第18話 イワシの後悔漬け、下拵え

 霧の中から現れたのは、獣人族犬属の冒険者だった。面貌が人より犬に近い。主人公像選定時に容姿の理想として、よほど強く犬の姿を思い描いたらしい。


「人がいたあぁぁ!」


 小犬が駆け寄ってくるかのように、その冒険者はコタロウたちの元へ走り寄った。


「ぐすぐす、よかったあぁぁ!」


 すすり泣く女冒険者のお次は、わんわん泣く男冒険者らしい。安心したのか、コタロウたち四人の傍まで来ると、その場にへたり込んだ。


「いったい、どうしたんですの?」


 霊人が尋ねれば、獣人は大粒の涙を零しながら答えた。


「道に迷いましたあぁぁ!」


 イワシもそうだろうと思った。おそらくNPCの二人にも、そう予想されていたに違いない。見るからに迷子だ。年頃はコタロウと同年代のようなのだが。


「大百科事典に地図が載っていたように思うのですけれど」

「迷子は地図を見てもわからないから迷子なんです」

「まあ、そうなんですの」

「まあ、そうなんです」


 話を聞くところによると、ナカツ都の冒険協会で依頼を受け、珊瑚晶域で稀に見つかる水晶四葉きらきらよつばを探していたらしい。依頼書を見せてもらった。



[採取依頼]水晶四葉で求婚大作戦!

[採取対象]水晶四葉 一つ

[採取報酬]依頼主からの招待状

 俺は万屋「馬の骨」ってもんだ。身に着けると幸運が舞い込むって噂の水晶四葉を、ちょっくら探し出してくれ。未来の嫁さんがこいつを欲しがってるんだ。珍しいもんのようだが、珊瑚晶域のどこかに自生してるらしいぞ。俺の求婚が成功するかどうかは、お前さんの手腕にかかってるからな。よろしく頼むぜ。

 ――マホロバ冒険協会ナカツ本部――



 求婚の文字を見た途端、これで幾度目になるだろうか、霊人がハンカチを噛み締めた。ぎりぎり、ぎりぎり。徐々に鬼気が迫ってきているような、そんな予感を覚えるイワシだったが、勘違いだと思い込もうと魚頭を振った。


「ふふ、求婚ですって……求婚……」

「そうなんです。幸せのお手伝いっていいですよね。達成すれば、結婚式に招いてもらえるようですし。だから僕、この依頼を受けたんですけど、全然見つからなくて」


 適当に歩いていれば水晶四葉を見つけられるだろう。依頼を受けた獣人の少年はそう考え、珊瑚晶域の山中をぶらぶらと歩き回ったらしい。そして、迷った。


 なるほど、この依頼を選んだ理由は共感できなくもない。それでも、コタロウは思わずにはいられなかった。どうして数ある依頼の中から、よりによってこれを選んでしまったのか、と。珊瑚晶域にはたくさんの水晶三葉きらきらみつばが自生している。ほとんど全てが三葉の中から四葉を探し出すのだ。運がよくなければ――開発者側の観点で言えば、冒険者の裏能力値である幸運度が高くなければ――そう簡単には発見できない。


 金魚鉢の中、イワシは胸鰭を組んだ。一期一会の縁とも言うし、ここは一肌脱いでやろう。アウンの幸運度は高いので、というか、最凶旧魅の能力値に低いものなどないので、特に問題ないだろう。


 イワシが胸鰭で獣人を指せば、人間は肩を竦めるも神の求めに応じた。


「少年、その依頼に手を貸しましょう。私に付いて来るよう」

「わたくしもご一緒しますわ」

「わああ! わああ! ありがとうございます!」


 神一柱、魅二匹、冒険者二人。珍妙な混成部隊は連れ立って、霧に包まれた山林の奥へと続く、参道と思しき古道に足を踏み出した。


 苔むした石畳の参道は、緩やかな上り坂だ。先へ行くにつれて、霧が段々と濃くなっていく。時折、霧の向こうに人魂のような光の揺らめきを見たが、正体はわからなかった。春告鳥の招きに誘われるようにして歩を進める。と、ふっと霧の中から鳥居が現れて、一行は歩を緩めた。


