ボクは逃げ出した

「フツーじゃないよ、よっちー」


 普通じゃない。

 何をいまさら、だ。そんな事はこの世界に転生してきた時に受け入れてるし、今更思い返すことではない。


「あははー。だよねー」


 そう言い返せば済む話だ。あるいは適当に誤魔化したりしてしまえばいい。僕しか知らない秘密に少し踏み込まれただけの、それだけの話なのだ。

 僕が普通ではないという事なんか今更だ。僕は死んで、自分のキャラの犬塚洋子の身体に転生して、それが『AoDゲーム』世界で、その知識もあって、男の魂だけど体は女性で、それは――


(なんで、こんなに苦しいんだろう)


 その事実は受け入れたつもりだった。受け入れて、この世界で生きていこうと決めたつもりだった。

 だけど、普通じゃないという一言がとても重い。

 普通。行ってしまえばこの世界における常識的な存在。ゾンビアポカリプスな価値観が狂った学園都市の中でも、それでも大多数に属する精神カテゴリー。

 僕は、それに属さない。

 僕は、この世界の『人間』ではない。

 僕は、この世界に認められていない。


(そんなことは、いまさら、じゃないか)


 そうだ。今更だ。

 僕はこの世界にとっては異物で、どちらかというと彷徨える死体ワンダリングに近い存在で。それを改めて指摘されただけにすぎないのだ。むしろAYAMEがこのことに気付いたことを驚き、彼女の特異性に関して質問すべき――なのに――


「わわわわっ! どしたのよっちー!? いきなり泣かないでよ!」


 泣いてしまった。

 自分でも訳の分からない感情が体に湧き上がり、目頭が熱くなっていた。

 駄目だと思ったときには涙は流れ、泣き声を上げていた。


「ボク、は……普通じゃないから、そんなことないって、でも、ボクは……!」


 何が言いたいのか、僕自身わからない。この感情の正体も、この感情の意味も、何もかも分からない。

 ただ、どうしようもない空虚を埋めたくて、感情が暴走していた。


「男なのに女の子で、女の子なのに男で! それを普通に受け入れて……! 疑問に思う事はあっても、そこから目を逸らして……!

