第16話 小悪党は三人組が伝統

 足を踏み出すたび、苔の絨毯から水が染み出し、青く匂い立つ。ここは珊瑚晶さんごしょう域にある山林の中だ。


 雪解けの春。切り立った崖から伝い落ちる清水が、大地を浸して浅瀬を作り、水煙を立ち昇らせている。林道の水溜まりに浮かんで漂うのは、蓮にも似た円い葉を持つ水晶花きらきらばなだ。暖色の淡い光を発して、角灯のように道を照らしてくれている。


 天を覆う巨木から、木洩れ日が降り注ぎ、光の筋を作り出す。若緑の輝きが美しい。それはまるで、翠玉が溶かし込まれた水面を、海底から見上げるかのようだ。鈴音を奏でつつ鱗粉を撒きながら、列を成して飛んで行く鈴蝶すずちょうは、さながら色彩鮮やかな熱帯魚の群か。


 樹林に呑まれた文明の名残なのだろう、蔦の這う石段。そこを悠然とした足取りで下り、下流へ向かって歩いていく男がいた。


 受ける違和感の元は、腕に抱える金魚鉢。


 美しくも血で彩られた抜身の妖刀を思わせる見目の持ち主だけに、ほのぼのとした雰囲気を醸し出す金魚鉢の存在は酷く目立った。


 大樹の陰に隠れて彼を見つめる複数の人影があった。


「あたしらにもどうやら運が巡ってきたようだね。あの物騒な連中よりも先に標的を探し当てるなんて、ついてるついてる。さて、連中とかち合っちまう前に、奴の持つお宝をいただくとしようじゃないか」


 三人の冒険者が物陰でこそこそと話し合う。女が一人、男が二人。彼らは即かず離れず、ある人物の跡をつけていた。


 女が一団の頭である。三十路前後だろう。泣き黒子が色っぽく、ワイン色の髪が艶かしい。波立つ長髪は結い上げられ、後れ髪が張りのある首筋をしっとりと流れ落ちている。肩から鎖骨にかけて肌を露出させた装束が、大人の色気を一層引き立てていた。


 蛇の化生を祖とする種族なのだろう。蛇鱗じゃりんが首筋や手足の一部を覆っている。まさしく悪女たる風情。獣人族を象徴する獣耳は持たないが、一応、彼女も獣人族である。耳なしの亜種に当たる獣人族蛇属だ。本人のきつい色香と蛇の悪い印象、それら二つの相乗効果で、六種族の中で最もかわいい種族と言われる獣人族であっても、彼女がかわいいと言われる日は来そうにない。


 冒険者ならばプレイヤー、魅ならばNPC。しかし林道を行く男は、冒険者にも魅にも見えなかった。どちらかと言えば冒険者寄りなのだが、プレイヤーが属するはずの六種族、そのどれにも当て嵌まっているようには思えない。


 ふと、その姿形が「人間」だと直感した時、女は沸き上がる緊張感に息を呑んだ。彼の正体を確信したのだ。


 あの人間が、〇と一の錬金術師か!


 その確信は揺るぎない。ことを事前につかんでいたためだ。存在しない種族や風変わりな格好といった外見は、取引相手へ向けた合図に違いない。常に正体を隠す錬金術師だ、相手が彼の容貌を知らなくても不思議ではない。相手から見て、本人だとわかるようにしたのだろう。


