第22話 諸悪の根源

 何度か太鼓橋を渡ると、さほどかからず冒協本部に到着した。まだ食べきっていなかったコタロウが、残りの桜餅を口の中に詰め込む。満河豚マンプクが腹を膨らませられるように、新種イワシは頬を膨らませられたようだ。胸鰭で口元を押さえながら、必死にむぐむぐと動かした。


 冒険協会ナカツ本部は、外観こそ木造の町並と調和した建物であったが、内実は四階造り二棟から成る立派な建築物である。二棟共通の一階層と各棟独立の三階層という構造は、都市部の市役所といった趣だ。開拓途上の町には不釣り合いの規模だが、プレイヤーの数を考慮すれば、これは仕方がない。


 各階で担当する地域が分かれるため、例えば珊瑚晶域の依頼は一階窓口で受けられる。また一階は、地域に関係しない特殊な依頼や、初心者向けの相談にも対応しているので、一段と賑わいを見せるのが常だった。


 各種掲示板が立ち並ぶ区画で、貼り出された依頼書を覗き込む冒険者の魚人。受付窓口が置かれた区画で、依頼や受託などの手続きを行う冒険者の緑坊。記入台が設けられた中央区画で、水晶花の卓上灯の下、手紙を書いている冒険者の親分と子分。そんな冒険者たちの間をちょこまかと縫って回る冒協職員の魅坊……。


 いつもならば市場にも負けないほどの活気に溢れる場所が、だがしかし、この日は様子を一変させていた。非常の事態である。迫り来る暗雲にじわりじわりと侵食されつつあるかのように、帯電してひりつく重苦しい空気。落雷直前の高まる緊張感が、冒協職員を取り巻いていた。


 諸悪の根源、愉快犯という名の元凶は、無駄に威圧して場を支配しながら、征服者の如く堂々と窓口に赴いた。


 唾を飲み込む冒協職員に釣られて黙然となりながら、周囲の様子を探る冒険者。状況が理解できていなかった彼らも、とにかく只者ではない奴が現れた、とどうやら察したらしい。憶測を巡らす彼らの中から、はっと息を呑む者が現れた。


 冒険者の口が音なく一つの名を象る。


 ――〇と一の錬金術師、と。


「くっくっくっ」

「きゅる?」

「いえ、何でもありませんよ。そう、何の問題もありません」


 愉快犯は、またの名を故意犯といった。


 コタロウは、窓口に立つ冒協職員をじっと見つめてから、小首を傾げた。一見、いつもと変わらぬ冒協職員の魅坊だ。魅惑の体形から癒しの深海魚として話題になり、一躍時の魚となった水族館の人気者、面蛸めんだこを模した魅坊である。泳魅族薬面蛸ポイポイ属の亜種で、水中ではなく陸上での生活に適応している。癒し効果もさることながら、薬効高さも折紙付きの空飛ぶ面蛸であり、体内で育てた薬草を所構わずぽいぽい放り投げる様が、敵ながら愛らしいと評判なのだ。


 しかしながら少年の魚眼は、ヒノキ国の誇る三大名探偵のそれに勝るとも劣らず、真実を鋭く見抜いていた。通常、冒協職員はNPCなのだが、今日の彼らはツクモ社員のようなのだ。ゲーム業界で言うところの「中に人がいる」状態である。冒険者には見分けがつかないだろうが、イワシはこれでも開発者だ。窓口の奥にある職員用ドアの隙間から、こっそりとこちらを覗いている魅坊のも、まず間違いなくツクモ社員だろう。ツクモ社って暇なのだろうか。不況の影響がまだ響いているのかも。と、少年はちょっとばかり企業の収益と社員の将来を心配した。


 魅坊の皮を被ったツクモ社員が、この時、動悸と手に手を取って踊っていたことは、イワシの与り知らぬところだ。魅坊もどきは今か今かと待ち構えていた。彼らの心境は一つだった。


 〇と一の錬金術師が、来た来た来た!


 冒協職員と冒険者の視線が、コタロウ――ではなく、アウンに集中した。


「こんにちは」

「こんげほっ、ごほごほっ、こんにちは! お手紙をお預かりしています!」


 気張りすぎたのか、咳き込んでいる。


 開発者に見えない開発者イワシは、両の胸鰭で己の頬をぱちんと勢いよく挟んだ。魅坊が人語を喋ってしまっているがゆえに。


 現状、特殊個体たるアウンを除いて、NPCの中に人間の言語を操ることができる者は存在しない。原則、NPCの魅坊がプレイヤーの冒険者に対して用いる言語は、手を振り足を振り、身を動かしての身振り言語なのだ。洋画の字幕のように、転輪の告知がその身振りを解説するので、彼らの話がわからないということはない。


 魅坊が人語で話す、それ即ち、魅坊の中に人がいる、言い逃れできない証拠である。幸い、プレイヤーが気づいた様子は見受けられなかったが。


 思わず人語を使って喋ってしまうほど、中の人が意気込んでいるらしい。窓口係は短い蛸足を頑張って伸ばし、アウンに手紙を差し出した。錬金術師宛の手紙を、である。本来は受取人を転輪で確認するものなのだが、その手順を素っ飛ばした窓口係に、イワシは胸鰭で挟んでいた頬をそのままぎゅっと押し潰した。この窓口係、アウンの正体に気づいている?


