花びら
休み時間に新しい習慣ができた。千津ちゃんとの、ノート交換だ。千津ちゃんは、私のノートを丁寧に書き写している。なんだかくすぐったい。おかげで、私も千津ちゃんのために、授業をしっかり聞いて板書するようになった気がする。
「これ、終わった分。いつもありがとう」
千津ちゃんが、私にノートを渡す。以前より、柔らかく微笑んでくれるようになった。私の方が、贈り物をもらったような気持ちになる。
昼休み。教室の隅のまやちゃんの席に尚子と集まって、他愛ないお喋りをしていた。他にも幾つかのグループが笑い合っている。
千津ちゃんはいない。隣のクラスで友達と過ごしているのだろう。
「泉、最近木原さんと仲良いんだね」
何気なく尚子に言われ、どきっとした。
「同じ班だし」
当たり障りのない返事を返す。
「木原さん、最近登校してきてるからさ。よかったな、と思って」
尚子は屈託なく笑う。まやちゃんも、いつもの笑顔だ。
二人とも教室の中で、千津ちゃんを気にかけていたんだな、と思う。
尚子達に頷いて、目を伏せる。
少し、自分が恥ずかしくなった。
いつからだろう。
新しいクラスになったら、誰と一緒にいたらいいか、考えるようになった。
あの子となら、話せそうかな。
あのグループには、入れるかな。
ふとした拍子に均衡は崩れる。顔色を窺う。ホントの気持ちを隠して、笑う。
この先も、こんなことの繰り返しなのかなって。
バランス、バランス。
バランス崩せば、落っこちる。
千津ちゃんと話すようになって、尚子達がどんな反応をするのか、気になっていた。
二人が離れていくんじゃないかって、ちょっと怖かった。
中1の時のこと。
美術部で知り合った
独特の色彩。一風変わった視点。
私には無い環ちゃんの発想が面白かった。
けれど、美術部の一年生の中で、環ちゃんはだんだん浮くようになった。
彼女の天真爛漫さは紙一重で、「空気読めない」と囁かれるようになった。
環ちゃんは美術部を去り、私も一緒に辞めた。環ちゃんを、一人にしたくなかった。
それなのに。
行き場を無くした環ちゃんは、教室で私のグループにやって来た。
最初は笑っていた皆が、美術部の子達みたいに、環ちゃんを遠巻きにし始めるのに時間はかからなかった。環ちゃんも、その空気を感じて、ぎこちなくなった。
このままだと、私も一人になる。
私は、環ちゃんの手を離してしまった。
その後、環ちゃんは、別のグループに居場所を見つけていった。
私は心からの笑顔で笑う彼女を遠目に見て、ホッとした。
彼女への贖罪は、宙に浮いたまま。
いつまでも抜けない、棘みたいに。
私たちは、花びらみたい。
集まって、一つの花を形づくる。花びらが増えたり、減ったりしながら。
ひとひらの花びらに、ならないように。
ひらひらと、花を形づくる。
周囲が笑いさざめく教室で、真はぽつんと一人、本を読んでいる。静かな横顔に、木漏れ日が差す。そこだけ静寂が漂う。
「御手洗、先生が呼んでる」
同じクラスの石崎君が呼び掛ける。真は本に熱中しているらしく、顔を上げない。
「御手洗!」
苛立ちを隠さず、石崎君が近寄る。やっと真が顔を上げた。
「無視かよ。先生が呼んでるって言ってんだろ」
真は石崎君を見て本を閉じ、立ち上がろうとする。すかさず、石崎君が椅子を蹴った。真がよろめく。
「キモい奴」
吐き捨てて、石崎君は去っていく。真は何も言わない。無表情のまま、何事も無かったように教室を出て、職員室に向かう。
破られた静寂が、痛い。
「ごめん、気付かなくて」って一言でも言えたら。でも、真は、どうしてもその一言が言えないんだ。
無視した訳じゃない。本当は、そうじゃないのに……。
「石崎君、最近なんか、違うよね」
見るともなしに二人の様子を見ていたまやちゃんが、ぽつりと言う。尚子も首を傾げる。
「野球部で、レギュラーに選ばれたらしいけど」
「2年で? うちの野球部強いのに、すごいね」
二人の会話を聞きながら、私はぼんやりする。
石崎君とは、小学校が同じだった。
カラッとした、野球少年だった。
真の隣の席になって、彼が度々真に突っかかるのに気付いた。
最近の彼の眼差しは、確かにあの頃とは違う。
自分でも御せない、獣が巣食っているような。
ひとひらの、花びら。
花を形づくらないそれは、時に、風にさらわれ、雨に打たれ、地に墜ちてゆく。
放課後、顕微鏡を覗きたくて理科室に寄ってみたけれど、真はいなかった。
毎日いるわけではないらしく、こんな風に外れの日もある。
かといって、約束して理科室で会うのも、違う気がした。
私と真の想いが重なった時に、逢えればいいと思った。
ぶらぶらと帰路に着く。
途中、歩道橋を渡る。
一段ずつ階段を上る間、視線は上げない。最後の一段を上りきったら、初めて上を見上げる。
視界いっぱいに広がる、青空。
解き放たれたような清々しさ。
胸のわだかまりを放り投げ、私は空を舞う。
ひとひらの、花びらみたいに。
夜、鞄の教科書を出し入れしていると、見慣れないノートが出てきた。ぱらぱらとめくると、見慣れた丸みを帯びた文字。千津ちゃんだ。ノート交換の時に、混じってしまったのだろう。
ノートをめくっていた手が、止まる。
中程、真っ白なページの間に、書き込みがあった。秘密めいた表題。
「吹く風を心の友と」
そこに、千津ちゃんの世界が広がっていた。
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