 ――取引の情報が漏れているとも知らず。


 どうやって錬金術師を炙り出すかに頭を悩ませていたのだが、標的の方から姿を見せてくれるとは。その油断が命取りになるのだと、女は蛇のように口角を吊り上げた。


「人間」という特殊な種族である以上、勘のいい者であれば、すぐさまその正体に思い至るだろう。裏稼業の同業者も来ている以上、先手の好機を逃すわけにはいかない。


「野郎ども、名を揚げる時が来たよ! 由緒正しき悪党、『越後団』の名を!」


 その名を天下に轟かすべく、びしっと効果音が聞こえてきそうなほどに勇ましく、女は標的を指さした。


「お前たち、錬金術師をちょいと伸して、って奴をぶんどっておやり!」


 女の言葉に、男二人は顔を青くして慌てた。手の平を何度も横に振る。


「アネゴ、あっしたちのような小悪党に、あんな奴の相手は無理ですってば。もう、無理無理無理!」

「アネゴ、おっちゃんも無謀だと思うわ。見るからにやばそう、なんてもんじゃなくて、やばい奴じゃないの、錬金術師ちゃんてば。相手が悪すぎるでしょ!」


 ひょろりとした痩身の瓶底眼鏡男が口を開けば、ずんぐりとした短身の八重歯男が後に続く。前者はミズチの、後者は槌子ツチノコの、化生を祖先に持つ幻人族だ。二人して少数種族を引き当てたのだから、とても運に恵まれている――かと思いきや、二人揃って能力値が軒並一桁を示していた。残念すぎて言葉にならない。


 一旗揚げようと、裏社会で流れていた旨い話に飛びついて、ここまでやって来てしまったが、己とは格の違う犯罪組織の気配に、男たちは早くも及び腰となっていた。


 挙句、錬金術師本人が一番恐ろしい存在だとは。


 あの殺気は本当に人間のものなのか? あの威圧は? あの嘲笑は?


 冷酷、残忍、凄惨。そんな言葉が男たちの脳裏を掠めた。虚構の世界にあっても隠しきれていない負の気質。それをまのあたりにして慄然とする。あんな人間が表社会では信望を集めているなど、何かの冗談だろう。奴は裏社会の出身に間違いない。おそらく、奴の持つ技術力に目をつけた政府が、司法取引でも行って娑婆に出したのだ。


 実物を見て、裏社会で囁かれている噂が嘘ではなかったと理解した。いわく、錬金術師に捕まるくらいなら警察に捕まれ、少なくとも発狂はせずに済むから、と。


 それに、正体を隠す錬金術師らしからぬ、あの目立つ外見。取引が密約であることに油断したのだ、とアネゴは言うが、とてもそうは思えない。油断した上での軽挙? あの錬金術師に限って? むしろ、あれは強者の余裕――。


 蛇属たる女の両目が、かっと見開かれた。縦長の瞳孔に睨まれ、男二人は幻人からへ転じた。


「メガネもデッパも、何、弱気なことを言ってんだい! 千載一遇の好機だっぺよ! おめぇ、ここで錬金術師の持ってる機密情報をいただいちゃって、大悪党になってさ、故郷へ錦を飾るんだべ! 違うか!」

「アネゴ、方言が出ちゃってますよ、方言が。都言を喋るようにするんじゃなかったんでしたっけ?」

「訛りも味があっていいじゃないの。それと、おっちゃんは出歯じゃなくて八重歯だから、ヤエバって呼んでもらいたいのだけど」

「デッパは都会人に舐められてもいいってのかい! 田舎者には小悪党がお似合いだって言われて、あんた悔しくないのかい!」


 蛇の口が大きく開かれ、毒の牙があらわとなる。威嚇音すら聞こえてきそうだ。呼称についての抗議を放り投げて、デッパは白旗を揚げた。


 瓶底眼鏡を布で拭きつつ、メガネは今にも噛みつかれそうな同志に助け船を出した。泥船だった気もしたが。


「ああ、でも、もう手遅れかなぁ、なんて思うんですよね、あっしは」

「なんだい、奥歯に物が挟まったような言い方をして。はっきりお言いよ」

「見失っちゃった、みたいな?」


 かけ直された瓶底眼鏡が、木洩れ日にきらりと光る。メガネの指さす先を見れば、人影のない林道が続くばかりだ。


「ばかあぁぁ!」


 アネゴの怒号が木々の間を駆け抜けた。





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