第11話 塩はもらうもの

 デスクをとんとんと叩かれ、オヤベはデスクトップから音の方へ顔を向けた。横手に立っていたのは、広報部長のマメジマ・コレチカだった。


 背も低いが、腰も低い。部下に対してすら丁重な態度を崩さない男だ。上司以上に慎ましくなどできないと、彼の部下が泣きついてきたこともある。おまけに名前もだ。冬の温泉に浸かる日木猿ひのきざるのような、ほのぼのとした顔立ちだが、コンプレックスを逆手に取り、短身と名前を広報活動の武器にして戦う、ツクモ社きってのやり手でもある。社長が倒れても会社は揺るがないが、広報部長が倒れたら会社が揺るぐ。そう社員に呟かれて、枕を涙で濡らした日もあった。


 そんなマメジマも、就職氷河期を共に戦い抜いた友であるオヤベには、多少なりと砕けた態度になる。


「ヤベさん、少しお時間いただけるかな?」

「いいとも!」


 二人は連れ立って会議室に向かった。部屋に入ると、マメジマがドアをしっかり閉める。どうやら余人に聞かれたくない話らしい。


 席に着いて早々、広報部長は切り出した。


「社の方に、また脅迫状が届いたと聞いたよ。マホロバのシステムを乗っ取ってやる、とか書かれていたらしいね」

「ああ、そのことか。まあ、いつものことだ。警察にはすでに届けてあるよ」

「いつものことではあるけれど、言い方が軽すぎないかい?」

「もちろん社員にも用心するよう伝えるつもりだが、こうも多いとなぁ、時候の挨拶のようで用心するのも難しい!」


 笑い事ではない。と、笑いをこらえようとして、こらえきれずに、マメジマは咳き込んだ。


「時候の挨拶は、ちょっと、どうかな。確かに、まめな人だと思うけれどね」

「マメくんも言うな。マメくんにまめと言わせるとは、なかなか侮れん犯人だ」


 社会の荒波にもまれてきた二人だ。ツクモ社を立ち上げてから今日まで、平坦な道程などなく、人の悪意にさらされたこともあった。それなりに胆力は据わっている。


 オヤベは腕を組むと、表情を引き締めた。


「まあ、実害が出ていないからこそ笑っていられるんだが。九割九分、あれはツクモ社ではなく大先生への嫌がらせだろう。大先生の功績をやっかんでのな」

「錬金術師先生が居所を明かせなくなるのも、これではもっともな話だよ。こちらとしても秘密にしてもらった方が安心できる。情報はどこで漏れるかわからないからね。慎重の上に慎重を期す、そのくらいで丁度いい」

「脅迫状の件は大先生にも知らせてある。あのめちゃくちゃ怖い三白眼の代理人どのが、万一に備えて警備の人間を増やすと言っていたから、あちらは大丈夫だろう」


 代理人と初めて対面した時のことを思い出して、オヤベは両肩を縮ませ震わせた。「がんをつける」という俗語があるが、まさしくあの時のことを指して言うのだろう。特に何かした覚えはなかったのだが、代理人に眼をつけられ、生きた心地がしなかった。あの柄の悪さで信じがたいことながら、経歴は素晴らしい御仁なのだ。最難関の国立大学に当たる日木ひのき大学を卒業、最難関の国家試験と言われる司法試験に合格、しかも留年や浪人とは無縁だったとか。三流大学出身のオヤベなど、恐ろしくて、もとい、まぶしくて視線を合わせることができない。


「さしあたり、警察の捜査が進展してくれるよう祈るかな」

「今回の件が片づいても、になるだろうがな。叩いてもすぐに湧いて出てくる」

「それを言うなら、モグラ叩きではないのかな?」

「モグラよりもしぶといぞ、ああいったやからは。一匹見たなら、三〇〇匹はいる感じで」

「ゴキブリでも三〇匹だったように思うのだけれども。まあ、錬金術師先生の事業に携わる以上、この手の問題とは長い付き合いになるのだろうね」

「器のでっかい大物が器のちっさい小物に妬まれるのは世の常だからな!」


 脅迫状を送り付けるなら、氏名、住所、電話番号を記すくらいの気概を見せろ。顔の見えぬ犯人に対して、そう言いたくてたまらないツクモ社長である。記されていたら、直接対決も辞さない。そして、大先生の爪の垢を煎じて飲ませるのだ。


 鼻の一吹きでいらいらを払いのけると、オヤベは腕時計を見た。多少は雑談に時間を割いても問題ないだろう。雑談の中にも発見がある、と社長は考える。この時間は決して、サボりではない。


 いい機会だったので、先日、マメジマに参加してもらった催しについて尋ねた。メールで報告を受けてはいるが、話も聞いておきたい。


「そうそう、マメくんに行ってもらったデッカニ国のゲームショー、今年は大変だったらしいな。荒れに荒れたんだって?」


 南方のオオコウラガニ大陸にあるデッカニ国で開催された「デッカニゲームショー」。世界五大ゲームショーの一つで、電子ゲームの国際展示会だ。近日発売となる最新モデルだけでなく、研究開発段階にある実験モデルも展示されるため、各企業が描く未来予想図を知る機会でもある。


