第19話 目標()は三強

「わああ、水晶三葉がこんなにたくさん。早速、探してきます」

「わたくしもお手伝いしますわね」


 コタロウも手を貸すため、金魚鉢から身を投げ出そうとした。が、寸前、と判断されたのか、むんずと鷲づかみにされて、アウンに阻止された。破茶碗の割れ目が理解しがたいものを見る目に変化している。大変、心外である。と、遺憾の意を魚眼に表せば、どうにかこうにか地面へ下ろしてもらえた。


 揃って目を皿にして、地面を覆うように生えた水晶三葉の中から四葉を探す。しゃがみながら小葉の枚数を一つずつ確認していくのは、生身のプレイヤーにとっては骨の折れる作業に違いない。


 小半時も続ければ、げんなりもするだろう。と思いきや、肩を回したり腰を叩いたりと身じろぎに忙しないのは、獣人の少年一人だけだった。霊人の方はと言えば、同じ姿勢のまま手を休めることもなく、真剣な面持ちで作業を続けている。その強靱な意志たるや、鋼でできたNPCの如し。獣人は元より、イワシも襟巻竜も、彼女へ尊敬の眼差しを向けた。


「ふふ、職業柄、鍛えておりますので」


 二の腕に力瘤を作ってみせた霊人へ、腑甲斐ない男たちから拍手が飛ぶ。だが、彼女は腕を下ろすと、頬に手を当て、眉をの字に変えた。


「ですが、なかなか見つかりませんわね、水晶四葉」


 案の定、並の幸運度では水晶四葉を探し当てるのも一苦労だ。そろそろ隠し球アウンの出番か、とコタロウが考えていると、ばてた獣人が「一時中断!」と叫んだ。


「そうですわね。適度な休憩は作業効率を上げますし、それがいいと思いますわ」


 霊人は恋人とマホロバで花見をするつもりだったらしい。持参した茣蓙を敷くと、中身がぎっしりと詰まったお重を、中央にどんと置いた。清々しいまでに晴れ渡った笑顔で、彼女は言った。


「愛情たっぷり、手間暇かけて作りましたの。たんと召し上がれ」


 雲一つない朗色の向こうから、遠雷の轟きが聞こえてくる。彼女の手が箸を握り締めたかと思えば、音を立てて真っ二つにへし折った。イワシと襟巻竜がわたわたと鰭を振り回す中、霊人の失恋事情を知らない獣人は、昼食の誘いに諸手を挙げて喜んだ。


「わああ、凄い、重箱のお弁当だ。お正月のお節料理みたいですね」


 重箱の蓋を開けると、比喩ではなく、おかずが輝きを放った。


 マホロバでは、外界から持ち込まれた飲食物には映像処理が施される。大体が下手物と化すのだ。重箱の中身も、いつもなら芋虫に化けたり稲虫に化けたりするところなのだが、なぜか今回は後光が射すエフェクトだった。お重という大作が映像処理担当のAIを感嘆させたのかもしれない。まさか、箸をへし折る霊人が怖くてそうしたわけではあるまい。


「こんなに豪華なお弁当を、僕もご馳走になっていいんですか?」

「ええ、わたくし一人では食べきれないので、皆さんで食べて頂けると嬉しいですわ」

「ありがとうございます!」


 アウンがイワシと襟巻竜の首根っこを引っつかみ、二匹を茣蓙の上に下ろす。彼もコタロウの隣に座すと、内懐から自前の箸と小皿を取り出した。


 最新鋭の擬核が用いられているアウンには、他NPCの擬核にはない様々な機能を搭載させている。食事もその一つで、食べた食物を有機燃料として動力源に変換する仕組みだ。マホロバの各飲食店から毎日廃棄される生ごみの量は馬鹿にならない。その処理方法の一つとして、まだ実験段階ながら食事の機能を組み込んだ。ただ、太陽電池を動力源にしているはずの旧作NPCが、顔一杯に食い気を表して、新作NPCを凝視している事態は、開発者の想定外である。


 コタロウが動かす憑依操作用の試作擬核には、そこへさらに味覚の機能も付け加えてあった。折よく味覚の実地試験ができそうだったので、庭の池の鯉の如く、イワシは口を開けて人間からの餌づけを待った。


