第29話 偽試験官 vs 正試験官1

 揺れる水、揺れる水草、揺れるぽんぽん飾り


 ぐったりと吊り下がる羽綿玉をガラス越しに眺めながら、コタロウは小首を傾げた。何かを忘れているような気がする。アウンはすでに羽綿玉の成魅のふりをやめている。捕獲した羽綿玉は一匹を残して解放した。後は冒険協会に戻って合格証をもらうだけのはず……。


 ふと、ロンリーゲーム、もとい、デスゲームのクリア条件について思った。ラスボスの攻略が条件ではなかった以上、ストーリーの攻略ではないかと考えていたが、もう一つこれではないかと思い浮かぶものがあった。今日という日に何か意味があるとすれば、まず間違いなく冒険協会昇級試験に絡んでのものだろう。つまり、昇級試験の合格がクリア条件なのでは?


 ――勝利宣言!


 イワシは両の胸鰭を太陽に向かって高々と掲げた。日の光がスポットライトのように小魚を照らし、桜の花弁が紙吹雪のように周囲を舞う。アウンがいて不合格になるわけがない。裏ボスの威を借るザコは、気を大きくした。調子に乗って、金魚鉢から飛び出す。


『竜祇、受け止めろ』

『承知』


 アウンが機械語で何か呟いたかと思えば、イワシの体を水のようなものが縄となってぐるぐると巻きついた。まるっきり獲物を仕留める蛇の図である。にょろりと水もどきの先端がコタロウを見る。そして、溜め息を吐いた。子分の中で、親分としての株が下がったような?


「きゅる!」


 親分は子分に対して、遺憾の意を表明した。途端、呆れ気味の視線が突き刺さった。


「神の称号があろうと旨鰯は旨鰯なんですから、この高さから落ちたら骨になりますよ。骨も出汁に使えますので、私は構いませんが」

『神を食べる気かね、恐ろしい奴め』

「くっくっ、私は人間ですので」


 最強の捕食者に脅かされて、最弱の被食者は表明を引っ込めた。鮨にもなりたくないが、出汁にもなりたくないので、竜祇に運んでもらうとしよう。イワシは胸鰭で酒の胴体を叩いた。


 デスゲームには勝利したので、後はマホロバで遊ぼう。コタロウはいそいそと竜祇に指示を出して、地上に降り立った。その場にしゃがみ、真珠砂を手に取って、むむむと唸る。冒険するための活動拠点が欲しいのだが、真珠砂漠に根城を築けるだろうか。


 マホロバのメインストーリーは遺跡の謎を解くものだが、冒険ゲームの面白みはストーリーの攻略だけにあるわけではない。少年が最も好きなものと言えば、物集めと物作りだ。どのゲームでも、アイテムボックスは常に満杯で、部屋は物で溢れ返っていた。何を始めるにも、まずは物を溜め込むための場所を確保しなければ。


 足元の草を引っこ抜きながら、今後の行動計画を練る。オアシスが近いので、それなりに草が生えている。何気なく、手の中にある草を見た。真珠砂漠を作り出す砂は全て、実はこの二枚貝のような形をした草の種なのだが、気づいた冒険者はいるだろうか。後々、騒動の種にもなるものだ。特に目的はなかったが、何となく採った草を調べた。スキルの鑑定術を獲得していないので、たいしたことはわからないだろう。そう思いながら、虚画面の表示に目を向けて――。



[名称]貝草かいそう

[説明]真珠砂漠に生える雑草。雑な扱いで質が低い。

    素材にならないこともない。

[添加]神の加護



 目にも留まらぬ早業で、イワシは貝草を口の中へ放り込んだ。胸鰭で口元を押さえつつ、もぐもぐと証拠隠滅を果たす。口一杯に広がる青臭さとえぐみに悶えながら、前にも似たようなことがあったなぁと振り返る。


「神の加護」は不味い。


 アイテムを調べると、通常は「名称」と「説明」の二項目が虚画面に表示される。そして、称号による効果が付く場合は「添加」が、職業や呪紋などによる効果が付く場合は「付加」が、項目に追加されるのだ。「神の加護」は唯一無二の称号による効果である。誰がどの時点で神の称号を獲得したか、問題になってしまう。


 採った物には軒並、称号の効果が付きそうだ。となれば、採取だけでなく採掘も不味いだろう。栽培などもっと不味い。これはもしや、詰んでいるのでは?


