第21話 突撃!隣の裏ボスです

 雪解けの水が作り出した川に沿い、下流へと辿って行く。やがて、瑞々しい若葉を芽吹かせた木々が開けた。視界一杯に広がるのは、まぶしいほどに澄んだあおい湖だ。


 湖中にあって、激しい飛沫を上げる波濤とも見紛うそれは、幕状の水晶である。湖の至る所で起伏を繰り返し、水上数十メートルの高さに達するものも存在する。陽光に煌めく様子は、星屑のように光る蛍杓子ほたるじゃくしと相まって、さながら水中のオーロラのようであった。


 湖の中央に浮かぶ、水晶の島。遠目で見ると、まるで半透明な珊瑚礁のようだ。ゆえに、この地域で産出される水晶は、総じて珊瑚晶と呼ばれている。その珊瑚晶島にあるのが、冒険者の故郷、ナカツ都である。


 蔓状の太い水草で編まれた浮き橋が、湖に点在する枝垂桜を固定脚にして、島まで架け渡されている。茣蓙を敷いて観賞する花見客の姿が、橋の随所で見られた。


 珊瑚晶域の桜は、水晶桜きらきらざくらという。この地域特有の品種だ。幹や枝が水晶のようにほんのりと透けていて、中を流れる水の動きで時折きらきらと瞬く。湖底に根を下ろす枝垂桜の巨木が、八重の花を満開にさせた姿は、春光を代表するに相応しい圧巻ぶりである。


 ナカツ都にはマホロバ冒険協会ナカツ本部があり、冒険者にとっては始まりの地でもある。マホロバの開始より一〇ヶ月、そこは集落から町へと姿を変えていた。


 冒協本部を中心にして、ナカツ都は形成されている。本部は珊瑚晶の瓦で敷き詰められた丸天井の木造建築で、湖生の大蔦が柱に使われている。隣接する物見櫓に登れば、珊瑚晶で彩られた町並が一望できるだろう。水路が同心円状に町を流れ、各所で水車をゆっくりと回している。水路沿いの桜並木は、町を春一色に染め上げていた。北側には職人の工房が、南側には商人の商店が、軒を連ねている。


 春改訂後の初日ということもあってか、町はいつも以上の賑わいを見せていた。冒険者の多くがナカツ都に帰ってきているらしい。その中には、臑に疵持つ冒険者崩れも交じっているようだったが。


 ナカツ都の柵門に、金魚鉢を抱えた人間が現れた時、喧騒の波打つ町全体が、瞬く間に氷海と化した。突然の状況変化に訝しむ冒険者たちの隣では、町民の魅坊たちが恐慌のあまり凍結している。ナカツ都にいた魅坊が一人残らず、である。


 故意に殺気を滲ませて、町の反応を面白がる愉快犯が、事変の元凶だった。


 野生の直感に優れる魅坊は、門から離れた場所にいた者も例外なく、人間の正体は無論のこと、金魚鉢の中身の正体も、本能的に悟ったのだ。


 神さまが最凶旧魅に捕まった!


 魅坊たちの頭の中では大根が乱れ飛んでいた。大混乱である。誤解、と断言しがたいところがまた困る。


 冒険者たちも町民の態度から、何某かの問題が発生したことは感じ取った。解氷した冒険者たちの間で、細波が起こる。


 居合わせた冒険団の一つに、武芸百般の会得を目指す、その名も「武芸百団」がいた。


 武芸百般と言えば、ありとあらゆる武芸を指して呼ぶが、武芸百団もその名に負けず劣らず、ありとあらゆる武器を用いて武技を磨く武芸馬鹿たちの一団であった。剣や弓は元より、十手や三叉槍は序の口で、銭やら独楽やら皿やら鰹節やらと、彼らの得物は物申したくなるほどに多彩だった。武芸百団の掟に「団内一得物ただひとつの」があり、団員同士の得物の重複を禁じているのだとか。あまりにおかしな派生武器を創り出すため、ツクモ社の保守部武具班を社屋の陰で泣かせている。


 武芸百団の団長が、集まってきた団員たちに話しかけた。


「住民の様子が急におかしくなったようだね。何かな?」

「今日は春季の初日だから、何かしらの催し物だとは思うけれど。桜狩りかしら?」

「ふん、魅坊の表情をよく見てみろ。あれは動揺や狼狽のたぐいだ」

「ああ、確かにそのようだ。あるいは、そういった催し物かもしれないな。例えば、強い旧魅が町に攻めてきたとか」

「町の重鎮が凶悪な賊に捕まったとかな」


 魅坊がこの場にいれば、慧眼とばかりに団長たちへ拍手を送ったかもしれない。強い旧魅どころか最凶の旧魅が、町の重鎮どころかマホロバの神を捕まえているわけだが。惜しむらくは、団長も団員も冗談半分だったことだろう。


「いくら意地悪な運営さんでも、初日に予告なしの急襲を企てたりはしないと思うのだけれど」

「花見目当ての人も多いようだし、さすがの運営も無粋な真似はしないか」


 そこへ、一人の団員が走り込んできた。喋りたくてしょうがないといった面持ちで、集団に頭を突っ込む。


「今さっき、運営さんが物凄い形相で冒協本部に駆け込んでいくのを見ちゃいました! 本部の方もてんやわんやのお祭騒ぎらしいですよ! あれは何か、大事件が起きたに違いありません!」


 ツクモ社の運営部が時折、何某かの苦情やプレイヤー同士のもめ事などの問題を解決するために、冒険者の姿でマホロバに現れることは知られていた。冒険者の姿と言っても、「何でも屋」とでかでか書かれた外套を羽織っているので、一目ですぐに彼らとわかるのだ。設定上、彼らは冒険協会に雇われた特級冒険者ということになっている。


 冒険者たちは無言で顔を見合わせた。たっぷり三呼吸分の空白を挟んでから、一同の声が揃った。


「「「「え?」」」」


 その頃、台風の眼は、と言えば。


 一方は目元をぱちぱちと、他方は口元をにたにたとさせて、町の露店を冷かしていた。立ち並ぶ露店の主を、軒並かちんこちんに凝固させながら歩くのだから、傍迷惑この上ない。住民の様子が平生と違うことはコタロウも気づいていたのだが、その原因が自分たちであることには、迂闊にも思い至らずにいた。


「花見を当て込んで、出店がいつもより多いようですね。せっかくですから、何か買って摘まみましょうか」

「こくり」

「ああ、あれなんて美味しそうですね。平たい嘴の辺りが特に」

「ぎょっ」


 アウンの視線の先には、店主しかいなかった。扁平で幅広の嘴を持つ井守、井守嘴イモリハシの魅坊である。その特徴的な嘴は、世界でも指折りの珍味なのだとか。人間という最凶の雑食者に目をつけられて、店主は震え上がり、神助を求めた。マホロバの神は、所詮、人間に捕食される側の小魚なのだが。


 イワシはアウンに向けて、精一杯、胸鰭を交差させ、力一杯、罰点を示した。


「くっくっ、わかりました。神さまのお告げですからね。魅坊は食べないようにしましょう、魅坊は」

「きゅも。きゅる、もっ!」

「おや、少し語音が増えましたか。人語が話せるようになるといいですね、鮨にされる前に」

「ぎゅっ!」

「しかしながら……」

「きゅる?」

「会話の成立と意思の疎通は、また別の問題ですが、ね」

「ぎょっ!」


 井守嘴から桜餅の供物を受け取り、一匹と一人は食べながら冒険協会に向かった。太らせて食う気だ、という悲鳴をあちらこちらから噴き上げさせながら。





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