 アウンが裏ボスである事実までは気づかれていないと思いたい。だが、少なくとも、彼がコタロウの子分であることは悟られてしまっているらしい。気分は平たい皮剥かわはぎだった。面の皮を剥ぎ取られないようにしなくては。


 親分の冒険者に代わって、子分の魅卵は様々な手続きの代行ができる。親分が忙しい時などは、子分を冒険協会まで一っ走りさせて依頼を受けたりすることができるのだ。アウンも一応、コタロウの子分という扱いなので、兄の手紙を受け取れると踏んではいた。が、まさか、確認自体されないとは。


 確認するまでもなく、見るからにアウンはコタロウの子分っぽいらしい。ということは、コタロウは最凶旧魅の親分っぽい、ということだ。少年はカワハギからイワシに戻って思った。ロボドレックスを見習っている内に、悪の親玉としての貫禄が自分にも出てきていたのかもしれない、と。金魚鉢の中で、ちょっと胸を張ったイワシだった。


 アウンはさも当然とばかりに手紙を受け取った。


 コタロウは金魚鉢の縁につかまって顔を出した。催促されたアウンは、イワシにも見えるように手紙を広げた。少年の兄、タロウからの手紙である。観光添乗の依頼について、その詳細が書かれているはずなのだが……。


『相手が勝手にお前を見つける。適当に歩いて、適当に遊んでやれ』


「きゅる?」

「くっくっくっ」


 コタロウは真剣な魚眼で、文面を三度読み返した。


 これのどこが依頼内容の詳細なのだろうか。兄の友人の名前さえ書かれていない。その友人はこちらの顔を知っているということなのだろうが――あれ? イワシは自分の顔を胸鰭でぺたぺたと触った。イワシ顔だが、気づくだろうか?


 首を、もとい、身をねじって考え込むコタロウをそのままに、アウンは告知板から一枚の通知状を剥がすと、窓口で申し込み手続きを行った。


「そちらは適当でいいようなので、せっかくですし、に申し込んでおきました。暇潰しにはなるでしょう」


 騒めく窓口を不思議に思いつつ、通知状を覗き込んだコタロウは、それが昇級試験の通知であることに魚眼を白黒させた。


 マホロバ冒険協会昇級試験。何度見直そうと見間違いではない。


 通常の依頼とは異なり、年四度の昇級試験と年二度の天下無双大会に関しては、冒険者本人の申し込みが必要なのだが、なぜアウンの申し込みが通ってしまっているのだろうか。もちろん、魅に受験資格など存在しない。


 どうやら、窓口係は誤って代行者による参加申し込みを受理してしまったらしい。本来であれば、受験者本人が手続きを行うように通達する決まりなのだが、それをうっかり忘れている。窓口係が通常通りNPCであれば起こりえなかった人災である。どれほど科学技術が発展しようとも、運用するのは所詮人間ということだろう。事が露顕すれば、運営部の怒りを呼ぶに違いない。二度目の冒協会長闇討ち事件が起きそうで恐ろしい。


 イワシは人間に釣り上げられた魚の目で試験通知を見つめた。観念して受験するしかない。ここで運営部の気を引きそうな行動は取れない。なぜならば、芋蔓式にこれまでの悪行がばれてしまうかもしれないので。



[試験通知]一年度、春のマホロバ冒険協会昇級試験、開催中!

[試験資格]マホロバ冒険協会登録者

[試験内容]真珠漏刻しんじゅろうこく幼魅こすだま羽綿玉コワタマを狩れ!

 マホロバ冒険協会より昇級試験のお知らせです。今回の試験会場は「流星谷域の真珠漏刻遺跡」になります。冒険協会で手続きの上、会場へおいでください。なお、試験には時間制限がございます。制限時間内に遺跡から脱出されていない場合、試験目標を達成していても不合格となりますのでご注意ください。帰るまでが遠足です。冒険者の皆様、どうぞ奮ってご参加ください。

 ――マホロバ冒険協会ナカツ本部――



「くっくっ、なるほど、羽綿玉を合格のようですよ」

「ぎょっ!」


 蛇足だが、どこにも「根絶やしにしろ」とは書かれていない。言うまでもなく、合格条件は一匹である。


 イワシは目を回して金魚鉢の中に落ちた。愉快犯であり故意犯である男は、やはり戦闘狂だった。因果応報の四文字が脳内を跳ね回る。開発者は水底で深々と自省した。


 アウンがこの昇級試験に参加したことで、とある大人たちがとんでもなく苦労する破目になるのだが、その未来を予測できた者はいない。





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