 上下左右に揺れ動く箸の先を追いかけて、イワシが茣蓙の上を跳ね回る。そんな光景を眺めながら、人族二人は雑談を交わした。


「そうだ、聞いてください!」

「ふふ、嬉しげですわね、何かしら?」

「実は、僕、今日初めて、一目惚れを体験してしまったんです!」

「ふふ、ふふふ、そう、そうですの、一目惚れを? どこかで別れがあれば、どこかで出逢いもありますわよね。受けて立ちましてよ、恋話」


 箸の先にぶら下がりながら、イワシは思った。獣人の少年は空気が読めないたちらしい、と。獣人の横に座る霊人の背後では、積乱雲がむくむくと沸き起こっているのだが、一向に察する気配がない。


「どんな方だったのか、お聞きしても?」

「とてもかっこいい緑人族のお姉さんでした!」


 頬を赤らめた獣人は、夢心地な様子で語った。


 男並に高い背丈、短く刈り上げられた髪、日に炙られた赤銅色の肌。焼けるように冷たい、霜烈な眼光。鋭い気迫に満ちた、狩人を思わせる女丈夫。それでいて、髪を飾る桔梗の花が、殺伐とした雰囲気に色を添えていた……。


「桜の古木の下、黙祷を捧げるかのように佇む姿に、僕は目を奪われて……」

「べた惚れですわね」

「お姉さんがまぶたを閉じると、右の額から頬にかけて、北斗七星の黒子が鮮やかに現れて。神秘的な美しさだったんです。星座の黒子を持つ芸能人とか雑誌に載ったりしてたけど、あんなに綺麗な並びの七つ星は見たことなかったなぁ」

「――北斗七星の黒子?」


 霊人が呟いた。その口元から感情が消え、目の色が深みを帯びる。


 彼女の呟きは聞き取りにくいほどに小さなものだったが、コタロウやアウンら、擬核の耳がそれを聞き逃すことはなかった。何某かの興味を引いたのか、人族の敵たる旧魅が、さりげなく視線だけを霊人の方へ向けた。


 霊人は箸を置くと、口早に中座の非礼を詫びた。


「ごめんなさい。わたくし、うっかり用事があったことを忘れておりましたわ。すぐに向かわないと。約束の時間に遅れてしまうので、ここで失礼しますわね」

「えっ、それなら急いで片づけないと」

「いえ、どうぞお気になさらず、お食事を続けてください。後で片づけに戻りますので、重箱や茣蓙はこの場に置いておいてもらえれば」

「ええっ、誰かが持ち去っちゃ――」


 獣人が呼び止めるも、霊人は足早に来た道を戻っていった。


「行っちゃった。どうしよう」

「重箱と茣蓙はマホロバの管理棟に預けておけばいい。あそこには遺失物を保管する部屋があります。あの霊人には手紙で伝えておけば問題ないでしょう」

「なるほど、そうですね。置きっ放しにするよりは、預けた方がいいですよね」

「それはそうと……」


 アウンは目を細めた。


「あの霊人、最後まで名乗りませんでしたね」


 コタロウは目を瞬かせた。旨鰯にまぶたはないが、陸上に適応した新種イワシにはまぶたがあるらしい。


 礼儀正しい霊人らしからぬだが、失恋の痛手は初対面時の基本的な挨拶すら忘れてしまうほどに酷かったのだろう。それに、コタロウたちも名乗っていないのだから、他人のことをとやかく言う資格はない。まあ、コタロウは人族と会話できないイワシで、アウンは人族と敵対する旧魅なので、自己紹介も何もないのだが。


 はっとして、獣人が勢いよくお辞儀をした。


「遅れ馳せながら、モモブ・モブノスケと言います」


 これはご丁寧にどうも、とコタロウもお辞儀を返す。が、いかんせんイワシの身では相手に伝わらないので、胸鰭で隣のアウンをせっついた。


「くっくっ、名乗る道理もないのですが、神さまのお達しですし、仕方ありませんね。私はアウンです」


 獣人は恥ずかしげに頭をかいた。


「名前負けしているので、僕、どうも自己紹介が苦手で」

「名前負けとは?」

「僕の真名は『百奉茂武之介』と書くんです」


 小枝で地面に書かれた六字を見て、ははあと思う。字面が厳つい。なんとも厳つい。確かに、この名前に勝つのは大変かもしれない。


「見てください、この角張りよう! この威圧的で力強く立派な感じ! まるで武士のようだと思いませんか?」


 獣人少年モブノスケは溜め息を吐いた。


「自分の名前に打ち勝つため、勉強にも運動にも、絶えず努力を重ねているつもりなんですが、いつも評価は普通で、順位は真ん中で、得手もなく不得手もなく平凡で、可もなく不可もなく並々で。どんなに試験で頑張っても平均点、どんなに試験で怠けても平均点」


