第27話 早すぎる頂上対決1
それを目にした時、老冒険者ドムは若かりし頃の血が猛る感覚を思い出した。老いに押されて背中は丸くなったが、性格は丸くなったとは言いがたい。
ドムは、昨年度に開催された国際ゲーム大会格闘部門の優勝者である。元軍人であり、反射神経が鍛え上げられているとはいえ、齢九四の身空で優勝をかっ攫ったのだから、驚きを通り越して呆れ返る。脳年齢が四〇代という噂も、あながち冗談ではないのかもしれない。
マホロバにおいても最高齢プレイヤーであり、そして、第一線プレイヤーでもあった。もはや、物も言えない。驚異的な超人、超爺だ。
見目は実年齢相応で、縁側の日向ぼっこが似合う小柄な老翁である。今にもぽっくり逝きそうな風情なので、武者震いのたびに痙攣かと運営部をはらはらさせている。ある意味、誰よりも危険な要注意人物であった。
七〇歳ほどの魚人族となった自分の姿を見た時、二〇年も鯖をよんでしまったことに若干の気恥ずかしさを覚えたドムだったが、「理想の自分になれる」とのマホロバの謳い文句に偽りはなかったとほくほく顔で頷いた。他人の目には映らない
魚人族になれたことも、ドムを喜ばせた。曾孫の結婚に並ぶ慶事だ。膂力が高い傾向にある魚人は、格闘界の覇者たるドムが最も望んでいた種族であった。剥がれた鱗が祝武具の合成材になるらしいという噂を耳にしてからは、脱皮していないかと鱗肌を確認する癖までついてしまっている。
マホロバ改訂によるテスター公募の話を聞きつけ、即座に応募したドムであったが、矢も盾もたまらず、ついには当落の結果がわかる前に、母国ブカジツを飛び出してしまった。無論、目的地はヒノキ国のマホロバである。行き当たりばったりにもかかわらず、長期滞在用の宿泊施設を確保したばかりか、テスターに見事当選してみせるあたり、執念とは悪運を呼び寄せるものなのかもしれない。
マホロバに降り注ぐ春は、ドムの身を激しく震わせた。感動に胸が詰まり、言葉にならない。誇るように生き生きと咲き競う桜、祝うように風と舞い踊る花弁。故郷に桜がないことを残念に思う。
ドムは少しばかり予定を変更することに決めた。ここは一つ、ヒノキ人に倣って花見をしよう。それから、桜茶屋に立ち寄って桜を食べてみようではないか。桜餅、桜湯、桜鍋……。
結果、遅れること数刻、ドムは昇級試験を受けた。返す返すも口惜しく思うのは、桜鍋を見つけられず、食べられなかったことだ。それにしても、桜鍋を探し求めている途中で耳にした骨の噂は、いったい何だったのか。
大地の芽吹きに改めて感動しながら真珠砂漠を歩いていると、人影が視界の隅を掠めた。先ほどから受験者の姿が一向に見えず、少なからず戸惑いを覚えていたこともあって、ドムはそちらへ足を向けた。
一際強い春風が、行く手を吹き荒れた。舞い上がった真珠砂が、まるで氷晶のように煌めく。細めた目を再び開いた時、相手の風貌がはっきりと見えた。
頭に被っているそれは、土器の笠だろうか。銀細工があしらわれた黒地の儀礼服は、古今が複雑に交じり合ったデザインで、美しいがどこか歪に感じる。所々に施された赤色の模様が血の痕に見えてしまうのは、男のまとう濃密な殺気のためだ。
畏怖を生じさせるほどの威烈。ドムは圧倒され、その男から視線を引き剥がすことができなくなった。激しく警鐘を乱打する勘が、これまでに出会ったことのない猛者であることを伝えてくる。
気が高まり、心が熱くなる。
武者震いが止まらない。
第一線冒険者の中にも、これほどまでの闘士はいなかった。自身も歴戦の闘士だからこそ、相手の強さは看取できる。騒がれてもおかしくない、否、騒がれなければおかしい人物だろうに、今日まで噂一つ聞いた覚えがない。
しかも、この見慣れぬ容貌風姿。
もしや、人間では?
はっとして、ドムはその正体に思い当った。
――この御仁が、〇と一の錬金術師か!