 魚身をねじって考え込むイワシの姿に、察するものがあったのだろう。アウンが助言した。


「神であることを暴かれたくないのであれば、隠蔽術を学べばいいでしょう」

「きゅっ!」

「まあ、採取や採掘をやらずとも、他人から奪えば問題ないと思いますが」

「ぎょっ!」


 後半の台詞を聞かなかったことにして、コタロウは第一目標を定めた。まずはスキルの隠蔽術を獲得する。隠蔽術さえあれば、物集めも物作りも好きなだけできる。また竜祇に運んでもらって金魚鉢に戻ると、アウンにナカツ都へ戻るよう急かした。


 金魚鉢のぽんぽん飾りと化した羽綿玉と、ガラス越しに目が合う。半死半生の態だったが、少しは生気を取り戻したようだ。他の羽綿玉たちも流星谷域のどこかで元気にやっているといいのだが。


 羽綿玉は一匹を除いて逃がした。ただ、放した彼らが生まれ故郷の雲花畑まで戻ることはないだろう。羽綿玉には雲花に寄り付く習性がある。各々、道すがら出会った雲花の隣で、雲花もどきとして生き抜いていくに違いない。


 と、そこまで思い至って、コタロウははたと気づいた。もしかして、もしかしたら、もしかしなくても、受験者の羽綿玉狩りは今後も絶望的なのでは? 雲花は流星谷域に点在する植物である。この地域でよく見る植物なのだ。その中からを探し出さなければならないのだが、果たして探し出せるだろうか。これ、無理では?


 羽綿玉の向こうにある太陽が、開発者の目によく沁みる。


 涙で滲む視界が、不意に暗く翳った。


 雨雲にしては随分と急な変化だ。何事かと目を瞬かせながら空を見上げて、ぎょっとした。


 陽光を遮るように頭上を覆う、もこもこした綿状の何か。


「きょきょきゃるるっ!」

「くっくっ、これは狩り出がありますね」


 それは真珠漏刻遺跡の旧魅、翼綿玉オオワタマの巨体だった。


 喉に刺さった小骨のようにつっかえていた事柄を、イワシ頭はようやく思い出した。第一回昇級試験の趣旨が那辺にあったかを。


 翼綿玉は羽綿玉の成魅である。幼魅と同様、二対四枚の翼を持つが、羽毛の一つ一つが透明な氷刃で出来ていた。その翼から繰り出される連撃は、篠突く雨ならぬ刃突く雨だ。また、尻尾は変態に伴って形状を変え、根元の大玉から先端の小玉へ、大きさの異なる綿玉が数珠状に連なっていた。その尻尾から放たれる薙ぎ払いの一撃は、見上げんばかりの大岩さえも軽々と砕く。一方、ちょこんと生えた触角と牙は成長して得たものだが、なぜだろう、あるはずのかわいげが全く感じられない。


 幼魅と成魅、最大の差異は、その体の大きさだろう。成魅の全長は一〇メートルを超えていた。どこかのイワシが見習おうと血気に逸るほどの成長曲線の上昇具合である。


 アウンは論外として、翼綿玉は旧魅の中でも高めの能力値に設定されている。現時点では、たとえ第一線冒険者であっても、まだ狩ることは難しいだろう。


 そもそも今回の昇級試験の鍵は、翼綿玉から逃げ隠れしながら目的を達成できるか、にあったのだ。運営部もなかなかに甘くない。その運営部が築き上げた難関を、破壊の限りを尽くして瓦礫の山に変え、誰も通れない状態にしたのがアウンである。


 つまるところ、アウンは翼綿玉が担っていた試験官としての役割をぶんどり、偽試験官として暴れ回っていたわけだ。受験者にとっても正試験官にとっても、さらには出題者にとっても、踏んだり蹴ったりの試験として記憶に深く刻まれることだろう。いやはやもう、何と言ってよいやら。


 竜祇が同情心たっぷりな目で翼綿玉を見やってから、コタロウに向けて一鳴きした。


『先にお暇するとしよう』

「獲物を前にして?」

『戦闘狂の楽しみを邪魔する気はないのでね』


 イワシが胸鰭を振って返すと、酒の竜は大気に溶けて消えた。表裏のラスボスが並んで戦うなど過剰戦力もいいところなので、引いてくれてよかったと思う。アウンだけでも十二分に過剰戦力ではあるのだが。


 金魚鉢のぽんぽん飾り、もとい、羽綿玉が懸命に鳴き声を上げた。翼綿玉に助けを求めているのだ。これが生き別れとなった親子の再会までを綴った感動物語であれば、めでたしめでたし、と幸福な結末を迎えられたかもしれない。


 しかし、現実は厳しい。世の常とは弱肉強食なのだ。


 泣く幼魅に気づき、笑う人間に気づいた途端、翼綿玉は冷汗を噴き上げさせた。コタロウは魅の親子に憐憫の視線を向け、傍らの水草で目元を拭った。


 子を思う親とは素晴らしい。意を決したのだろう、翼綿玉が咆哮し、結界が構築される。そして、翼綿玉は最強最悪の捕食者に挑みかかった。





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