 もはやそれは一種の才能ではあるまいか。得意科目では超高空飛行、苦手科目では超低空飛行、な成績の持ち主は、むむと唸った。


「憎い! この特徴のなさが憎い!」


 獣人は大地に両手を突き、心底の叫びを吐き出した。


「個性とは!」


 個性的な少年が個性のなさについて悩む姿を見て、イワシは思う。誰しも、他人のことはよく見えても、自分のことはよく見えないものだ、と。


「それで、僕、せめてマホロバでは名が知れ渡るような存在になろうと決意したんです。だって、マホロバは理想の自分と向かい合う場所なんですから。個人戦の覇者『ドム』、団体戦の王者『武芸百団』、色物戦の勇者『孤高の団』、彼らと肩を並べる有名人に、僕はなります、なってみせます!」

「くっくっ、それはそれは」

「僕はなるぞおぉぉ!」

「応援しましょう」


 とても面白い情報が聞けたとばかりに、破茶碗の割れ目が歪んだ。コタロウは冷汗の粒を額に浮かべ、ただでさえ青いイワシの顔色を、さらに青く染め上げた。裏界のラスボスたる最凶旧魅に、表界のラスボスにすら辿り着けていない現段階で目をつけられた冒険者ら三強には、マホロバの開発者としてお詫びの粗品を進呈すべきかもしれない。とりあえず「お詫びの粗品進呈名簿」を準備しておこう。


 第一線冒険者たちを目標に掲げるモブノスケだが、よくよく考えてみると、名立たる彼らに先んじて最凶旧魅と名乗り合ったのだから、誰よりも攻略の最前線に立っていると言えなくもない。遺憾ながら、イワシにはそれを伝えるすべがないし、ぶっちゃけ、それを伝える気もなかった。


 運営上、とても都合が悪いので。


 裏ボスがすでに解放されて表界を自由に徘徊しているなど、プレイヤーに知られるわけにはいかないのだ。まことに遺憾ながら、ともごもご唱えつつ、イワシは保身を図った。


 お弁当を食べ終え、四葉探しを再開する。アウンに探させれば、ものの二分で水晶四葉を探し当てた。さすがは裏ボス、インスタント麺を茹で上げる暇すら与えない。ついでに、「金色こんじきの水晶四葉」という超稀少品まで探し当ててしまった。


 金色系品目は特殊攻略の鍵となる品物である。決断、即、断行。イワシは心をサメにして金色の水晶四葉に食らいつき、もぐもぐと証拠隠滅を果たした。なぜならば、現在のマホロバ攻略進度では出現するはずがない品物なので。アウンがいることで、本来は現れないはずのものが現れてしまったのだ。これが世に出回ると、己の悪行がばれてしまう。アウン以外に採取できる者が現れる日まで、金色系品目は出荷差し止めだ。


 では、撤収に取りかかろう。またぞろ、何某かしでかしてしまう前に。


 と、思ったコタロウだったが、そうは問屋が卸さなかった。アウンが右手でイワシを、左手で襟巻竜をつかみ上げ、湿原の縁に立つ大鳥居の前へ赴いたためだ。往生際と言わんばかりに、じたばたと抗う襟巻竜の様を見て、イワシの背骨に悪寒が走り、尾から頭へ震えが駆け上がる。


 時すでに遅し。イワシは自らを省みるのが遅かった。


 覗き込んだところで向こう側の景色が見えるだけの、異様の一つも見受けられない普通の鳥居だ。何の変哲もないその鳥居が、だが今や、コタロウの目には地獄の門として映っていた。


「では、に取りかかりましょう」


 此岸と彼岸の境。大鳥居が分かつ境界を、アウンの足が越える。


 一歩。


 踏み出した踵が、水面に細波を立てた瞬間、世界が姿を変じた。





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