彼女の母親は初恋の彼女

沢田和早

あなたはあたしの初恋の人みたい

 土曜日の午前中とあって交通量は普段より少ないようだ。

 ハンドルを握る私の隣で優霧ゆうぎりはおとなしく座っている。これから彼女の自宅へ向かうところだ。


「ねえひかる君、表情が硬いよ。もしかして緊張してる?」


 20才も年下のくせに生意気な言葉遣いだ。初めて会った時からこんな調子だ。あるいは年齢差を感じさせないようにわざとタメ口をたたいているのだろうか。そこまで気の回る娘には見えないが。


「そりゃ緊張もするさ。親子ほど年が離れているんだから。もし自分の高校生の娘が36才の男を彼氏として連れてきたら絶対反対するだろうからな」

「ですよね~。でもその点に関しては心配ご無用。あたしのお母さんは理解があるから。それにウチの両親は年の差婚だし、反対なんかするはずないよ」


 それは知り合ってすぐ聞かされた。優霧の母親は15才年上の男と結婚したらしい。その父親は彼女が3才の時に他界し、今は母親と二人だけで暮らしているということだ。


「彼氏と言っても別に結婚を申し込みにいくわけじゃないからな。誤解しないでくれよ」

「わかってるって。でもあたしが18才になったら泣いて頼みにくるんじゃないかなあ。お願いします、娘さんを私にくださいって」


 たいした自信家だ。しかしこれほどの自尊心があったからこそ私のような中年男にも平気で声をかけられたのだろう。


 優霧と知り合ったのは通勤電車だ。残業などめったにない役所勤め。毎日同じ駅で同じ時刻の電車に乗って出勤し、同じ駅で同じ時刻の電車に乗って帰宅する。10年以上続けてきたありふれた毎日。

 そんな日々の中にいつの間にか一人の女子生徒が紛れ込んできた。同じ駅から乗り同じ駅で降りる彼女。

 4月のうちは気にも留めなかった。が、出勤時だけでなく帰宅時の車内でも顔を合わせるようになると無意識のうちに彼女を探すようになった。


(あの娘、今日もこの電車で帰るのか。ここ数日いつも同じだな。まさかこっちに合わせてくれている、なんてことないよな)


 心なしか向こうもこちらを意識しているような気がする。顔では知らぬふりをしながら心の目は彼女を凝視し続ける日々。

 そうして春が過ぎ夏休みが終わり、2学期が始まった9月のとある金曜日、暑い夕暮れの日差しが降り注ぐ中、電車を降りた私に彼女が話しかけてきた。


「ねえ、よかったらあたしと付き合わない」


 面食らった。30代の中年男に対する女子高生の態度とは思えない。しかしこうなることを期待していた自分の存在も否定できなかった。とりあえず構内の喫茶店に誘うと明るい声で話してくれた。


「あたしって昔から男子に縁がないんだ。小学中学と彼氏なし。で、高校生になったら絶対作ろうと思って頑張ったの。でもやっぱりダメ。半年近くたっても全然彼氏ができない。それもこれも全ておじさんのせいなんだから」


 何を言っているんだこの小娘は。どんな妄想に憑りつかれればこんな思考に発展するんだ。


「いや、それはおかしいだろう。君に彼氏ができない原因がどうして私にあるんだ」

「浮かんじゃうのよ、おじさんが。例えば廊下で見知らぬ男子とすれ違った時、『わ~すごいイケメン。声をかけてみようかな』と思っても『あ、でも電車の人のほうがイケてるかも。やめとこ』ってなっちゃうし、図書室で読書する男子を見かけた時、『頭良さそうだし、彼氏に最適じゃない』と思っても『そう言えば電車の人も賢そうな顔してたっけ』なんて考えちゃう。で、夏休み中ずっと考え続けてひとつの結論に至ったの。これは恋、初恋なんだ。あたしは電車の人に恋をしている。だから別の男子を否定してしまうんだ。あたしが彼氏にすべき相手は電車の人しかいないんだって。で、今日思い切って声をかけてみたってわけ」


 いかにも十代の女子らしい短絡思考である。

 中年男性を狙った金銭目当てのハニートラップかと疑ったが、そんな悪知恵の働くような娘には見えない。恋愛系ラノベばかり読んでいる脳天気女子の雰囲気が全身から醸し出されている。


「しかし付き合うと言っても君は私を知らないし私も君を知らない。こんな状態で付き合いを始めるのはいささか軽率なのではないかな」

「うん。だからしばらくはお喋りだけしよう。それでお互い気に入ったら正式にお付き合いするってことでどう?」


 返答は決まっている。断るべきだ。こっちは大人、相手は高校生。下手に手を出せば青少年保護育成条例に抵触する恐れがある。社会人としては致命的だ。そう、それは十分わかっていた。なのにその時の私の返事は真逆になってしまった。


「まあ、会話をするだけなら……」

「やったー。あたしは下野しもの優霧、16才。高校1年生。よろしく」

皆本みなもと光。36才。役所に勤めている」


 優霧との交際はこうして始まった。交際と言っても本当にお喋りだけだった。

 朝、駅のベンチでおはようのお喋り。夕方、駅のベンチでさよならのお喋り。金曜日だけは喫茶店で長めのお喋り。そんな日々がひと月ほど続いた頃、優霧からいきなり結果が発表された。


「これまでの会話によって光君はあたしが考えていたとおりの人だと判明しました。よって本日から正式にお付き合いしたいと思います。彼氏は家族へ紹介するのが下野家の規則。よって次の日曜日、あたしのお母さんに会って」


 そう告げられたのが今週の月曜日。そして今日、優霧と一緒に彼女の家へ向かうことになったのだ。


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