第9話 マホロバ講座1 ~運営部は他部を締めてなんぼ

 空の青と海の青を分かつ境界が、朝日に照らされ、乱反射する金剛石の輝きで彩られている。とびが風に乗って窓の外を横切っていった。季節は春、彼らも子育てで忙しいのかもしれない。


 広大な人工浮島に建設された三二階建てビル。北方に大都市を、南方に大海原を望むその最上階では、株式会社ツクモの朝会が始まろうとしていた。壁が取り払われた室内は、社長の席から社員の姿がよく見渡せる。全社員が自席から立ち上がったところで、声の揃った挨拶が交わされた。


 この日は土曜であったが、社員全員が早朝から出勤していた。マホロバの第一回改訂が実施されるためである。昨年夏に電子ゲーム版を先行開始し、年明けにリアルゲーム版を本開始して、マホロバの興行も早一〇ヶ月を数える。このたび、冬の吐息から春の息吹への移り変わりを受けて、これまでなかった四季の実装が決定された。ヒノキ国の季節に合わせ、年四度の定期改訂となる予定だ。今改訂ではマホロバに春気を映し出す。


「諸君、気勢を上げろ! 気合を入れろ! 気力を絞れ! 社運を賭けた熱戦の幕が三時間後に切って落とされる。運営、監視、保守、広報他、各部全力でを支援し、勝利をつかみ取れ!」


 熱血社長オヤベ・ノリトは握り拳を振り上げて大声を張り上げた。乗りは草野球の監督だ。性格の不一致で妻に逃げられたバツイチ男は、いつにも増して元気を漲らせていた。「妻は逃しても仕事は逃さない」は彼の口癖だが、精力的な営業努力によりマホロバ事業への参入を果たしてみせたのだから、伊達ではない。


 〇と一の錬金術師の社会貢献に感銘を受け、オヤベは彼のことを「大先生」と呼んでいる。彼に傾倒して当然だとも思っている。その呼び名は不相応なので、と断られた時など、その謙虚な姿勢に、元より溢れそうだった敬愛の念が氾濫した。そして、以降もその呼び名を気勢と気合と気力で押し切っていた。中年親父はしぶといのだ。


 今日もまた、オヤベは大仰な手振りで燃え上がっていた。


「では、大先生の参戦に先立ち、前哨戦だ。各部各班、状況報告!」

「「「「おう!」」」」


 あたかも鬨を思わせる掛け声が、各所から上がった。社長に似たのか、社員も毛色が変わっていた。


「まずは、運営部!」

「緊急対応を必要とする苦情等は現在入っていません」


 運営部は別名「何でも屋」と呼ばれる。企画を考えたり、予定を立てたり、他部を締めたり、収益を確かめたりと、とにかく多方面で忙しい。プレイヤーの苦情応対を始め、市民、企業、政府等の問い合わせにも、働き蜂が如く毎日毎日せっせせっせと汗水垂らしながら対処している。「仕様です」と「形式美です」の二つは、彼らの伝家の宝刀である。今は比較的落ち着いているが、改訂後から多忙を極めるに違いなかった。


 彼らに労災という名の友人がいることを知らぬ社員はいない。


「次、監視部!」

「マホロバ監視機構、情報収集機構、情報保護機構、どれも正常に作動中です。新規プレイヤーの感波かんぱは全て計測が終了しています。緊急時提出用集積情報も最新版に更新済みです」


 マホロバで用いられている情報伝達体を「感波」と呼ぶ。これは従来の電子ゲームで言うところの「電波」に相当する。精神活動や感覚刺激によって変化するため、神経細胞の電位変動を表す脳波と混同されることがあるが、似て非なるものだ。


 感波の受容体と作動体は、人類が進化の過程でほぼ退化させている。ゆえに、補助機器なしに人間が感波を扱うことはできない。現在、感波を情報伝達に使用している生物種としては、植物と単細胞生物がごく一部ながら確認されている。


 ただし、人類の中にも数千万人に一人の確率で、感波器官を退化させずに保持している人間が存在する。過去に超能力者と呼ばれた彼らだ。遠感と言えば、かつては超能力に分類された精神感応能力を指したが、近年に入り、感波を使用した情報伝達能力であったことが実証された。感波の応用から生まれたリアル冒険ゲームは、錬金術師による超能力研究の産物だったのではないか、と噂する者もいる。


 電子ゲームに背後霊の如く憑きまとう都市伝説の一つに、「デスゲーム」と呼ばれるものがある。人間の精神が電脳空間に閉じ込められ、ゲームをクリアするまで脱出できない、といった怪談染みた噂話だ。電脳空間への接続装具を強引に肉体から外すと感電死してしまう。大衆を恐慌と混乱の泥沼に叩き落とす悪夢。


