初恋の相手は思い出の中

「光君、いつまであたしを見ているの。信号青になったよ」


 慌てて前を向き車を発進させる。一緒にいる時はどうしても優霧の顔を見つめてしまう。似ているのだ。20年近くたってもなお心の中に居座っているあの人に。


「当然か。あたしみたいにカワイイ女子高生ってそんなにいないし」

「そんなにカワイイ女子高生にどうして今まで彼氏ができなかったのかな」

「神様の仕業に決まっているじゃない。あたしを光君に引き合わせるために神様が他の男からあたしを遠ざけたていたのよ。あ~あ、小学生の時に光君に出会っていればもっと早く彼氏持ちになれたのになあ。神様ってイジワル」


 いや、さすがに小学生とアラサー男の交際は社会的に許されないだろう。もし小学生の時に出会っていたら絶対に断っていたはずだ。


「自分だけじゃなく私の恋愛に関してはどうなんだ。これまで一度も訊かれたことはないが私の元カノとか気にならないのか」

「そんなの訊くまでもないよ。光君が全然モテない男性だってことはこれまでの会話でバレバレだし。どうせ彼女いない歴=年齢なんでしょ。言わなくてもわかっているんだからね」


 こういう所だけは鋭いな。いかにもその通りだ。しかし馬鹿正直に白状する気はない。聞かなかったふりをして無言を貫く。


「ふふ、図星みたいだね。光君もあたしと同じでこれが初恋なんでしょ。だったらこの出会いを大切にしようよ。お母さんから言われているんだ、初恋は絶対に実らせなさいって」

「ほう。それはまたどうして」

「お母さんの初恋は実らなかったから。そしてそれを今でも後悔しているから。娘のあたしにはそんな思いをさせたくないみたい」


 残念だが君の初恋も実らないと思うぞ。私にその気はないし大昔から「初恋は実らないもの」と言われているからな。

 そして私も例外ではない。優霧と同じく高校生の時、同級生の女子に淡い恋心を抱いた。彼女の姿はいまだに私の胸の底に沈殿している。そしてその姿こそが優霧との交際を決断させた最大の要因だ。


 ――やはり似ている。彼女に、上野うえのあおいに……


 社会人としてのリスクを冒してまで高校生との交際を始めたのは優霧の中に忘れられぬ人の面影を見出したからだ。初恋の相手、上野葵。彼女とは高校3年間ずっと同じクラスだった。容姿も学力も特に取柄のない平凡な女子。どうして恋心を抱き始めたのか今でもわからない。ただ性格が少しキツかった、それが新鮮に感じられたのかもしれない。3年の春に思い切って告白した。いかにも迷惑そうな顔で彼女は答えた。


「そうね、友人としてなら構わないかな」


 やんわりとした拒否の返事。思ったとおり片思いだった。それでも落ち込んだりはしなかった。恋人ではないにしても友人として付き合うと言ってくれたのだから。


「数学得意でしょ。教えてよ」


 放課後に図書室で復習や予習をする、そんな感じで始まった友達付き合いは日がたつにつれ親睦の度合いを深めていった。

 メールアドレスを交換し、仲良しグループで遊園地へ行ったり海水浴へ行ったり。このまま付き合っていけば友人から恋人への格上げもあり得るかも、そんな希望に胸膨らませていた夏休み明け、いきなり破局がやってきた。


「葵さん、大学生の彼氏がいるみたいよ」


 初めは他愛もない噂話に過ぎなかった。気にも留めなかった。しかしその噂は収束するどころか拡大の一途をたどった。居酒屋で男と一緒にいる彼女を見た、夜更けの公園で抱き合っていた……とうとう我慢できなくなった私は葵に問いただした。彼女は平然と答えた。


「本当だったとして、それが何だって言うの。光君には関係ないでしょ。だってあなたは恋人ではなく友人なのだから」


 それが葵から私に発せられた最後の言葉だった。私は彼女を諦めた。携帯から一切の履歴を消去し二度と彼女に関わらなかった。

 卒業後、風の便りで葵が学生結婚したと聞いた。相手はIT企業の金持ちで子供ができてしまった為らしい。それ以上のことは聞く気もないし聞きたくもなかった。

 それ以降、女性にはまったく縁のない日々が続いた。そう、今年の4月、優霧に会うまでは。


「あ、見えてきた。あの家だよ」


 優霧が指差した方角を見て目を疑った。住宅地の中に場違いなほど巨大な建造物がそそり立っていたからだ。3階建てのその屋敷はまるでリゾート地のペンションだ。


「とんでもない豪邸だな。あそこに二人で住んでいるのか」

「そうだよ。ハウスキーパーの人は毎日出入りしているけどね。死んだお父さんがすっごいお金持ちだったみたい」


 来客専用の駐車場に車をとめ、公園のような庭を横切って屋敷の玄関に到着する。呼び鈴を押してしばらくするとドアが開き、小奇麗な御婦人が姿を現わした。


「お母さん、連れてきたよ。この人があたしの彼氏」

「いらっしゃいませ。娘のわがままに付き合っていただきありがとうございます。私は母の葵と申します」


 いきなり冷水をぶっかけられたような衝撃が走った。いや、まさか、そんなことあろうはずがないと思いながら、震える声で自己紹介する。


「初めまして。私は皆本光と申します。縁あってお嬢さんとお付き合いさせていただいております」

「みなもと、ひかる……」


 彼女がこちらを凝視した。その猛禽類のような眼差しは20年を経た今も変わらない。もはや疑いの余地はなかった。彼女は上野葵、私の初恋の相手だ。

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