一章 犬塚洋子(ボク)はバス停使いのゾンビハンター!

ボクが僕で、僕がボク!?

ボクとゾンビ世界

 天井から漏れる光は薄赤い。外はもう夕暮れだろうか。

 その明かりに映される人影。それは人の形を保ちながら、しかし人ではない存在。体中に血液を送るために心臓は動いているが、体中の所々が腐っているため少しずつ血液は漏れている。

 眼窩は窪み、そこにある瞳の焦点はあっていない。個体によっては腐り落ち、視界が確保されていないのは明白だ。肉はただれて所々崩れ落ち、見るに痛々しい姿なのに、悲鳴をあげずに動いている。


 ゾンビ。


 正確には、死して動くモノリビングデッド。死んだ生物が何らかの理由で動き出したものの総称だ。だがその言葉を使う者はいない。この御羽火おうか島で生きている人間は皆、その存在をゾンビと呼ぶ。

 ゾンビについて、わかっていることはいくつかある。

 彼らは未知のウィルスによって活動している。見た目は死んでいるのだが肺や心臓などは動き、同時に呼吸によりウィルスを空気中に散布している。ウィルス自身は空気中では長く存在できないのかすぐに死滅するが、それでもゾンビの側にいるとウィルスに感染することは確かだ。

 そしてゾンビに傷つけられ、その傷口からの粘膜感染となるとウィルスへの感染量は更に多くなる。そしてゾンビは生きている人間を食料としているのか、狂暴的になって人に襲い掛かる。

 そして、ゾンビウィルスに一定以上侵食された人間はゾンビ化してしまう。そうやってゾンビたちは数を増やし、この島に蔓延していた。


 だがこの島の人達は死に絶えてはいなかった。生き延びるために群がるゾンビに抵抗していた。ある者はチームを組み、そしてある者は単独で。

 例えば、今ここに立つ彼女のように。


「それがこのボク、犬塚いぬづか洋子ようこさっ!」


 言ってポーズを決める一人の少女がいた。

 白を基調とした女性用のセーラー服を着て、桃色の髪を短くショートカットに揃えている。黄色いスカーフと制服の胸にある印が『橘花学園きっかがくえん』と呼ばれる学園アカデミーの制服であることを示していた。


 彼女が手にしているのは、金属状の両手武器だ。先端は円状となっていて歪曲した部分でゾンビを斬る事もでき、同時に打撃を加えることもできる。更には武器の腹の部分にも鉄の装飾がついており、それを用いて攻撃を防御することもできる。

 バス停。

 正しくはバスの乗合自動車停留所に置いてある標識だ。重石で地面に置かれているタイプだが、引き抜かれたのか、重石はなく標識だけである。


 言うと同時に首に巻いたマフラーを回転させて口元を覆う洋子。それがスイッチになったのか、瞳が僅かに細まった。目の前にいるゾンビの数を数え、浅く呼吸を吐き出す。彼女の臨戦態勢のスイッチが入ったのだ。

 洋子の声に反応したゾンビが洋子に向かってやってくる。足が腐り、股関節の筋肉が固まったゾンビはもうろうとした動きで。そうでないゾンビは走るようにして迫る。


(先行3体。その後に7体)


 洋子は敵の動きを確認し、走ってくる三体のゾンビに目を向ける。腕をこちらを掴もうと伸ばし、食欲を隠そうともせず大口を開けて迫ってくる。洋子はそれに恐れることなく、前に駆け出した。バス停を構えて。

 ゾンビウィルスに感染した死体は、普段脳が制御しているリミッターを常に外して活動する。アドレナリンを大量に放出し、普通の人間の数倍の力を発揮するのだ。端的に言えば、普通の人間では勝ち目はない。傷つけられればソンビウィルスに感染し、彼らの仲間入りだ。

