第28話 早すぎる頂上対決2
ドムは相棒を自分の身体データで作り上げた。体形に差異をつけると、間合い一つとっても戦いづらくなる。全く同じもどうかと思い、色違いにした程度だ。マホロバ独特の操作方法に悪戦苦闘したが、今や相棒は呼吸が重なったかのように動いてくれる。相手が名高い錬金術師であっても負けるつもりはない。
結界の内にある時、ドムは相棒で、相棒はドムだ。
にたり、と破茶碗が笑んだ。
次の瞬間、相棒――ドムの籠手とアウンの脛当が激突した。予想以上の重みを内包した蹴りに、小柄な体が軽々と浮き上がる。地面から離れる足、空中で崩れる体勢。続けざま、半回転して勢いのついた踵落としが、彼の肩口に襲いかかった。
ドムは意図的に横転することでそれを避けると、すかさず腕を軸にして足払いをかけた。空を薙ぐ感覚に舌打ちした直後、下から蹴り上げられた足先を視界が捉える。間一髪、仰け反って躱し、後方に大きく跳躍した。
この間、一〇秒にも満たない。息吐く暇のない、凄まじい激闘だった。
彼らの対決は事実上の頂上対決だったのだが、残念ながら誰もそれを認識していなかった。ただ、この死闘が並外れたものだと察知した存在はいた。それは当事者の二人でもなければ、洗濯機と化した金魚鉢の中で丸洗いされていたイワシでもない。
ドムは荒い鼓動に、大きく息を吐いた。相対するアウンの動きは、とてもじゃないが片手に金魚鉢を抱える人間のものではなかった。勝てる気がしない、という経験は初めだ。
しかも、遊ばれている。
悔しいと思わないわけではないのだが、次元の違いにいっそ爽快な気分さえしてくる。
これが、〇と一の錬金術師か!
ドムは牙を剥き出しにして笑い、闘気を全身に漲らせた。両手足には筋が浮かび上がり、好々爺の顔には凄みが表れ出る。
力強く地を蹴ると、一気に相手の間合いへ踏み込んだ。跳ねる真珠砂、上がる摩擦音。砂地に靴底をめり込ませ、金魚鉢を抱える左側の脇腹に、痛烈な一撃を入れる。
――寸前、金魚鉢が空高く舞い上がった。
ドムの鉄拳が左手で受け流されると同時に、相手の右手が頬に叩き込まれた。体が宙を飛び、真珠岩の一つに激突する。凄まじい衝撃に岩はひび割れ、その天辺で寝ていたらしい怠人掌が転げ落ちた。
ドム――相棒の体が色彩の粒子となって消えていく。命数を使い果たしたのだ。
アウンは落下する金魚鉢を片手で受け取った。遅れて落下するイワシと海水もきちんと回収する。ずたぼろのぽんぽん飾りが戦闘の激しさを物語っていた。
内懐から水筒を取り出して、目減りした分の海水を補うと、生存確認のつもりなのか、アウンは指先でイワシを突っ突いた。水面にぷかりと浮かぶ小魚に、反応はない。すると、今度は心肺蘇生のつもりなのか、息を吹き返すまで突っ突き回した。
イワシは息を吹き返すと、刺を持って踊るらしい。小魚のへんてこな踊りを眺めながら、ドムは地べたに腰を下ろして一息入れた。よもや、その刺が掠っただけで死ぬかもしれない代物だとは、老冒険者も思わない。踊りが一段落ついたのを見て、立ち上がる。軽く腰を叩きながら、ほやほやと笑って対戦者に言った。
「お恥ずかしい。精進が足りませなんだ。この老いぼれの完敗です」
生涯現役の四文字が服を着て人に化けている。齢九四の老爺が目指す地点とはいったいどこなのか。
「そうですね、三強の一角がこれでは興醒めです。が、骨はあるようだ、今後に期待しましょう」
「身の引き締まる思いです」
敗者が虹色の暈を放つ白光に包まれていく。命数が尽きた者の末路だ。黄泉の使者なのだろう、
イワシが黒金色の鱗を抱え持って、金魚鉢の縁を叩き鳴らした。それは魚人の肌から剥がれ落ちた鱗だった。決闘の最中に吹っ飛び、金魚鉢の内へ落っこちたのだ。
光彩が昇華する中、アウンはその鱗をドムへ放り投げた。
「くっくっ、神さまからの手向けです」
