第7話 誘拐犯 → へんた――

 タロ・コタロウになって、早一〇年。立派なオタク、もとい、立派な超一流のとんでもないオタクに成長した少年は、この日もまた「七つ道具」の開発に勤しんでいた。物陰から監視する二対の目には、まったく、まるっきり、ちっとも、気づいていなかった。


 学校からの帰り道、コタロウは早速、右耳に取りつけた装具を起動させた。右目上に丸い眼鏡レンズのような虚画面こがめんが像を結ぶ。この虚画面だが、実体があるわけではない。脳の視覚情報処理を担う視覚野に対して、装具から直に仮想情報を送り、装具装着者の視界に擬似物体を映し出すものだ。あたかもそこに実在するかのように。少年には見えているが、他者には見えない、妖怪のような画面。


 虚画面上に標的の捕捉状況が表示される。試作品第五九六号、名づけて「虚型力量偵察装具ひとつめ」。と、先日かっこつけて兄に紹介したら、センスがないと駄目出しをされた。一つ目小僧から名前をもらったのが駄目だったのだろうか。目玉の親父はどうだろう?


「名称については、とりあえず横に置いておくとしてだ。こいつは力量偵察装具っつうよりも健康診断装具、もとい、超絶高性能健康診断装具って気がするんだが?」


 未知のウチュモンに対して、力量が測定できる装具。のつもりだったのだが、兄に言わせると超絶高性能健康診断装具らしい。対象の身体能力をあらゆる角度から実測するのだが、その項目は、身長、体重、体格、筋肉量、脂肪量、骨格、骨密度……呼吸量、心拍、血流循環、代謝量、免疫反応……脳力、神経活動、生体電気……などなど。確かにどこかで見たことがあるようなないような。


 生体反応の捕捉感度を調節しつつ、虚画面に映る数値を確認していく。対象を凝視するその眼光は、炯々として鋭い。会社員、主婦、小学生、犬、猫……。野生の動物も計測しようと、右方へうろうろ、左方へちょろちょろ……。


「――鳥が、二・〇〇か」


 石塀の上に留まった雀の数値を計測して、コタロウはいささか肩を落とした。試算上の数値と異なる結果に、眉尻も少し下がる。


 少年はとぼとぼと帰り道を歩き始めた。


 しかしながら早くもその頭脳の内部では、文章の如き数式がいくつもの魔法陣と化してめまぐるしく展開されていた。脳内の忙しなさのあまり、いつでも表情は置いてけぼりだ。彼の顔色が変化に乏しいのは、しょっちゅう考え事に集中しすぎるためであった。沈思黙考と言えば聞こえはいいが、電柱に激突するほど一点集中してしまうのだ。


 演算の答えが出ようとした矢先、不気味な物音がコタロウの背中を押した。


 びっくり仰天した拍子に、身体も計算も勢いよく蹴躓き、すってんころりと鮮やかに転んだ。何も物理的に押されたわけではないのだが、あたかも無色透明な手で突き飛ばされたかのような、いっそ見事と拍手を送りたくなる転び方だった。運動神経と反射神経が揃って居眠る人間、と兄に評価されるだけのことはある。


 少年の体は伏したままぴくりとも動かなかった。別に打撲傷が酷いわけではない。衝撃で倒壊してしまった数式を組み立て直そうと、身じろぎもせずに考え込んでいたのだ。地面に倒れ込んだままで。


 そんな路上で俯す少年に、小さな声がかかった。少々どもり気味なのは、少女の引っ込み思案な性分ゆえである。盛大な転び方に震え上がったわけではない、はず。


「コ、コタくん、だ、大丈夫?」


 少女はもじもじしつつも、コタロウの両脇をひょいと持ち上げて起こした。制服のそこかしこに付いた砂を、ぱぱっと手早くはたく様子はどうしてか、甲斐甲斐しい子煩悩な母親というより、熟達した人形浄瑠璃の黒衣くろごを思わせる。


 少年は少女にぺこりとお辞儀をした。両手両膝はもちろんのこと、額や鼻も赤く擦り剥けている。それでも表情にたいして変化はない。常に泳ぎ続けるマグロの如く、今も脳内で演算を続けているためだ。


「ポポちゃん、ありがとう」

「う、うん、どういたしまして。手当てするね」


 少女は、右のポケットからハンカチを、左のポケットから消毒薬を、ささっと素早く取り出して、コタロウを手当てした。


 彼女は常日頃から、薬局も真っ青になるほどの、古今東西のありとあらゆる薬品を携帯している。コタロウが会うたびに怪我をしているものだから、いつでも応急手当てができるように備えてくれているのだ。医薬品の中に毒物が、治療器具の中に暗器が、交ざっているような気がしないでもないこともたびたびあったが。