 その危険性を理解して、洋子は走る。手にしたバス停を振りかぶり、叩きつけるようにして。


「いっくよー!」


 声と共に叩きつけれるバス停。駅名表示部分を刃とした斬撃。バス停自身の重さと歪曲した部分が斧のようにゾンビに迫る。元より腐っているゾンビの身体はその斬撃に耐えきれず、そのまま膝をつく。


「一撃必殺!」 


 肺まで到達しただろう斬撃。ゾンビウィルスはまだ完全解明されていない存在だが、人体が血液で栄養分や酸素を核細胞に供給していることは確かだ。ソンビであったとしても、そこは変わらない。肺を機能不全にすれば、もはや動けない――と油断すれば死ぬのがゾンビ戦だ。


「ガァ……!」


 最後の抵抗か、或いは洋子を食べれば命が数秒伸びるという本能からか。胸元に刃を突き立てる洋子にかみつこうと迫るゾンビ。無防備な首筋にかみつき、その血肉を喰らおうと――する直前で洋子のマフラーが煌いた。


「遅いよ。そんなんじゃ、ボクに追いつけないね!」


 前転するようにゾンビから離脱する洋子。はためくマフラーがゾンビの首を薙いだ。極小ナイフと針金を仕込んだ特製のマフラーがゾンビの傷口をさらに広げ、それがトドメとなったのか洋子を噛もうとしたゾンビは崩れ落ちた。


「次行くよっ! 今度は足!」


 洋子の両手にあるバス停。しっかり握った両手で武器を振るい、宣言通りゾンビの足を狙う。斬る必要はない。武器の重量を考えれば、足に当たっただけでも骨にダメージを与えられる。

 先ずは四肢を部位狙いして動きを封じ、胴体に致命傷を与える。思考を止めたゾンビたちはその動きに追いつくことが出来ないでいた。ただただ、バス停の破壊力に翻弄されて破壊されていく。


「っ、そろそろ限界かな。ばいばーい!」


 だが、洋子の動きも長くは続かない。

 呼吸の度にゾンビウィルスを吐き出すゾンビ。そんな場所で走り回れば、否応にゾンビウィルスを器官内に取り込んでしまう。それでいきなりゾンビになることはないが、それでも危険性は高まっていくのは事実だ。

 倒れたゾンビが持っていた装備品をいくつか奪い取り、背中を向けて離脱する洋子。そのまま一気にこの場を走り去――ろうとしたが、


「へっ!?」


 倒れていたゾンビに足を掴まれる。確かに倒したはずなのに! 慌てて足を振ってゾンビを振り払うが、その間にゾンビに追いつかれてしまう。腕を振るわれ、殴打される形で頭から地面に叩きつけられる。

 パニック。動転して次の行動が思いつかない。やばい、駄目だ、体を動かさないと。そうしないといけない事は解っていても、思考が様々な方向に散ってしまい何もできない。逃げなきゃ、その為に足を動かして、あれ? 足ってどう動かすんだっけ? じゃあ手を、頭痛い、血が流れてる? いや今は逃げなきゃ、だからどうやって? 足、腕、待って、呼吸させて、血も止めないと――

 そうこうしている間に、ゾンビに腕を掴まれる。力強い人外の力。少女の力では暴れても逃げられないだろうことを恐怖ともに教えてくれる。精神的な限界を超えたのか、目の前が暗転した。


「あ……。この光景……」


YOU ARE DEAD ……!


It's very unfortunate, but you are completely infected with the Zombie Virus.....


 黒画面で血を思わせる赤文字で示される文字。

『貴方は死んだ。残念ですが、貴方は完全にゾンビウィルスに感染してしまいました……』


 そんな意味を持つ文字。数秒後に訪れる運命。それをなぜか洋子ボクは理解していた。記憶のどこかでこの文字を知っている。まるで映画かゲームみたいな……。


「そういうことか」


 その時、は理解していた。

 この世界は『Academy of the Dead』と呼ばれるゲームの世界で、犬塚洋子ボクはそこに登録されたキャラクターなのだと。


 そして犬塚洋子ボクに転生したのだと、理解してしまった。

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