「これは……」
「腕を磨いておいてください、私が狩りたくなるほどに」
手中の鱗に見入っていたドムが、慌てて何か言葉を発しようとする。その間際、彼の全身が光り輝く泡粒と化し――。
骸骨になった。
「カタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタ」
「骸骨になっても話はできますよ」
「はっ! いいやはははやどどどどうも」
マホロバには「黄泉化」と呼ばれる機能がある。文字通り、世界が黄泉と化すプレイヤー死亡時の
従来の電子ゲームにあるような復活地への瞬間移動など、現実では再現できない。そのため、このような方式が採られていた。とはいえ、対象者のいる区域が黄泉に変化するわけではない。死亡すると、対象者の姿が骸骨に変わり果てると同時に、対象者の視界のみ黄泉一色に塗り替わるのである。お化け屋敷も裸足で逃げ出すお化け世界へ、死者だけが送り込まれるというわけだ。
血みどろの生首も、蛆まみれの腐乱死体も、黄泉にはいないのだが、影と音を効果的に使って生み出される雰囲気がとにかく怖いと評判だった。夏山のトンネルしかり、夕暮れの廃校しかり。気温に変化はないはずなのに、体感温度が五度は下がるのだとか。
そうして骨然と、もとい、忽然と死者の前に姿を現す者も、やはり骨だった。
死者の目には、相手が誰であれ、骨として映る。冒険者も魅も、プレイヤーもNPCも、生者も死者も、皆、形に差はあれど、骨に見えてしまう。対象者を限定した世界の切り替えは、脳内投影技術の特色を生かしたものだ。
因みに、黄泉に住む魅である冥魅は、狩った際に取得できる経験値が〇という特殊な種族である。当然、いくら倒してもレベルの足しにはならない。ただ、実は非常に低確率ながらも宝箱を落とすことがあり、伝説の逸品が入っていたりする。プレイヤーにはほとんど知られていないが、それも無理からぬ話だろう。わざわざ死罰を食らいに逝く物好きも、経験値〇の魅を狩り続ける物好きも、そうはいない。
視界が切り替わった瞬間、死罰が初体験だったドムは、目前に立つ破茶碗を被った骨――死者にはそう見える――に驚いて震え上がった。お化け世界をおっかなびっくり右往左往する様は、二重の意味で今にもお迎えが来そうだった。
「復活なら冒険協会でできますよ」
「あああありがとうございます。そそそそうですか。ままままずは復活を……」
挙動不審の骸骨を見送ると、人間は金魚鉢を抱え直して歩き出した。草叢を一瞥して。
金魚鉢の中から、イワシが胸鰭を振り回してアウンに訴える。
「雑魚は適度に見逃して、大物に育ってから狩れと?」
「きゅっ!」
「一考の余地がありますね、確かに」
「きゅる」
「旨鰯が雑魚の範疇に入るかどうかは別の話ですが、ね」
「ぎょっ!」
彼らが去ってから、しばし後。
ひょっこりと草叢から顔を出したのは、特殊な写真機を首にぶら下げた瓦版屋だった。四本足の大雀、
「むはは、とうとう我が時代が到来したわ! 改訂後の瓦版は桜特集で決まっていたが、再度会議にかけて変更させねばな。善は急げだ」
笑い声を舞曲にして、後ろ足が軽やかに歩調を刻む。
「それはそれとして、社長より先に大先生を見てしまったわ。社長より先に大先生と会ってしまったわ。これは社長に自慢、もとい、報告せねばならんぞ。ふはは、致し方なし!」
ふと、後ろ足がつんのめり気味に急停止する。
「待て待て待て、喜んでいる場合ではないぞ。さらなる特種、さらなる
男らしい言動は悪怯れなく小気味好い。ただし、性別は女である。
大雀獣は勢いよく助走すると、ぱたぱたと羽ばたいて低空飛行した。彼女は飛行という動作にまだ慣れていなかった。おそらく、走った方が速いだろう。
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