ドムは腹に力を込めると、男の前に立ち、軽く頭を下げた。人生の先達として、礼を失するような真似はできない。
「一手、ご指南いただきたいのですが、よろしいですかな?」
「ぎょっ」
ぽんぽん飾りを一つぶら下げた金魚鉢。その縁に胸鰭を引っかけて、小魚が身を乗り出した。なんともまあ、器用な小魚がいたものだ、とドムは驚嘆した。何だか凝視されているようにも感じたが、さすがにそれは錯覚だろう。
すぐに小魚は男の手で押し戻された。ドムと男の方へ交互に魚頭を向けたかと思えば、小魚が右の胸鰭で目を覆ったように見えた。いや、まさか。
「くっくっ、いいですね、お相手しましょう」
「おお、感謝しますぞ。老いぼれの名はドムと申します」
「アウンです」
アウンが片手を前へ伸ばす。手を包み込むようにして現れる、球体状の呪紋。光の粒子が流れ込み、指先に集束する。そして、指を鳴らした。
呪紋が地を奔り、結界が場に張り巡らされた。戦場と化したのだ。
ドムも相棒を召喚する。本音を言えば、実際に自分自身の拳を交わしたいところなのだが――と、そこで目を瞬かせた。空中に映し出された表示が「
対戦相手はマホロバの生みの親たる錬金術師である。ということは、これは仮運用中の新システムなのでは?
錬金術師は一向に相棒を召喚しない。さもありなん。これは生身で戦う対戦方式なのだ。ドムのように、相棒ではなく自分自身で戦いたいと望むプレイヤーは、少なからずいるだろう。リスクを負うからこそ燃える。そんな馬鹿野郎どものための新対戦方式を、開発者が自身でテストしているに違いない。残念なことに、一般プレイヤーはまだ試せないようだ。
もしかしたら、武術の達人であるらしい錬金術師もまた、血湧き肉躍る戦いを渇望しているのかもしれない……。
「骨のある冒険者に飢えていたところです。それなりに歯応えがありそうで嬉しいですよ」
どろりと流れ出る熔岩のような殺気を感じ取り、ドムの相棒は大きく後退して身構えた。
ドムに武器は必要ない。強いて言うなら、拳そのものが武器だ。単純に攻撃力のみを比較するのであれば、彼以上の強者はそれなりに存在する。だがその中に、彼を打ち倒せた者はいない。
ゲーム開始時、初期装備を選択する際、武器は二つまで選べる。だが、実は選ばずに冒険を始めることも可能なのだ。この場合、プレイヤーの初期能力値に変動が起きる。ただし、それがプレイヤーに知らされることはない。祝武具を持って生まれる人族において、本来生まれるはずのない祝武具なしの異端児。当然、NPCの対応も相応に変化する。彼の前途は否が応でも苦難と波乱に満ちた道程になるだろう。
武器装備による攻撃力の加算がないという、かなり不利な条件で始めるなんて真似をやってのけたプレイヤーは、後にも先にも彼一人のみである。それで第一線を張るのだから、超爺は伊達ではない。
そんな「無手の覇者」と対峙するアウンもまた、武器を手に取る気配がなかった。
「ご貴殿ももしや肉弾戦がお好きなのですか?」
「肉弾戦も、と言っておきましょうか。武器も一通り扱えますよ。殴る、蹴る、千切る、投げる、斬る、裂く、射る、刺す、潰す、どれも得意です」
土器の笠――破茶碗の目口が弧を描く。ちろりと目玉が金魚鉢の中を覗き見た。
「武器の中で一番得意なものと言えば、そうですね、刺身包丁でしょうか。よく使いますので、旨鰯の三枚下ろしに」
「ぎょっ!」
「なるほど、その金魚鉢は生簀の代わりでしたか。お刺身は鮮度が命と言いますしのう」
「きゅっ!」
「けれど、闘いにはお邪魔ではありませんかな? 金魚鉢はどこかに置いておかれては?」
「こくこくこくっ!」
「いえ、逃げてしまうと困りますから、せっかくの鮨種が――おっと」
「ぱたっ!」
衝撃に気絶する魚さながら、ぷかりと小魚が金魚鉢の水面に浮いた。悪気がない魚人と、悪意しかない人間と、いったいどちらが罪深いのか。確かなことは、どちらも小魚を捕食する側である事実だ。
「随分と芸達者な小魚どのですのう」
「くっくっくっ」
陶磁器が歪な接触音を奏でる。その音が小さくなるに連れて、自然と場が張り詰め始めた。無音の中、緊迫感が鼓動と共に高まっていく。
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