 蛇足だが、世界五大ゲームショーの中に「ヒノキゲームショー」は入っていない。今は、である。近い将来、世界大ゲームショーにしてみせる。そう心を燃やすヒノキ人は、オヤベだけではないはずだ。


「うん、大変な騒ぎになってしまったよ。あの情報を先に得ていたから、覚悟はしていたけれど、案の定だったね」

バーチャルリアリティVRか……」


 VRRPG、仮想空間で遊ぶ冒険ゲームの総称である。オンライン環境で多人数が参加するタイプは、特にVRMMORPGと呼ばれる。その試作品がデッカニゲームショーに持ち込まれたのだ。


「ぶつけてきたな」

「そうだろうね。まだハードウェアの開発途中だったにもかかわらず、このタイミングで発表してきたのは、リアル冒険ゲームを対抗馬と想定してのことだろうね」


 VRは二〇世紀末のテロ事件で頓挫した研究の一つであり、近未来で実現するだろう技術として話には上がるものの、ゲーム業界では特に忌避されてきた分野だ。二次元の電子ゲームですら洗脳で他者を殺すことができたのだ、三次元のVRゲームであればどれだけのことができるか。誰もテロ事件の二の舞など演じたくはない。


 だが、その禁忌に踏み込んだゲーム企業が現れた。


「ムシュウバ教のテロ事件、あれが引き起こした電子ゲームへの風評被害は今もって楽観視できん。あの事件の衝撃は、薄れることはあっても、忘れることはない。そう断言できる。だから、再燃が怖い」

「覚えている世代が社会の中枢にいるわけだからね」

「おうとも。がきんちょの頃のことだが、いまだにニュース速報で流れた映像が目に浮かんでくる。燃え盛る教団と火達磨になった信者の姿は忘れられんよ」

「それなりに名の知られた宗教団体が、今でも電子ゲームを洗脳の道具だと強く批判しているしね。それも大きく影響しているのではないかな。彼らの心情もわからなくはないよ。あの事件で痛手を被ったのは、ゲーム業界だけじゃない、宗教団体もだ。洗脳は宗教ではなく電子ゲームをツールにして行われたものだと印象付けておきたいのだろうね」

「だからこそ、大先生は次世代の電子ゲームと目されていたVRゲームには手を出さなかった。まだ早いと判断したわけだ。社会に受け入れるだけの基盤ができていないと。さすがは大先生、先見の明を持っていらっしゃる」

「うん、錬金術師先生の予期していた通りになったよ。ゲームショウはVRゲームに対するブーイングの嵐で中断されて、結局VRゲームの試作品も取り下げられてしまったよ」

「ふん! 連中、ヒノキ企業が何十年ブーイングの嵐にさらされてきたと思ってるんだ。覚悟の上で発表したなら最後まで貫き通せ、と言いたい! 胆力が足りん、胆力が!」


 オヤベは鼻息を荒く吹き鳴らした。


「ゲーム業界の発展を思えば、同じゲーム会社として彼らには難局を切り抜けてほしいところだけれど、ちょっと難しいかな」

「敵に塩を送るのは駄目だぞ、マメくん。砂糖を送って塩をもらうんだ!」

「どういう状況なのかな、それは」


 なんだかんだ言いつつ、オヤベもゲーム業界の一員である。VRRPGがリアル冒険ゲームのライバルになるのだとしても、頑張ってもらいたいと思っている。


 マメジマが少し意地悪そうに口角を上げた。


「VRRPGが主流になったら、マホロバは閑古鳥が鳴いてしまうかもしれないね?」

「馬鹿言うな。ドラマが放送されて、演劇が消滅したか? VRと生は違うぞ!」

「バーチャルがリアルに追いついたとしたら、どうかな?」

「それがどうした。こっちはこっちの強みって奴を連中に叩きつけてやればいい!」

「うん、その通りだね。では早速、ツクモ社長が考えるマホロバの強みについて、広報部長として是非とも拝聴いたしたく」

「えっ、強み? そこ、聞いちゃう!? そ、それはだな、それは……運動不足解消!」


 朝靄の中、ラジオ体操よろしくエクササイズPvPを楽しむ主婦集団。美を追求する彼女たちならば、バーチャルよりもリアルを選んでくれるに違いない。


「確かにそれも強みになるだろうけれど、何か、こう、ちょっと?」

「ちょっとかぁ」

「そうだな、ここは『あえて労力を使い、舞台に出て演じる特別感』とか言ってほしいかな」

「おお、それそれ。それが言いたかった、言いたかったんだよ、実は俺も。よっ、広報部長、さすが、ヒノキ一!」


 メガホンのように両手を口元に寄せて、ツクモ社長は広報部長を褒め立てた。ごまかすためではない、と言い分けておく。





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