第一章:宿怨 ― Hereditary ―

(1)

「ごめん‼ そこの人、どいてッ‼」

 走っていた。ひたすら走っていた。

 鮮やかな青い空に、目が痛くなるほど眩い夏の太陽が輝いている。その太陽は、逃げ続けるあたしから体力と水分を容赦なく奪っていく。

「待ちやがれぇ〜‼ この糞餓鬼がぁ〜ッ‼」

 表通りにさえ風俗の看板が並ぶケバケバしくも陰鬱な「秋葉原」の光景。

 今は火山灰の下に埋まっている「本物の秋葉原」の様子を、ある人は「今の『秋葉原』みたいな感じだった」と言い、別の人は「今の『秋葉原』とは全然違う」と言う。

 そして、あたしは、「本物の秋葉原」を知らないから、人から聞いた話やWEB上に転がっている昔の写真から想像するしかない。あの日、あたしは、まだ小学校低学年で、静岡の富士宮に住んでいた。そのせいで、本物の東京に足を踏み入れた事すらないのだから。

 だから、あたし達が「関東難民」と呼ばれ、この巨大人工浮島メガフロートが「Neo Tokyo」と呼ばれ、そして、自分が住んでいる町が「秋葉原」と云う東京の地名で呼ばれている事に、違和感を感じる。いや……より正確に言えば、嫌な気分になる事が有る。「難民」として見捨てられ、その「難民」の中でも「田舎者」扱い……更に、もう1つの理由で、あたしは「見捨てられた人間」の3乗だ。

 そうだ……さっきも、いつものように、機嫌が悪くなってる状態で表通りを歩いている時に、運悪く、1人の男が声をかけてきた。

「姉ちゃん、金がないなら、良い仕事有るぞ」

と……。誰にとっての「運悪く」かは別にして。

 男が、あたしを見る視線から、どんな「仕事」か想像は付いた。あたしが生まれる遥か以前、二〇〇一年の九月一一日に「この世界には『普通ではない能力』の持ち主がウジャウジャ居る」と云う事が判明して以降も、それ以前の「常識」に縛られてる爺ィは時々、こんな真似をやらかす。自分がセクハラ・パワハラをやってる相手が、何の証拠も残さず一瞬で自分を殺せる奴だ、なんてのは十分有り得る事なのに。

 もっとも、あたしは、その「能力」を使わず、オッサンの股間を蹴り上げた。そして、次の瞬間、とんでもない事に気付いたのだ。

 男の右腕に有る、トカゲにもドラゴンにも見える赤いタトゥー……このクソ親父は、秋葉原の自称・自警団「サラマンダーズ」の一員だったのだ。数分後、あたしは「サラマンダーズ」に追われる羽目になった。

『何をしているのですか? わたくしの力を使えば、あのような下品な連中の一〇人や二〇人、簡単に……』

 頭の中に声が響く。

『「お姫様」、あんた、自分が一〇年前に何をしたか覚えてるよね? あんな騷ぎを、また、やるつもりなの?』

 声の主は、一〇年前、近所に住んでた「お姉ちゃん」代りだった女の人が死んで以来、あたしに取り憑いた自称「神様」。それ以前は、その「お姉ちゃん」に取り憑いていたらしい。何で、一応は先祖代々のカトリックであるあたしを、日本の「神」を名乗る存在が「選んだ」のかは、よく判んないけど。

『でも、ここは、わたくしが司る「山」から遠く離れていますので、せいぜい、人間を百人ほど一度に焼き殺すぐらいしか……』

『はぁっ? 「火トカゲサラマンダーの炙り焼き」なんて、しょ〜もないギャグがウケるって、本気で思ってるの?』

『あぁ、それと、珍しい事が……』

『何?』

 次の瞬間、何とも言えない変な感じがした。「嫌な感じ」とも、その逆とも言えないような、一度も感じた事がない、ともかく「変な感じ」。そして……背後うしろから大きな物音が複数。

「あのおっさん達、熱中症みたいだな……。救急車呼んだ方がいかな?」

 あたしを追っ掛けていた「サラマンダーズ」の面々は、1人残らず肌を真っ赤にして、汗ダラダラの状態で歩道に倒れていた。

『あんた、自分でやっといて、何すっとぼけてんだよ?』

『おや、これは、めずらしい。何百年ぶりでしょうか、「荒祭宮あらまつりのみや」殿?』

『何か、変な感じがすると思ったら、一〇年前の例の騷ぎの元凶が、こんな場所に居たのかよ‼』

 目の前に居たのは、あたしより少し年上らしい女の人。髪の毛はボサボサ気味だけど、お洒落のつもりで、わざとそうしてるらしく、見苦しい感じはしない。着ているのは、動き易さ重視の男物のカジュアルな夏服。

 そして、どこが違うかは巧く言葉に出来ないけど、秋葉原この辺りの人達とは明らかに雰囲気が違う……。多分、この巨大人工浮島メガフロートの中でも比較的治安が良い「有楽町」か……ひょっとしたら、「本土」の人かも知れない。

 その女の人の横には、オレンジ色の着物を着た女の子が居た。

『だ……誰?』

わたくしの同類と、その巫女ですよ。人間が「天照大神の荒魂あらみたま・荒祭宮」と呼んでいる「神」のね』

「ちょうどいい。道を聞きたいんだが……」

 その「荒祭宮の巫女」は、あたしに携帯電話Nフォンの画面を見せた。

 画面に表示されている地図と住所……そこは……。

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