ボクが感じた三〇秒

 言葉のナイフによる三連撃を喰らったとしても、夜はやってくる。ゾンビが動き出し、蠢く時間帯。そしてゾンビハンターもそれに合わせて動き出す。

 空には死神の鎌を思わせる三日月。

 ほうほうと鳴くフクロウの響きは、


 ダンッ!


 強く床を蹴る音でかき消される。

 拳を突き出し、腹部を守るようにもう一本の腕に宛がう。開いた足は強く大地を踏みしめるゾンビ。脳が腐ってもうろうと歩くゾンビとは一線を画した動き。

 その構えは格闘技。さらに言えば中国武術だ。詳しい型とかは解らないが、その構えは鋭い刃を思わせる。


「アチョオオオオオオオオオオオオオオオ!」

「ホワアアアアアアアアアアアアアアアア!」

「ハイハイハイハイハイハアアアアアアイ!」


 動くたびに口から洩れる怪鳥音。一昔前のアクション映画を思わせる体の動き。

 カンフーゾンビ。曰く、『体に染みついた功夫はゾンビ化しても失われない』と言う設定だとか。


「実際に聞くとこれは……うん、圧倒されるね」


 バス停を構えてカンフーゾンビに向けながら、洋子ボクは苦笑する。

 場所は島東部にある黒虎寺こっこじ。山の上にある中国めいた寺である。推奨ハンターランクは45。『AoD』サービス終了前でも屈指と言われた難所の狩場だ。一度に出るゾンビの数は少ないが、ゾンビそのものが強い狩場である。

 特定のボスゾンビなどはいないが一体一体が気の抜けない強さの為、少しでも気を抜くと慣れたクランでも崩壊しかねない緊張感がある。


「話は聞いてましたけど……厳しいです。飛んでくるコウモリを避けて近づいてくるとか人間の動きじゃありません。ゾンビなんですけど!」

「デスネー。超パワーとか特殊能力はないけど、技術とか戦術とか経験とかで突破するタイプデス。日本のことわざでいう所の、バトル系主人公の先輩タイプ?」

「音子、気を読まれたとかですぐに居場所バレてしまいます。カンフーゾンビさんこわい……」


 流石の【バス停・オブ・ザ・デッド】のメンバーも、カンフーゾンビの動きには翻弄気味である。


「むしろ初見でついてこれるのはすごいよ。フォロー要るかな、って思ってたんだけどなんとかなりそうだね。それじゃ、次行ってみよー!」

「まだ続けるんですか!? いえ、ついていきますけど!」

「こうなったら意地ネ。久しぶりにクローンに頼ることになりソウヨ」

「あうあうあう。バステト様、音子はもうすぐそちらに行きそうです」


 洋子ボクの移動宣言に悲鳴を上げるクランメンバー。まだまだいけるって。大丈夫!


「ほう。犬塚殿ではないか。奇遇だな」


 だけど、そんな洋子ボクの進撃を止める声が響いた。

 作務衣の上に赤い脛当すねあて佩盾はいたて籠手こて胴当どうあて草摺くさずりそで――いわゆる戦国時代の和風甲冑――を着込んだハンターだ。

 顔全体を覆う般若面は『鬼神楽』と呼ばれるレアアイテム。ゾンビを葬った後の数秒間、攻撃力を増加させる鬼の面。

 腰に挿した日本刀は『こがらし』。秋に吹く風の銘を持つこの刀は低確率で斬った相手を『凍結』させる効果を持っている。また、風系の名前を持つ刀は速度増加がデフォルトでのっている。