 しかし人間社会の現実は、時に悪夢すらも超えてくる。陰惨で非道で、そこには救いもない。


 それは世紀末を象徴するような事件だった。


 二〇世紀の末期に起きた、電子ゲームを利用した国際洗脳犯罪。世界を巻き込み、数多の被害者を生み出した、かつてないテロ事件。


 そして、数十年の長きに及ぶ、ヒノキ経済の低迷を決定づけたもの。


 事件解決後、ゲーム業界は信用回復に努めたが、業績悪化はとどまるところを知らず、手の打ちようがない状況にまで追い込まれた。誰もが閉ざされた前途を切り開こうと苦慮していた。しかし、窮余の一策すら思いつかない、そんな日々が続いた。


 そんな難局の中、打開の一手を指したのが、〇と一の錬金術師である。


 暗雲低迷するゲーム業界にとって、リアル冒険ゲーム「マホロバ」という一大開発事業は、快晴を呼び込む台風一過に等しいものだった。新しい通信法に苦心しながらも、晴れの日のため、業界全体が一丸となって取り組んだ。


 マホロバの犯罪対策に対しても、多くの企業が参加して協議を重ねた。


 犯罪を窺わせる問題が発生した場合、国家機関との連携を円滑に行わなければならない。当然ながら、これには国家機関との事前調整が必須だった。長丁場のお役所仕事を覚悟したのだが、しかし企業側の予想はいい意味で裏切られた。政府が防諜政策の一つとして、この新式通信法を採用しようと考えている。そんな噂がまことしやかに流れるくらいには、融通の利かない国家機関が珍しく協力的だったのだ。


 監視部が負う責務は重い。非常に重いのだが、暇な部署でもあった。監視部と刑事にとって、暇は平和の証なのだ。運営部から剣山のような視線を感じても、気にしてはいけない。


「次、保守部冒険協会班!」

「異常ありません。冒協会長が闇討ちにされたくらいで」

「ごほんごほん、諸君、あれは気にするな!」


 保守部は花形である。なぜならば、仕事にかこつけてマホロバで遊べるからだ。「保守隊」という役柄のノンプレイヤーキャラクターNPCを装いつつ、マホロバの不具合を確認する。それが彼らの仕事である。プレイヤーから「お巡りさん」の愛称で親しまれ、運営部から「お怨みさん」の別称で妬まれる、人気者であった。


 マホロバ冒険協会は、プレイヤー全員が加入する支援組織である。プレイヤーの冒険を手助けしてくれるのだ。


 具体的には、遺跡探索や観光添乗を始め、様々な依頼の斡旋を行っている。冒険者としての「ランク」を管理しており、ランクごとに依頼の難易度も変化する。特殊な依頼を除き、冒険者の実力に合わせて、難易度の上限を定めているのだ。押し並べて、冒険者のランクは「ランク一・たまご」から始まる。年四度の昇級試験と年二度の天下無双大会は、冒協の二大行事だ。


 時折ふらりと姿を見せる冒協会長と冒協幹部が、NPCのふりをしたツクモ社長とツクモ社員である事実は、最高度の社外秘となっている。これには保守部を羨んだ社長の暗躍があったらしい。


 先日、冒協会長の闇討ち事件が起き、すわ犯人捕縛の依頼が出るかとプレイヤーの間で話題を攫ったのだが、ついぞ捕縛依頼は出なかった。会長も幹部も黙して語らず、事件は迷宮入りしたのである。運営部の顔色を窺う彼らの様子から、犯人は一目瞭然だった。


 冒険協会には郵便箱や伝言板が置かれている。マホロバにおけるプレイヤー間の連絡媒体が手紙であるためだ。電話の呼び出し音に辟易する運営部の姿から、仕様がそう変更されたのだとか。因みに、現界の携帯電話はこの異界でも問題なく使えるのだが、プレイヤー側の良心により禁じ手の扱いとなっている。


「次、保守部人種班!」

「異常ありません。自分の姿に惚れ惚れするくらいで」

「誰か、こいつに鏡を渡して目を覚まさせろ!」


 人種と初期能力値は、マホロバにおける最大の博打と言われている。現実と同じく、プレイヤーに選択権はない。とは言っても、容姿は現実の容姿を基にプレイヤーの理想を足したもので、性別は原則として現実の性別である。気に食わなければやり直すこともできるが、その場合、初期能力値が再挑戦するたびに世知辛く差っ引かれていく。その情け容赦のなさたるや、給料に対する税金の如し。


 人種には、「獣人じゅうじん」「鳥人ちょうじん」「魚人ぎょじん」「緑人りょくじん」「霊人れいじん」「幻人げんじん」の六種族がある。選択種族に「人間」が含まれていない冒険ゲームは珍しいかもしれない。


