そうね。あまりにも理不尽すぎるわ。まるでこちらの動きをすべて知っているかのよう。もともとハンターだったのかしら?」

「あり得ますね。死を偽装していなくなり、ハンターに復讐する闇のハンター。恋人を奪われ、それを取り戻すために――」

「妄想はそれまでにして、休憩したら?」


 熱が入って暴走しそうになった福子を止めるカミラ。福子は『はーい』と頷いて椅子から立ち上がった。ファイルを保存して、ストレッチを始める。


(妄想だけど、かなり真実をついていたわね。もっとも、犬塚洋子は復讐第一で動く暗い動機じゃないんだけど)


 カミラは――厳密にはカミラ=オイレンシュピーゲル本人ではないのだが――福子の妄想を聞きながら冷や汗をかいていた。彼女は小鳥遊に作られた疑似魂で、事情は全て知っている。


『小守福子に犬塚洋子の事を思い出させないように注意しろ』

『小守福子は犬塚洋子に対しての切り札だ。彼女の心を押さえさえすれば、あの女の行動力は削げる。犬塚洋子は勢いやテンション……精神面によるブーストが強いからな』

彷徨える死体ワンダリングの襲撃で『命令』が使えなくなった。日常生活で『命令』が解除されることはまずないだろうが、小守福子が犬塚洋子の事を思い出せば『命令』が解ける可能性がある』


 小鳥遊たいきょくずから伝わってきたのは、そんなこと。

 もともとカミラに宿った疑似魂の命令は、小守福子の精神安定だ。洋子と福子が愛し合っていたのは知っている。その代替としてあてがわれたのがカミラだ。

 もとは洋子の精神を揺さぶるために生み出された。彼女が太極図に同化した以上、不要となるはずだった。……が、カミラはまだ存命している。恋人を失った小守福子の精神安定と監視のために必要と判断されたのだ。


『小守福子は優秀なハンターだからな。生と死を繰り返すために、腕の立つハンターは多いに越したことはない』

『万が一、彼女が何かしらの理由で犬塚洋子の事を思い出してしまえば面倒なことになる。そうならないよう、恋人を演じてくれ』


 そう思うように『命令』した。蜜月を重ね、心身ともにカミラは福子を堕とした。福子からすればその自覚はないだろう。福子が思っているのはずっとカミラだけ。犬塚洋子の存在など、知りやしない。それどころか。


「それにしてもバス停なんて野蛮な武器ね。何を考えているのかしら?」

「はい。こんな奇妙なものを振り回すなんて信じられません。野蛮で粗野でふざけた人なんでしょうね」


 犬塚に対し、罵倒するほどだ。そこに敬意はなく、愛などない。倒すべき敵としてしか見ていない。


(何度も逢瀬を重ねた仲だというのに、こうも変わるだなんて。しかもそれが誰かに操られ、思惑通りになっている)


 ただ一人の少女の体を、心を、運命を自在に操る。自分が倒そうと頭を悩ませているのは、愛したヒト。先輩と呼び、慕い、その背中を追いかけたヒト。それを汚らわしい敵として見ている。


(最高。ぞくぞくするわ)


 その感覚に、カミラは背筋を震わせた。愛する人の事を忘れ、常識を狂わされ、いたずらに翻弄される一人の少女。自分が誰かに狂わせていると気づくことなく、自分の大事なものをに手をかけていく。

 顔がほてるのを自覚し、欲望が抑えきれない。その感情のままにカミラは福子を後ろから抱きしめた。


「そうね。じゃあ今日は野蛮に攻めましょうか」

「え? あ、あの、まだ途中で」

「だめ。拒絶なんか聞かないわ」


 福子の首筋にキスをする。それだけで力を抜いた彼女をベッドに押し倒す。このまま今夜は――


「待ってください!」


 予想外の反撃。力いっぱい押し返される。その事実に驚き、カミラは動きを止めた。


「……福子?」

「あ、ごめんなさい。いやとかじゃない……んですけど、今は資料をまとめたくて。

 できるだけ早く通り魔を倒して、ハンター達を守らないといけませんから」


 何よりも驚いたのは福子自身だった。なんでここまで強く拒絶したのか、その理由を無理やりこじつけたような言葉を吐く。言ってから、それが理由なんだと納得した。


(そうです。私は『吸血妃ヴァンピーア・アーデル』。ハンターを守る黒の貴族。今は、こういうことをしている場合じゃないんです)


 自分に言い聞かせるようにして、ベットから起き上がる。気まずそうにしているカミラを見ないようにして、つけっぱなしだったパソコンに目を向けた。


「バス停……」


 資料内に移るバス停の写真。福子はそれを見ながら、言いようのない気分に陥っていた。

 カミラに押し倒された時、この画像が目に入ってなければあのまま流れのままに夜に溺れていただろう。この画像を見た時、強く心が動いていた。


「……私は」


 言葉にできない感情。小守福子はその存在を確かに感じていた。

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