 顔こそ隠しているが、それが誰なのかは声で理解できた。


「……八千代さん、かな?」

「うむ。他の者達は初見だな。なので改めて名乗ろう。

 円城寺八千代。犬塚殿から聞いていると思うが、彷徨える死体ワンダリング『ツカハラ』を継いだものだ」


 般若面を取り、一礼する八千代さん。

 その間も、洋子ボクに圧をかけている。殺気だか、戦意だか、とにかく鋭い何かを。


「八千代さんも黒虎寺で狩りを?」

「うむ。この寺は武侠が多くていい修行になる。長くここで死者狩りをしていてな。見知った顔を見たので話しかけに来たところだ。

 いやはや、六華闘技場の予選の動画は拝見させていただいた。見事な戦術、正に天晴。斯様な戦いが出来るなら、仮想世界も悪くないと見直したところだ」

「お褒めに頂き光栄だね。結果はギリギリ予選突破だけど」

「あの動画を見てそう評するものは戦が分かっておらぬ。見る者が見れば誰が強者かなど一目瞭然だ」


 言いながら洋子ボクに一歩間合いを詰める八千代さん。柔らかい笑顔。鷹揚にに頷く所作。

 このまま世間話を続ける、という雰囲気は――


「――ほう。防いだか」


 突如抜かれた八千代さんの『凩』と、洋子ボクのバス停が交差した金属音で霧散した。


 交差した日本刀とバス停。それ越しに交差する八千代さんと洋子ボクの視線。

 語るべき言葉はない。それのみが視線の意味。その距離を保ったまま互いの武器を押し合う。力を籠める事で相手の力量を測り、同時に相手の出方を伺う。先に行動させるか、或いはこちらから先に行動するか。それを推し量る情報戦でもあり、こちらの力を示す意地の張り合いでもある。


(――離れる)


 八千代さんの押す力が緩んだ。そう思ったときには距離は離れ、鞘をこちらから隠すような構えを取る。居合。鞘の――正確には鯉口の角度が分かれば刀の描く軌跡はある程度読める。その情報を隠すことで、コンマ数秒の優位を取る。そしてそのコンマ数秒が、戦いでは致命的になる。

 待つか、攻めるか。どちらの選択も正しく、同時に誤っている。正解などない。それでも選択を誤れば死ぬ。だから洋子ボクは迷わない。八千代さんに踏み込み、バス停を振るう。


 ガ、キィィィィィン!


 交差する金属音。

 横なぎに払ったバス停と、日本刀が再び交差する。単純な武器の質量ではバス停が勝る。その差が出たのか、八千代さんの日本刀は押し負けるように払われた。だが日本刀は軌跡を変え、洋子ボクの足を狙って払われる。

 再度響く金属音。

 地面に突き立てたバス停が、足元を狙った刃を防ぐ。それと同時に八千代さんは一歩引き、そして立ち上がって構えると同時にこちらに踏み込んでくる。正に流れるような動作。目を離すことを許されない刹那のやり取り。

 だがそれは洋子ボクも同じだ。一瞬でも隙を見せてくれれば、それは逃さない。戦いは決定打を叩き込むための駆け引き。力押し、技術戦、心理面……あらゆる面を駆使し、相手の隙を作って攻撃を仕掛けるか。それが大事――


「落ち着いてください、ヨーコ先輩! 円城寺さんも!」


 福子ちゃんの言葉に、冷え切った思考が一気に霧散する。相手を如何に倒すか――そしてその手段が殺害であっても致し方ないという思考――を考えていた心。その異常性に気付かされた。冷や汗が一気に噴き出し、深く息を吐く。


「ぶっはー! そうだよ、いきなり何するのさ!」

「いや済まぬ。武侠との戦いで心が滾っておってな。そのような状況で犬塚殿と出会ったのだ。ほら、分かろう?」

「いや、ぜんぜんわかんない」

「そうか? それにしては見事な立回りであったぞ。挨拶程度のやり取りだが、やはり犬塚殿は見事見事。いずれ存分に殺し合いたいものよ」

「わからない」


 八千代さんの言葉を全面否定する。

 確かにいきなり攻撃されて対応しちゃったけど、そこはあれよ。反射的な行動と言う事であって、けっして洋子ボクはバトルジャンキーなんかじゃないっていうか。

 ……うん。そうじゃない。


「まあ大したご挨拶だったけどね。これ、ハンター委員会に報告したらハンターライセンスはく奪の可能性もあるよ」

「死者狩りの立場にはこだわっていない。資格を失った際には、堂々と闇討ちするとしよう」

「本気でそう言ってるんだから、タチ悪いよなぁ……」


 八千代さんにとって、ハンターの資格や立場は意味を成さない。強い相手と戦いたい。その為なら何でもするのだ。

 実際、ハンター委員会のサポートとして購買部からのアイテム供給やクランスキルなどの援護が得られなくなるのだが、それを気にするような性格や強さではない。


「件の仮想世界闘技場での戦いには期待している。良き戦いを」

「どーも。気になるなら参加すればよかったのに」

「血肉を削る戦いこそ、我が望み。犬塚殿も同じ修羅の類であるゆえ、理解はできるだろうがな」


 言って八千代さんは踵を返して離れていく。彼女が視界から消えると同時に――


「……あう」

「ヨーコ先輩!?」


 腰が抜けたのか<お調子者>の反動か。洋子ボクは膝の力が抜けてガクリと崩れ落ちる。今の攻防で全神経を削られたのか、力が全く入らない。

 時間にすれば三〇秒にも満たない攻防。だけど洋子ボクからすれば数時間のゾンビ狩りよりも密度の濃い時間。

 それをさらりと流すことは、とてもできなかった。


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