第24話 家鴨と烏の鳩首協議2

「あえてマホロバに姿を現した、と?」


 釈然としない思いに、クロエダは端麗な眉の間にしわを寄せた。


「まるで狙い澄ましたかのようなタイミングじゃないか。偶然にしては出来過ぎている」

「確かにそうですが。仮に、我々が裏に流した偽情報を、彼が何かしらの方法で入手したとして。マホロバへ赴く理由にはならないでしょう。自ら火中に飛び込むようなものだ」


 クロエダは錬金術師が冷静沈着であり深慮遠謀な男と見ている。そもそも、錬金術師が公の場に姿を見せないのは、彼の身があらゆる組織から狙われているためだ。自分の名が出てくる偽情報を知ったとしても、君子危うきに近寄らず、自ら危険な場所へ向かうような愚は冒さないだろう。


「人前に出ない彼が、あえて出てきた意味、か」


 こめかみを指先で軽く触れた後、スズシロは双眸を細めた。


「偽情報の出所をつかまれたのかもしれない」

「発信源が我々であると? 偽情報の内容のみならず、ですか」


 スズシロは少し考えてから、微妙に首を傾けて困ってみせた。


「もしかしたら、怒らせたかな?」

「錬金術師どのを、我々が、ですか?」

「そうさ。彼からしてみれば、自分の名前が何の断りもなく国家機関に利用されたわけだからね。僕らは彼の敵ではない。敵ならぼっこぼこに叩けるが、敵ではない僕らはぼっこぼこに叩けないだろう? その分、腹が立つかもしれないと思ってね」

「しかし、我々の組織に関して、彼ほどの人物が知らないなんてことはないでしょう。組織の役割を思えば、それが自身を守ることにも繋がると察するはず。名前を使われたことに多少の腹立ちがあったとしても、作戦に水を差すようなことなどしないのでは?」

「おそらくだけど、名前の勝手な借用、それ自体は彼もさほど気にしていないのではないかな。ただ、世界各国の諜報機関を相手取る錬金術師なら、こう言ってもおかしくないと思わないかい? ――甘い、とね」


 〇と一の錬金術師、その名を使っておきながら、甘いと。


 錬金術師が横槍を入れるほど、何かが甘いと判断された。何が甘いのか。今回の作戦か、その先にある計画か、組織がまだ気づくことすらできていない何某かに対してか。


 二人は視線を交わし、錬金術師の神算鬼謀を回顧して、同時に大きく溜め息を吐いた。何かはわからないが、何かが甘いと戒められた可能性は十分にありうる。改めて、そう噛み締めたために。彼は情報戦の雄だ。情報を操作し、制御し、管理する、〇と一の錬金術師。二人が所属する組織に、それを知らぬ者などいない。


「そういえば、君、さっき、おかしなことを言っていたね。これがだなんて」

「どこがおかしいと?」

「おかしいだろう、大いにおかしい。それではまるで、僕らが警察官でもあるかのようだよ。僕らは捜査機関ではないのだからね。犯罪捜査権なんて持っていないし、囮捜査なんてありえないさ。犯人を捜し出したり証拠を洗い出したりしたことなんて、これまでに一度だってあったかい?」

「ふむ、言われてみると道理ですね。警察官ではない我々が行っている以上、これが捜査に当たることはない、と」

「そういうことさ」


 道理も怒るに違いないこじつけを、さも真っ当であるかのような顔つきで言い合う。この場に警察官がいたなら、彼らにこそ手錠をかけていたに違いない。


「違法捜査は公安警察の十八番ですし、そんな大それた真似、しがない木っ端役人の我々にはとてもとてもできませんね」

「そんな憎まれ口を叩くから、君は公安警察に嫌われるのさ」

「嫌ってもらって結構」

「同じだろうに」

「あれは不倶戴天の相手ですので」


 烏人の口元に浮かぶ不遜な笑みは、黒い烏を白い烏に変えてみせる悪役敏腕弁護士のそれだ。


「僻んでいるのかい?」

「僻んでいますが、何か?」

「君、そこは素直に認めるのかい」

「素直なところが私の取り柄ですので」


 烏人は一向に悪怯れない。彼は腹の中まで真っ黒なのかもしれない。


「まあ、元より、我々の目的は『犯罪者を捕らえること』にはありませんが」


 クロエダは長い指先でくいっと伊達眼鏡を上げ直してみせた。あざとくも美しい振る舞いに、離れた場所で黄色い歓声が沸いた。社交的なスズシロが、非社交的な同僚に代わって笑顔を向ければ、歓声は一段と大きくなった。目に見えぬ大輪の花弁を振り撒きつつ、スズシロは大仰に前髪をかき上げた。惜しいかな、その仕草で二枚目半だ。


「それはそれとして、〇と一の錬金術師か。君は彼を一般市民と称したけれどね、あれは本当に一般市民と呼んでいい存在なのかい?」


 スズシロは両肘を卓上に突くと、祈るように組んだ手を口元に当てた。


「ここはマホロバだ、誰もが『なりたい自分』になれる舞台だよ。〇と一の錬金術師と名乗ったところで、自称にすぎないということさ。錬金術師の名は広く知られているからね、騙りの一人や二人、出てもおかしくはない。そう名乗る人物が現れたとして、本物かどうか判断できる材料がない以上、まずは疑うと思わないかい?」

