第5話 髪に悩むのは善人だけにあらず

 森林公園の駐車場に、一台の外車が駐車している。頑丈さでは折紙付きの自動車メーカーのものだ。


 車内には、スーツ姿の男が三人いた。運転席に一人、後部座席に二人。後部座席の二人は上司と部下の関係にある。運転席の男は部下の部下だ。


 運転席に座る男は、ルームミラー越しに後部座席の二人を窺った。上司は黙然と腕を組んで座し、部下は慌ただしく通信機を操作している。比較的ゆったりとした作りの車内だったが、重い雰囲気が圧迫感を生み出していた。


 思わしい結果が得られないのか、部下は眉をひそめ、上司に報告した。


「ネツァク導師、通信が完全に途絶しました。子供の捕獲に失敗したものと思われます」


 導師と呼ばれた男は、一時厳しい表情を見せた後、空気が抜けていく風船のように息を吐き出しながら、だらけた姿勢で座席にもたれ込んだ。


 運転席の男は沈黙を守りながら、上司の姿に思う。はばかりながら、嘘偽りなく述べるなら。気取って剃らずにいる顎鬚が、無精鬚にしか見えないだらしなさだった。四肢は垂れ、両肩は垂れ、目尻まで垂れている。そうでなくとも垂れ目であるのに、これではいつぞや一世を風靡した脱力系マスコットだ。敬称に相応しい威厳は、全く見て取ることができない。あんまりにあんまりな姿だったが、隣席の部下は顔色一つ変えなかった。まさしく部下の鑑である。


 上司を反面教師にしているのか、部下はかっちりとした着こなしをしており、髪の一筋さえ無駄に垂らしていない。折目正しい所作は清々しいほどだ。眼鏡の奥に隙のない鋭利な光を宿す男だった。


 因みに、運転席の男は丸坊主の強面である。一〇人中九人がやくざ者と、残る一人が破戒僧か軍人と答えるだろう。彼自身も自覚している。若禿に悩んだ末の剃髪であったのだが、誰にもそう受け取ってもらえない悲哀を背負っている。


 三人の指にはそれぞれ、同じ刻印の指輪が嵌められていた。刻まれた印は、彼らが所属する秘密結社の紋章、双頭の火鳥――火叉かしゃ


「親が親なら子も子ってか。冗談じゃないぜ、まったく」


 上司が天井を仰ぎながら、愚痴交じりの溜め息を零した。指揮を執る地位にあるだけに、思わぬところで生じた失着が悩ましいのだろう。それも「〇と一の錬金術師」と対峙すらしていない前段階で躓いていては。


「マホロバの開幕と同じ時期に、コウカ国のスパイがヒノキ国での工作でしくじったっつう、嘘っぽい情報があったが……ガセじゃねぇな、こりゃ」

「コウカ国の工作を失敗に追い込んだ相手が錬金術師だった、とお考えですか? ヒノキ国の防諜機関ではなく」

「かの大国コウカのスパイが、たかがヒノキ国の犬ども相手に後れを取るか? ねぇな。あるとすれば、訳がわからん錬金術師、奴だけだろうよ」

「では、コウカ国の標的も我々と同様に、錬金術師である、と」

「だな。おそらく、錬金術師は影武者を囮にして、コウカ国を釣り出したんだろうよ。錬金術師と目されている男が影武者だっちゅうことに気づいてるのは、まだまだ火叉うちくらいのもんだろ」


 錬金術師と思われていた男が偽者であったと知れた時、結社の誰もが愕然として言葉もなかった。世界に緻密で巨大な巣を張り巡らせる蜘蛛、それが火叉の実態だ。そんな情報網を持つ火叉ですら、偶然が味方してくれなければ、影武者を本人と思い込んで今も騙され続けていたであろう。影武者を見破ることができたのは、決して結社の諜報の力ではない。


 世界中の情報機関、秘密結社、犯罪組織、誰も彼もが錬金術師の作り上げる幻に踊らされている。


「錬金術師の影武者――レッドとか呼ばれてる男。奴の情報も、笑っちまうようなおかしなもんばっかだったよな?」

「はい。地球の防衛を目的とする組織に所属、対宇宙人戦闘に関して優れた技能を持つ勇者等、全く当てにならない情報ばかりです。ふざけているとしか思えません」

「なんなんだかねぇ」


 上司は緩く波打つ髪に片手を突っ込むと、時化にでもするかのように後頭部をかき回した。


「ほんと、何者なのよ、錬金術師って御仁は。あっちこっちから狙われて、そのことごとくを返り討ちってか。果ては息子も父親そっくりだなんて、これっぽっちも聞いてないっての。ああ、ああ、この任務から降りたくなっちまった」


 通信機から、子供の捕獲を命じてあった仲間の絶叫が聞こえてきたのは、つい今し方のことである。いくら父親が世を沸かせる天才科学者と言っても、子供は子供だ。大人二人でかかれば容易く捕獲できるだろうと考えていた。まさか、現役軍人が戦地のの字も知らぬ少年に倒されるなど、誰が想像できようか。


「天才科学者の息子じゃなくて、天才武術家の生まれ変わりの間違いじゃないの?」

「ヒノキ国の政府高官から得た情報では、彼が錬金術師の隠し子で間違いありません」

「まあ、捕獲役の二人も『尋常なわっぱじゃない』って言ってたしねぇ。父親の血は少年くんに受け継がれちゃってるわけね。少年くんよ、どうして養子先のご両親に似てくれなかったの。俺、半泣きよ。やってらんねぇなぁ。カフとヌンもそう思うよな? な? な?」

「「…………」」

「そうだよなぁ、そう思うよなぁ」


 ラッパのように尖らせた口先から、ぶうぶうと文句を吹き鳴らす。そんな上司に、部下は無駄な迎合も無益な追従もしなかった。


「いかがいたしますか?」

「冷たいね、お前」


 全くもって、部下の鑑である。運転席のヌンはカフに対して、心の中で帽子を脱いだ。


 部下に問われ、この場の指揮を預かる男はゆっくりと背もたれから身を起こした。だらんと垂れた糸がぴんと張るかの如く、車内の空気が冷たく張り詰める。上げた顔からは、甘い表情が消え失せていた。


「作戦を練り直す」


 その眼光には、野心家としてのぎらつきがあった。





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