 だって、どうしたらいいか全くわからなくて……!」


 訳も分からずに泣き叫ぶ僕を、そっとAYAMEの二本の腕が包み込む。柔らかい胸に誘導され、そこに顔をうずめた。


「……ごめんね、よっちー。あやめちゃん、無神経だったかも。

 よく言われるのよ。お前は空気読めなさすぎだって。よっちーの心の中に、踏み込み過ぎたんだね。ごめん」

「……そんな事、ない……」


 どんなことだろうかと自分でも思う。自分でもわからない。

 だけどこれは、ずっと僕が目を逸らしてきたことだ。それだけは解る。

 僕と言う存在が普通じゃない事。女性の身体に転生してきた男性の魂。

 そんな普通じゃない存在。それを再認識して――


「普通じゃない……そうだよね、ボクは普通じゃないんだ」

「……よっちー? その、あやめちゃんが言うのもなんだけど、気にしすぎるのは体に毒だよ。人生なんて適当にハッピーに生きてればいいんだしさ。

 ……もー、泣かせたいって思ったけどなんか違うしー!」


 そう言えばそんなことを言っていた気がする。きっと拷問とかそういう類で泣かせたい、って事だったんだろう。

 ただ、今の僕は苦痛による拷問以上に堪えていた。何かにすがりたくて仕方ない。その衝動のままにAYAMEの服をつかm――


「ここですね、ヨーコ先輩!」


 突如そんな声と共に扉が開けられ、三人の女性が入ってくる。


「福子おねーさん、まって……音子が調べる前に行くの、危険……」

「バス停の君、遺体は無事デスカ!? クローン登録とかすれば何とかなるデスヨ!」


 興奮状態のゴスロリ少女。息を切らせた黒ネコパーカー娘。化学服を着た女性。

 小森福子。

 早乙女音子。

 美鶴・ロートン。

 泣きじゃくっていた僕は一瞬自体が理解できなかった。

 そして三人は洋子ボクの状況――AYAMEに抱き着いて泣いている状況を見て、一瞬動きが止まる。


「…………人が必死になって探しに来てみれば、この先輩は! なにしてるんですか!」

「落ち着くデスヨ、コウモリの君!?」

「あの、時と状況は考えた方がいいと音子は……。でも、本当に何がどうなっているかわからないです」

「うっさいわね」


 騒ぐ三人に向けて、AYAMEが軽く手を払う。

 それだけで生まれた衝撃が、三人を吹き飛ばした。開けたドアごと、廊下に飛ばされる。


「ちょっとー。部屋に入るならノックぐらいしてよね。着替えとかしてたらサイアクじゃないの」


 ぷー、と頬を膨らませるAYAME。そのまま立ち上がり、腰に手を当てて三人に向き直る。


「怒るところはそこなの……? っていうか、皆どうしてここに!?」

「どうしてって、ヨーコ先輩を助けに来たに決まってるじゃないですか! いきなり目の前で攫われてずっと探してたんですよ!」

「場所は弾道計算で大まかに割り出して、クロネコの君の神頼みで何とか割り出したデス」

「バステト様への供物は不要です。音子が何とかしますから」


 怒り心頭の福子ちゃん。胸を叩くミッチーさん。無表情で頷く音子ちゃん。

【バス停・オブ・ザ・デッド】。洋子ボクの仲間達。

 洋子ボクの日常の一部――


(う…………)


 洋子ボクはそこに帰るのがなのだと思った瞬間に、猛烈な吐き気が生まれる。美味しいシチューに入れてはいけない食材が混じったような。綺麗な風景画に、毒々しい色を混ぜるような。

 彼女達の側に、異物である僕が混じるような――


「さあ。帰りますよ、先輩。あとさっきの事については、少しお話したく。具体的にはやっぱり大きい方がいいんですかとか!」


 怒りの声をあげながら、洋子ボクに向けて手を差し出す福子ちゃん。

 その手は、彼女の先輩である犬塚洋子という女性に向けられた手だ。

 その手は、僕という男の魂に向けられた手ではない――


「……先輩?」


 ぐちゃぐちゃになった感情で、僕はその手を見ていた。落ち着かない呼吸、焦点の合わない瞳。掴みたい。掴んじゃいけない。すがりたい。すがれない。そんな矛盾した感情。


「ちょっと、よっちーはあやめちゃんのものなんだからね! 勝手に持っていくとか駄目なんだから!」

「AYAME……噂には聞いてマスガ、おっそろしいパワーデスヨ、これ」

「な、何とか頑張ります。逃げたり隠れたり耐えたりは、得意ですから」

「ふーん……。やる気なんだ」


 皆の気迫を感じたのか、AYAMEが意識を向ける。

 駄目だ。戦っちゃ駄目だ。そう言いかけて、喉がつまる。

 福子ちゃんもミッチーさんも音子ちゃんも、自分の意志で戦いに挑んでる。彼女達が生きた人生がそうさせている。それはきっとAYAMEも同じなのだろう。

 そんな彼女達に、僕が何を言えるのだろうか。

 ただ理由も分からずにこの世界に転生した僕が。異物で、まともじゃなくて、奇天烈で、文字通り別世界の存在が。この世界の人間に何かを言うのが間違っているんじゃないか?


(そっか……)


 胸に空いた穴。正確には開いているのにずっと無視し続けてきた僕の穴の正体に気付く。

 ここに僕の居場所はない。

 この世界に僕はいてはいけない。

 部外者である僕がこの世界で生きるのは、間違っている。


(普通じゃない。そうだよ、僕がこの世界で『普通』に生きる事自体が間違っている)


 ハンターとして戦い、クランを得て仲間と一緒に過ごす。

 そんな『普通』のハンターの生き方は、許されてはいけないのだ。

 チートズルとはよく言ったものだ。そんな物を持っている存在が、日常に回帰するなんて無理に決まっている。

 ズルしてる人間が、努力して一生懸命生きている人間と肩を並べていいはずがない。


疾風をここにシュタイフェ・ブリーゼ!」

「がっつり凍り付くデスヨ!」

「――――音子、いきます」

「あはは。あやめちゃんが遊んであげる!」


 彼女達が犬塚洋子をめぐって戦っているというのなら。

 僕がここに居なければ、戦う理由はなくなるはずだ。

 今、彼女達は戦いに夢中で僕のことを見ていない。AYAMEも、福子ちゃんも、ミッチーさんも、音子ちゃんも。


(逃げるなら、今だ)


 気が付けば、足は動いていた。


「ちょ、よっちー!?」

「先輩!?」

「え、何処まで行くですかバス停の君!」

「あうあうあう。洋子おねーさん、足速過ぎ……」


 僕は逃げ出した。

 何もかもに耐えきれず、全部から逃げだしていた。

 


◆     ◇     ◆


 作者です。

 物語の展開上ですが、数話ほど主人公がダウナーな状態になります。一人称と言う展開なのでそう言ったうつな心理描写が続くでしょう。

 そう言った洋子が見たくない方は、しばし流し読み程度に留めていただけると幸いです。

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