 各種族像のデザインは、天衣無縫の異名を取る世界的意匠師ハトリベが手掛けており、動物的野性的な荒く力強い造形美と、人間的知性的な雅やかで整った造形美を、絶妙なまでに調和させた傑作として、高い評価を得ている。


 人物だけでなく装束のデザインもまた、筆舌に尽くしがたい秀逸さを持つ。非対称を主題にしたそれは、和とも洋とも言えぬマホロバ独特のものだ。ハトリベはマホロバ銘柄の服飾を実際に作るとも公言しており、現界でも注目を集め、話題となっている。


 思わず自分の容姿に見惚れると、プレイヤーが騒ぐほどに素晴らしいデザインである。


 獣人は獣の耳や尻尾などを持つ種族で、稀に、肉球の手足袋がおまけで付いてくる。各能力値が平均値を取る傾向にあり、戦闘面でも生産面でも向き不向きがほとんどない。万能型で初心者向きなのだが、当たるかどうかは運次第だ。


 鳥人は鳥の翼や尾羽などを持つ種族で、偶に、嘴のお面がおまけで付いてくる。呪術に関わる「呪力」の値が高い。翼を持つ分、天空領域での活動範囲はどの人種よりも広く設定されている。また、飛行することも可能だ。挙動はそれなりに難しくなるものの、鳥のような視点でマホロバを楽しむことができるだろう。事前の意見調査では一番人気であった。


 魚人は魚の鱗や鰭などを持つ種族で、時々、脱皮して鱗が手に入ったりする。攻撃力や防御力に関わる「膂力」の値が高い。鰓呼吸ができるため、海や湖といった水中領域の探索では、他種族の追随を許さないだろう。初期能力値の弱体化を物ともせずに、人種選択の博打を繰り返す熱烈な愛好家が、思いのほか現れている。


 緑人は植物の葉や蔓などを持つ種族で、時折、頭に花が咲いたりする。植物採取で稀少な品を入手しやすく、調薬や木工等が得意だ。生命力を数値化したものに当たる「命数」の値が高い。、敵個体から向けられる敵愾心が、他種族に比べて低く設定されているため、六種族の中で最も死ににくい人種と言える。観光目的のプレイヤーに適しているのだが、やはりこちらも運次第だ。


 霊人は半透明の姿をした種族で、時偶、鬼火がおまけで付いてくる。技術力や器用度を示す「技巧」の値が高い。鍛冶や錬金等に秀でており、在銘の逸品を生み出す未来も夢ではない。他種族に比べて二割増の美形なのだが、半透明であるがゆえにあだ名は「残念美人」だ。


 幻人は空想生物の姿を映した少数種族で、個体差が激しく容姿も千差万別なのだが、必ず皮膚に織物の模様のような肌紋を持つ。各能力値はまさに博打としか言いようがなく、最小の一も最大の五〇も叩き出しやすい。幸運ならば最強の、不運ならば最弱の、悪運ならば奇抜な、博打人生が楽しめる、かもしれない。


「次、保守部能力値班!」

「異常ありません。運営部の幸運度が軒並低いくらいで」

「ああ、うん、そう。諸君、聞かなかったことにしろ!」


 プレイヤーの能力値は「レベル」に付随する。レベルとは経験値を簡易的に示した値のことだ。プレイヤーは一律、初期値「レベル一・おぎゃあ」から始まる。経験を積み、レベルを上げ、各種能力を伸ばしていくのである。


 基幹となる能力値には、「命数」「膂力」「呪力」「射程」「耐久」「俊敏」「技巧」「連係」の八項目がある。さらに裏能力値として、「幸運」「信頼」「因業」「オタク」等が隠されている。おかしな項目が一つ、紛れ込んでいる気がしないでもない。


 レベルが上がれば各能力値も上がるが、どの項目がどれだけ成長するかは、プレイヤーの経験内容から自動的に判定される。剣を四六時中振り回せば膂力が上昇する、といった具合だ。デスクの上に栄養飲料が常時配備されている運営部ならば、さぞかし命数が強化されているに違いない。


「次、保守部称号班!」

「異常ありません。運営部の職業欄に『藁人形師』を見つけたくらいで」

「見なかったことにしろ!」


 称号や職業もまた、能力値と同じくプレイヤーの経験内容から自動的に判定される。「生き様判定」と呼ばれる機能なのだが、これによってNPCの対応が大きく変化するので、早めに無職から脱却した方がよい。世の中、世知辛いのだ。栄職であるはずのマホロバ冒険協会会長は、なぜか無職と大差ない対応をNPCに取られているが。


 職業欄の初期設定は「冒険者」となっているのだが、この意味合いは「ニート」である。職業を尋ねられて冒険者と答えた時、相手の反応は異界も現界と同じく塩っぱいものとなる。





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