 少女の名はコチ・タンポポという。コタロウと同い年だが、背は頭一つ分ほど高く、並んで歩くと姉弟のように見える。襟首で短く切り揃えられた黒髪は、その毛先をあちこちに飛び跳ねさせながら、かわいらしい卵顔の三方を飾っている。目元を隠すように伸ばされた前髪が、一点、玉に瑕か。


 おどおどした言動が多く、一見いじめられっ子といった雰囲気なのだが、少年の危難には憤怒顔の不動明王と化すことを、町のいじめっ子たちは涙を勉強代にして叩き込まれていた。少女は少年の隣家に住む幼馴染であり、武道大家の跡取り娘でもあったのだ。


 東風こち流古武道。ヒムカシ町を発祥とし、戦国時代の忍術の流れを汲む古武道である。


 タンポポの生家は東風流古武道の宗家だった。抱える分家も数多い。宗主の父親は、家の道場で師範として門弟に教授する傍ら、警察学校で格闘術の講師もしている。堅物の師範に容赦なく指導された結果、卒業後もその名を聞いただけで反射的に戦慄わななく警察官は少なくない。


 そんな父親から、彼女はすでに奥伝まで受けるほどの腕前だった。


 彼女が鮮やかな武技で父親を打ち倒したのは、小学校卒業の晴れの日のことである。卒業祝いにコタロウと行楽地へ出かける約束をした日でもあった。その日の彼女は全身から立ち昇る鬼気が目に見えるかのようであったという。とにもかくにも、彼女は次代宗主として早くも認められた武者つわものだった。


 何気なく視線を移したコタロウは、タンポポの後方で倒れ伏す人間たちに小首を傾げた。彼らをこてんぱんに伸した張本人は、目を据わらせて少年に告げた。


「あれ、変態」

「変態?」

「そう、変態。背後から抱きつこうとしてた」

「変態!」


 タンポポの言葉を聞き、コタロウの目が丸くなる。


「――度しがたいにもほどがある」


 少女の口から、いやに低く物騒な呟きが零れる。女の子なのだから、なおさら変質者に対する怒りが強いのも当然だろう。と思いつつ、ほんのちょっぴり、まとう気配が怖かった。


 変質者だと解釈した少年は、慌てて少女を背後に隠した。身体能力が平均以下でも、男としての矜恃はある。とはいえ、悪人どもは彼女に殴り飛ばされて失神した状態なのだが。


 折よく、巡回中の警察官がやって来た。恐怖がぶり返してきたのか、震えるタンポポの手を取って、コタロウは警察官に駆け寄った。変質者の二人を指さし、経緯を説明する。白目をむいて倒れる男女の姿に顔を引き攣らせながら、警察官は通信機で警察署に連絡を取った。応援を要請するらしい。


「さ、さすが、さすがはコチ師範も認めるコタロウくんだ。幼馴染をしっかり守りつつ、悪人どもをがっつりひねり潰すとは。急所を狙う一撃必殺っぷりは、コチ師範譲りかな。あまりの容赦のなさに、お巡りさんはちびりそうだよ」


 腰の引けた警察官に、コタロウは再び小首を傾げた。少年に変質者たちをひねり潰した覚えはない。彼らをひねり潰したのはタンポポなのだから当たり前だ。だが、彼女は警察官の勘違いに対して何も言わなかった。


 もしかすると秘密にしておきたいのかもしれない。コタロウはタンポポの様子をそっと探った。彼女は顔を赤らめては、頬に手を当てて、恥ずかしそうにしている。なるほど、内緒がよさそうだ。少年が心から尊敬する猛者としての一面も、女の子にとっては隠しておきたいものなのだろう。


 警察官がいまだ気絶している変質者たちにこれ幸いと手錠をかけていく。その様子を興味津々の態で観察する少年の視界に、小さな白い光が映り込んだ。雪だ。晴天にもかかわらず、どこからともなく舞い降りてくる。日照り雨を狐の嫁入りと言うならば、日照り雪は狸の婿入りとでも言うのだろうか。


 ふと、何とも表現しづらい不思議な予感が、コタロウを捕らえた。わくわくとした何かが起こりそうな気配に、少年は口元を緩ませた。






 著名な学者が言うところには、人間を人間として足らしめるものとは想像力であるらしい。他の動物が持ち得ない高い想像力、それこそが神から人への贈り物である、と。


 世人の想像する「〇と一の錬金術師」の肖像画が、誤解という題材の木版に着色して、錯覚という種類の半紙に印刷した、ある種の傑作であった事実を、変質者たちは露知らない。いやいや、変質者たち、もとい、誘拐未遂犯たちは。


 捧腹絶倒の喜劇と称すべきか、怒髪衝天の悲劇と称すべきか。疫病神あたりが観客席で今後の展開に胸を高鳴らせているに違いない。


 いずれにしても、まだ舞台の幕は開いたばかりである。


 ――そう、誰にとっても。





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