第3話 セントラルタワー

「君は行かなかったのか……」


 困惑したようにイチイ市長が言った。


「何か理由があるのかな?」

「ただ、行きたくなかっただけです」


 サキはそっけなく答えた。


「行きたくない? 南に行くのは鳥人の本能ではないのかな?」


 薄くなった頭をさすりながら、市長は落ち着かない様子でサキをながめている。


「もしかして君は……」

「違います。僕は正常です。ただ、そういう気分じゃなかっただけです」


 彼は冷たいぐらい冷静な声で、はっきりと言った。

 市長は何度も頭をさすった。


 サキはセントラルタワーの最上階にある市長室に呼ばれていた。

 人間と鳥人は生活区域が東と西とで分かれていたが、タワーがあるのは共有区域の中央区だ。六十階建ての白いロウソクような円柱型のタワーは、その中に役所や食堂、娯楽施設などが雑多に詰めこまれ、誰でもが自由に出入りすることができる。ただ、サキもそのすべてを把握はしておらず、使われていない部屋もたくさんあった。


 最上階の市長室では、壁一面の継ぎ目のない窓硝子を背に、持て余していそうな大きな机を前にして、これまた大きな椅子に市長が座っていた。少し小太りで、顔も丸く、笑顔が張りついた縁起のよさそうな顔をしていたが、サキはあまり信用していない。というより、彼は人間自体に好意を持っていないのだ。しかしそれは、ほとんど鳥人の本能といえるものだった。


 とはいえ、親鳥たちに放置される鳥人たちは十三歳になるまで子供たちだけで生きていかなければならない。人間の赤ん坊と比べれば、多少知恵がつくのがはやいようだが、人間たちの築いた文明社会の中ではそれは些細な誤差でしかない。

 狩りができるような森や自然もほとんどが淘汰されてしまい、薬草を摘んだり、野ウサギを狩ったり、季節の変わり目には羽根や人間にはない鉱石のような色と透き通るようなつやをもった髪の毛を売ることもあるが、人間社会が近代化するにつれ、鳥人はますます人間の庇護下でなければ生活できなくなっていた。その象徴ともいえるのがこのセントラルタワーだった。


「それは、正常と言えるのかな?」


 市長はしばらく椅子を揺らして考えこんでいるようだったが、ふとサキを見上げた。背後のまぶしい空の明かりのせいで、市長の姿は半分影になっている。

 サキは目を細め、ぼんやりとその丸い姿を視界に入れると、


「大丈夫です」と言った。


 イチイ市長は少し間を置いてから、うなずいた。


「最近、大陸や連合の執行部が鳥人の扱いにうるさいんでね。西の大陸では、鳥人が戻ってこない地域もあって、絶滅するのではないかとの噂もあるらしいんだ。だから、執行部の連中は君たちのことを希少な存在だと見なしていて、私は君たち鳥人が人間によって不当な扱いを受けることのないよう注意するように言われているんだよ。なぜ君が本能に逆らうようなまねをしたのかは分からないが、もしも、何か問題があるなら、遠慮なく相談してくれてかまわない」


 市長は絵に描いたような笑顔を浮かべたが、サキは強ばった表情で顔をふせることしかできなかった。


「ありがとうございます」


 部屋を出ると、サキはため息をついた。

 もしも、何か問題があったとして、それを人間に相談したところでどうなるというのだろうか。

 彼は廊下の窓から空を見上げた。

 タワーの内部は吹き抜けとなっており、見上げると丸い澄んだ青空が浮かんでいる。


 サキはそのまま階段を上がると屋上に出た。

 街はすっかり落ち着きを取り戻し、冬の色に染まっていた。三百メートル以上あるセントラルタワーからは街を囲む水平線までぐるりと見渡すことができ、天気のいい日は、他の中央諸島や運がいいと南の大陸の影を見ることもできる。

 中央区は人間と鳥人の共有区域だが公共施設が多いわりに人影は少ない。白く四角い建物で統一されており、街中を歩くには分かりやすくていいが、空から見ると寂しげで閑散として見えた。

