第25話 試験勉強しない奴は落第だ
流星谷域、真珠漏刻遺跡。
今回が初の開催となるマホロバ冒険協会昇級試験。その開催場所に選ばれたそこは、流星雨によって生じた円形の巨大な凹みが、いくつも連なる不思議な谷である。太古、流星雨が真珠砂漠に降り注ぎ、大地に数多の大穴を開けたのだという。
今、流星谷の空に星は見えない。谷の遥か彼方に浮かんでいるのは、沈むことのない太陽だ。大小一二個の燃え盛るそれは、昼は緋く、夜は蒼く、火炎を荒々しく踊らせる。
真珠砂漠の砂は、文字通り真珠のような光沢を放つ。四季によって彩りを変える砂の海だ。春は銀色の輝きの中に、翠色から桃色へと揺らめく優美な濃淡の艶を宿していた。
真珠砂漠の中央には、数多ある大穴の中でも一際大きな隕石孔が存在する。円形の谷を形成する絶壁の頂から底へ、真珠砂が果てなく流れ落ちる様は、さながら三色に光り輝く大瀑布を思わせた。
真珠砂漠には温泉が湧き出る場所もあり、草木の生い茂る沃地となっている。さほど深くはなく、足湯として楽しめる。冒険者にとっても魅にとっても、憩いの場だった。
その日、真珠漏刻遺跡は多くの冒険者で賑わいを見せた。皆、昇級試験の受験者である。合格を目指す者、未知を求める者、記念に参加する者、思惑を秘める者……。
遺跡に到着した当初こそ、心を弾ませ胸を躍らせた受験者たちだったが、刻一刻と焦燥が青い紗となって彼らの顔に重ねられていくようであった。彼らはようやく、試験に合格するためには試験勉強が必要だ、という塩っぱい現実を思い出したのだ。
羽綿玉とはどんな魅なのか?
羽綿玉と名づくからには、綿花に羽の生えた姿をしているのだろう。そう考えた受験者は多かった。確かに、その推測は間違ってはいなかった。だが、それだけで標的に辿り着けるほど、冒険協会昇級試験、もとい、ツクモ社運営部は甘くなかったのだ。受験者たちは遺跡に足を踏み入れるまで、全く想像していなかった。
真珠漏刻遺跡に生息する魅の大半が、綿に似た毛を身にまとっている事実を。
「綿っぽい奴、綿っぽい奴。おお? あれじゃねぇか?」
沃地の温泉に浸かって寛ぐ綿毛の塊を見つけて、その受験者は得意気に呟いた。喜び勇んで駆け寄っていく。難なくつかみ、持ち上げると、彼の転輪が告知した。
――
――相撲鶏は怒っている!
綿毛の塊から、嘴が突き出た。目尻を吊り上げ、受験者をぎらりと睨む。
次の瞬間、光の線が地面を奔り、結界が張り巡らされた。戦闘フィールドにプレイヤーの相棒たる擬核が召喚される。冒険者当人は鳥人族
戦闘開始のゴングが鳴り渡る。
どれほど姿がかわいかろうと、魅が攻撃の手を抜くはずもない。相撲鶏は受験者の相棒に向けて、右方から張手をどすこいと放った。その衝撃に、相棒は引っくり返って尻餅をついた。するとすかさずそこへ、今度は左方からどすこいと続く。相手に飛ぶ暇すら与えない。右翼、左翼、右翼、左翼。最後は怒濤の勢いに乗った突っ張りの連打だ。相棒の命数はたちまちに削られていき、とうとう死亡判定を下されてしまった。
「はっ? はああっ!? ちょっ、ふざけんな、強すぎじゃ――」
温泉に浸かっているところを邪魔すると、魅は激昂状態になる。一時的に全能力値が馬鹿高くなるのだ。彼はそれを知らなかった。
試験期間中、相撲鶏のほとんどが温泉を堪能している。相撲鶏の餌食となった受験者は、彼以外にもたくさんいた。そして、受験者を待ち受ける罠は、相撲鶏だけではなかった。
「綿っぽい子、綿っぽい子。あら? あれかしら?」
三メートル近い崖の上に転がる綿毛の塊を見つけて、その受験者は目を輝かせた。おっつけ下りて来るだろうと、武器を構えて待つこと、しばし。彼女の期待を
よくよく観察してみれば、それは休日の親父よろしくだらけた姿勢で午睡を満喫しているではないか。彼女の転輪が告知した。
――
――怠人掌はさぼっている!