「そうですね、私なら疑いますね」

「だろう、僕でもそうさ。しかし、彼はどうだい。誰も彼もが〇と一の錬金術師だと認めている――名乗っていないにもかかわらず!」


 信じられないとばかりに、スズシロは両手を上げてみせた。参った、と言いたくなる気持ちは、クロエダにもよくわかる。


「とんでもない男ですね」

「ああ、とんでもない男だ」


 湯飲み茶碗から湯気が立ち昇っていく。クロエダの視線の振れは、果たして揺れ動く白煙を追っていたためなのか。


「そもそも、本物の錬金術師が現れたところで、僕が本物以上に本物らしく装えば問題はなかった。僕の高貴な品格をもって、本物以上の本物、世人がこうと想像する『〇と一の錬金術師』を演じればいい。本人がいようとも、衆目を欺いてみせるだけの自信はあったよ。彼がごく普通の人物であれば、だけどね。君、あれ以上の本物が想像できるかい?」

「無理でしょう。本物が強烈すぎます。想像と違っていた分、より衝撃が大きかったということもあるのでしょうけれど」

「僕の想像とも違っていたよ。あれは異様、いや、異質と表現すべきかな。マホロバはその構造上、精神や心理の影響を受けやすい。言うなれば、内面を映す鏡だ。あれが彼の本質なら、僕は震えが走るほど恐ろしいよ、ははは!」

「そこで笑い出しますか」

「君は笑わずにいられるのかい?」

「普通は笑えませんよ。笑えるのはあなただけでしょう。変人ぶりを発揮するのであれば、どうぞ私の視界に入らない席でお願いします」

「醜があればこそ、美は際立つ。完璧なものに魅力などないのだよ。奥深い玄、奇怪な妙、閑寂の古、素晴らしい。錬金術師くんに興味が沸いたよ」

「変人に興味を持たれた錬金術師どのに同情します」

「僕に足りないものを、彼は持っているに違いない」

はなから足りないものだらけでしょうに」


 笑みを輝かせる同僚に、クロエダはやれやれと言わんばかりの溜め息を吐いた。


「それで、どうするんです? このままでは錬金術師どのを作戦に巻き込みます。冗談抜きで、笑えない状況になりますよ」

「僕が錬金術師として表に出たところで、今となっては誰も信じないだろうね」

「では、今作戦を中止し、錬金術師どのを保護します」

「待ちたまえ、クロエダくん」


 スズシロの口が愉快げな曲線を描いた。それはもう、家鴨の嘴の如く。


「僕にはね、冒険協会での彼の目立つ行動が、どうにも不自然に感じられてならないのさ。あれではまるで、自身を囮にして獲物を誘き出そうとでもするかのようじゃないか。もしかすると、彼はこちらの作戦を見抜いているのではないかな。いやいや、きっとそうだろう」

「標的が誰かまで見抜かれているわけではない、と願いたいですよ。我々の体面的に」

「元より期待されていない組織だ、体面など二の次三の次、そんなどうでもいいことよりも、だよ。彼の行動を知れば知るほど、僕は思わずにはいられないのさ。彼は囮役を買って出てくれているのではないか、とね」

「は?」

「あの行動は彼の意思表示だ。手を貸そう、そう言ってくれているに違いない。これはもう、彼の手を借りるしかないね。君もそう思うだろう。そうだろう、そうだろう。今作戦は中止せず続行とする。配役をちょっとばかり変えてね。囮役は彼にやってもらおう」

「彼に?」

「彼に!」

「……なるほど」


 クロエダは眼鏡を取ると、眉間に指先を押し当てた。


「あなた、班長を胃痛で殺害するつもりでしたか。随分と陰険な完全犯罪を目論んだものですね」


 スズシロの言う「彼」が誰を指し示しているかなど、聞かずともわかりきっている。それでも万が一の可能性を考えて、一応、確認はしておくべきだろう、確認したくはないのだけれども。そう思いつつ、クロエダは視線を明後日の方角へ向けた。


 人称代名詞が指し示す先の確認を後回しにしたところで、悪あがき以上の何物でもないことは、クロエダにも十分にわかっていた。だが、不遜な彼にしても、こちらの作戦に巻き込む相手としてその名を口にするには、少なからず心の準備が必要だった。あの鳥頭、もとい、家鴨頭、彼が国家にとって重要人物である事実を忘れたとしか思えない。それも故意に三歩歩いて。


 スズシロの図太さが腹立たしい。この同僚に比べて、自分はなんて繊細な神経の持ち主なのだろうか。と、班長が卒倒しそうなことを、クロエダは心内で呟いた。


 家鴨人は同僚から睨まれても気にすることなく、三人前の和菓子を平らげていた。口元をハンカチで拭い、手鏡で確認までしてから、烏人に顔を向けた。


「安心したまえ、完全犯罪は僕の美学に反する。僕の生き様は『善行は華麗に、悪行はど派手に』あるべきなのだから」

「あなたの美学については、私以外の相手に講釈してください」


 一呼吸を置いて、クロエダは悪あがきをやめた。所詮、烏も鳥頭。そう嘆く班長の姿を、彼は視界の隅っこに幻視した。


「確認したくありませんが、一応、確認しておきましょう。囮役の彼とは誰のことです?」

「決まっているじゃないか。〇と一の錬金術師くんさ!」


 スズシロは皓歯を輝かせた。





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