 人間の住む東地区は中央区の倍以上の敷地があり、模様を描いているかのように樹木や色とりどりの建物が行儀よく並んでいる。けれど、形も大きさも様々で整頓されたおもちゃ箱のようだ。豆粒のように見える人の数もずっと多く、遠くから眺めていてもそのにぎやかな様子がよく分かった。

 一方の鳥人の住居区である西区は中央区の三分の一ほどの広さしかないうえに半分は森だった。その一角に無機質な木造のアパート群が捨てられたように建っているだけだった。店と呼ばれるようなものもなく、アパートの裏手には野菜や果物を育てている小さな畑があるだけだった。とはいえ、ずぼらな鳥人の、その子供たちが世話や管理をするはずもなく、森の一部と言っても同じだった。


 ――絶滅。


 今さらになって市長の言葉が気にかかった。

 暮らしているときには気がつかないが、こうして上から比べてみると、鳥人の住まいはまるで廃墟のようだ。その昔は、神の化身として鳥人が崇拝されていた時代があったと聞くが、本能のままに空を飛ぶことぐらいしかできない鳥人が淘汰されるのは仕方のないことなのかもしれない。むしろ、このような巨大な街や建物をつくってしまう人間のほうがよほど神のようだとサキは思った。

 ふと目眩を覚えて彼は目をふせた。

 抜け落ちた羽根の山はいつの間にかきれいに掃除されていた。ときには高価な値段がつくこともある鳥人の羽根だが、自然に抜け落ちた羽根はなぜか時間が経つとあっという間に黄ばんでしまう。その純白の美しさを保ったまま売るためには、直接翼から引き抜くしかないのだが、その痛みと不快感を思うとできれば売りたくはない。自分たちの羽根が、人間の嗜好品として加工されるのもいい気持ちがしなかった。


 エレベーターで二十階まで降りると、ミニシアターが並んでいる。娯楽用のフィルムではなく、学校のない鳥人のために基礎的な教養を学べるように用意されたものだったが、利用者はあまりいない。

 サキの入った教室も人間の初老男性が二人ほどいるだけだった。一番後ろの卵形をした青いビロードが張られたソファに座る。自分の家のベッドよりもはるかに寝心地がいい。半円上のなめらかな白い壁はプラネタリウムのように直接フィルムを映すことができるようになっており、サキが腰を沈めるのと同時に明かりが消え、上映がはじまった。プログラムを見ていなかったが、どうやら今は「歴史」の時間で、神話物語がはじまるようだった。


『その昔、世界には神様たちが住んでいました。神様は下の世界に人間を、上の世界には鳥人を住まわせました。ところが、ある日、鳥人の誰かが神様の頭につばを吐きかけたのです。激怒した神様によって、鳥人たちは雷に打たれて下の世界へと落ちていきました。それ以来、鳥人は人間と暮らすようになり、抜け落ちた羽根は焼かれたように茶色く黒ずんでしまうようになったのです――』


 サキは何度も見たことのある神話の話を子守歌にして、いつの間にか眠りについていた。


 最近、よく見る夢がある。

 真珠のような泡が海面を滑り、海の底には光が満ちている。それに手を伸ばそうとするのだけれど、指先が水に触れる瞬間に、自身がものすごい早さで海の上を飛行していることに気がついて恐怖する。おそるおそる指先を伸ばすと、海面から弾け飛んでくる波の粒子が、指先に鈍く痛みを与え、それがじんじんと胸の中を揺さぶっていく。その痛みは奥へ奥へと進み、背中から翼の付け根に移動して、翼が重く身体にのしかかる。上手く飛ぶことができない。あと、ほんの数センチで海に落ちてしまう、と思うと海の底からわき上がる光が鼻孔から眉間の奥へと突き抜けていき、目が覚める。そして、自分は海の上を飛んでいたのではなく、海の底にいて空を見上げていたのだ、と理解するまでが夢の続きだった。

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