その名が指し示す通り、怠け者の
怠人掌が人前にほとんど現れない珍しい魅であることを聞きかじっていた受験者は、目的の魅ではないとわかっても、その場を離れがたく感じた。稀少な怠人掌から獲られる戦利品もまた、とても稀少な物だからだ。
昇級試験と珍稀魅の間で天秤を揺らすこと数分、彼女は留まることに決めた。怠人掌は数時間どころか数日間動かないという習性を、彼女は知らなかった。
当然だが、戦利品は戦闘に勝たねば得られない。しかし、戦闘に勝ちたくとも、そもそも戦闘が始まらないのだから、いかんともしがたい。事実、怠人掌の撃破数は珊瑚晶域の旧魅よりも少なかった。
この珍稀な魅だが、実のところ、試験中は至る所で散見できた。彼女のように、正体を看破したがゆえに、倒そうと躍起になる受験者は後を絶たなかった。釣れそうで釣れない、欲心をくすぐり誘惑する意地の悪い罠だ。彼らを待つものは、時間切れによる試験終了の告知である。
「えっ? えええっ!? ちょっ、待ってよ、時間切れって――」
ある者は
真珠漏刻遺跡の魅に関する書籍が、ナカツ都の図書館に山と置かれていたことを、彼らは知らない。
そんな中、下調べをしっかりと行った受験者が、羽綿玉の生息地まで辿り着いた。
真珠漏刻遺跡は地上と地下の二層構造から成る。真珠砂漠中央の大穴から谷底へ下りると、風食作用によって抉られた洞が、大きく口を開けて待ち構えていた。
風食洞の中は、漏刻という遺跡名に相応しく、一定量の真珠砂が光彩の粒子となって、天井の穴から地底へと流れ落ちてくる。繰り返し、繰り返し。仄暗い地下空間を、現れては消える真珠光の柱が照らし出していた。
風食洞の奥、苔むした沃地に、羽綿玉の生息地はあった。
大人の腰丈ほどある
「わははははははははははは!」
高らかな哄笑が、天井にぶつかっては弾け飛び、壁にぶつかっては跳ね回り、洞内に何度も何度もこだました。反っくり返る人物は、息が続く限り笑声を響かせた後、ひいひい言いながら上体を元に戻した。
間抜けである。
その
「〇と一の錬金術師など恐るるに足らず! 私に解けない問題など存在しない! 錬金術師の作り出すどんな難問であろうと、私にかかればお茶の子さいさい、屁の河童! いとも容易く正解まで導き出せるんですよ! あなたたちも存分に褒め称えていいですからね! ヒノキ国一の化学者と讃美されるべきは、この私!」
興奮のあまり、金切り声になっている。そんな化学者にあからさまな舌打ちで応えたのは、一〇代半ばの少女だった。地べたに座り込む様は、一昔前の不良らしい不良である。口元で揺らす煙管は、武器も兼ねた逸品だった。
「錬金術師が冒協昇級試験の問題作成まで手掛けてるわけねぇだろ。てか、さっきからうるせぇんだよ、くそ伯父が」
「こら、くそ伯父なんて呼び方は、伯父さんに対して失礼だろう。一応、年長者だぞ」
不良娘と対照的な、見るからに優等生といった感じの少女が説教する。若干、彼女の台詞も失礼なものだったが、嘘が吐けない
しかし、凝り固まった性格というわけでもないらしい。優等生は口元を緩めた。
「まあ、敬称の無理じいに意味はないか」
「はっ、未成年の付き添いが必要な大人なんて敬えるか。慇懃無礼よりはましだと思え」
不良娘は、自讃と自慢を繰り返す伯父に、再び怒鳴った。
「おい、くそ伯父! てめぇはいつまで無駄口を叩いてるつもりだ。昇級試験を一番合格するんじゃねぇのか」
「もちろんですよ! 一番合格は『孤高の北極星と其に集う双子星団』の団長であるこの私です!」
「団名が長げぇよ。短く『
「確かに簡潔でいいな」
簡単で要点を押さえた表現、それが「簡潔」の意味合いである。優等生は何気ない言葉で伯父の心を抉っていた。両手に花などとはお世辞でも言えない光景だった。
「では、孤島団団長どの、この雲花のどれかが擬態する羽綿玉なんですよね?」
姪の問いは、しかしながら、伯父の金切り声に弾き飛ばされた。
「孤島団とは何ですか! それは省略ではなく変更です! 変えませんよ! 変えませんからね!」
「名前ってのはな、他人から呼ばれてこそ意義が生まれるんだよ」
「確かに。実体が伴っていない人間ほど自称にこだわるな」
「そ、そ、そんな言葉で私は騙されませんよ!」
このままでは押し切られると思ったのか、化学者は本題に逃げ込んだ。
「まったく、近頃の女子高生がこんなにも恐ろしい存在だなんて知りませんでしたよ。先ほどの質問に対する回答ですが、そうですよ、その通りです。羽綿玉は雲花に擬態して雲花畑に潜むのです。さあ、大詰めですよ。この雲花の中から羽綿玉を探し当てれば……」
団長が意気揚々と雲花の一つをつかみ取る。すると、転輪が告知した。
――はずれ! 雲花だ。
盛大に鼻で笑った団員が、隣の雲花に手を伸ばした。
――はずれ! 雲花だ。
忍び笑いを零した団員が、さらに隣の雲花に手を伸ばした。
――はずれ! 雲花だ。
三人は顔を見合わせた。そして、手当たり次第に雲花を毟っていった。
――はずれ! 雲花だ。
――はずれ! 雲花だ。
――はずれ! 雲花だ。
――……。
およそ一〇分後。肩で息をする一団の姿があった。粗方確認したはずなのだが、三人は一向に「あたり」を引き当てることができなかった。
彼らが目を怒らせて振り返れば、毟り取ったはずの茎の先端に、雲花がぽんと咲いた。
「「「あ?」」」
あちらもぽん、こちらもぽん、ぽんぽんぽん、ぽぽぽぽん……。
「「「あああっ!」」」
無残な姿をさらしていたはずの雲花畑は、瞬く間に元の姿を取り戻した。驚異の、そして受験者にとっては脅威の、再生力である。数多い受験者に対応するための処置だったのだが、受験者が運営部の嫌がらせだと思ったのも無理からぬことだろう。
羽綿玉の生息地まで辿り着いたにもかかわらず、問題の羽綿玉を見つけることができない。おかしな事態である。この異常事態の陰には、にたりと笑う元凶が存在していたのだが、受験者は知りようもなかった。
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