 鳥居を見上げた襟巻竜が、いつかのように、襟巻をがばっと広げた。かと思えば、がくがくと全身を戦慄かせる。釣られて、イワシの鱗も波立つ。一方、アウンは至って平然としたものだ。挙動不審な魅卵の様子に気づいていないとは思えないのだが、気にする素振りも全くない。少しは気にしてあげてほしいくらいだった。不安を覚えないでもないが、最凶旧魅に敵う魅はいないので大丈夫だろう、とコタロウは思った。


 そう、思ってしまった。


 後悔とは「後で悔いる」と書く。たっぷりと身に沁みたイワシのが、それほど待たずに出来上がってしまうことを、この時のコタロウはまだ知らずにいた。


 少し進むたびに、前触れなく鳥居は現れ、五人に行く手を示した。途中から、人の背丈よりも大きな回り灯籠が、参道の両端に立ち並び始めた。深い霧の中、ぼうっと明かりが灯された火袋に、マホロバの姿が次々と映し出されていく。右側に目を向ければ、各地の風景、日々の営み、魅との戦い。左側に目を向ければ、未踏破の奥地、未登場の祝武具、未攻略の旧魅――。


 思わず足を止めてしまうほどのの数々。


「ぎょっ!」


 イワシの口が〇字を描く。回り灯籠を指さしながら、冒険者二人は声を弾ませた。出荷間近な冷凍イワシが、隣で仕上がりつつある事実に気づくことなく。


「マホロバにはこのような眺めの場所もありますのね。わたくし、衣装作りに没頭して、あまり町の外を出歩かなかったので、見たことのない景観ばかりですわ」

「僕はリアルゲームになる前の電子ゲーム時代から遊び始めたので、それなりに日が経つんですけど、それでも知らない景色ばっかりです。まだまだマホロバを冒険できていなかったんですね。もっと頑張らないと」


 くるくるとネタをばらし続ける回り灯籠に、コタロウは運営部に連絡すべきかどうかイワシ頭を悩ませた。これは仕様なのか不具合なのか、と諦めたのか。


 にたり、と破茶碗の割れ目を歪ませて、アウンが呟く。「回り灯籠は走馬灯とも呼びますね」と。なぜだろう、どこもおかしくないその台詞が、酷く不吉に聞こえてくるのは。


 よし、気づかなかったことにしよう。開発者は問題の先送りを決めた。


「破茶碗さんは冒険をやりこなしていそうですね。だって、凄いです。僕、この辺りは散々歩き回ったと思っていたんですが、鳥居がいくつも続く道なんて見つけられませんでした」

を連れていれば、時と共に失われたはずの参道が蘇ることもある。そういうことです」


 襟巻竜が頻りに首を横に振って、アウンに何某かを訴えているのだが。強者が弱者を歯牙にもかけないのは、世の常だ。


 鳥居と回り灯籠の並ぶ道を進んで、しばし。濃霧が引き、視界が開け、一面に水を湛えた広原が現れた。丸く浅く平たい湿原は、一つの大きな水溜まりにも見える。まるで酒が注がれた大きな盃だ。仄かに甘い香気が鼻をくすぐる。水の深さは人間の足首ほどだろうか。朱金色の水晶花に埋め尽くされた水面は、さながら夕日を照り返しているかのようだった。群生する水晶三葉が、湿原の縁を飾っている。水気の多い土地柄ながら、不思議と陰鬱な気配は感じられない。


 遠のいた濃霧が、大蛇のように流れをくねらせながら、湿原の周囲を絶えず巡り続けている。台風の眼の如く、外は風が荒々しいが、内は風もなく静かで穏やかだ。空でとぐろを巻く雲は、彼方から射す陽光の加護か、虹色の彩雲と化している。神の二面性を感じさせる、神秘的な空気に満ち溢れた場所だった。


「先ほどの小社は下社で、ここが上社になります」


 湿原の縁に立つ一際大きな鳥居を見て、コタロウは小首を傾げた。忘れてはいけなかったとんでもない何かが、着々と進んでしまっているような……。





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